恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 1−3


 アガサが二階から子どもたちを連れて下りてくる頃には、キッチンテーブルの上に作りたての朝食が準備されていた。
 卵焼きと厚切りのベーコン。アガサは醤油で、ドラコは塩で食べる。子どもたちにはプロセスチーズ入りのスクランブルエッグだ。それに、今朝は桃とオレンジを剥いてカットしたものを、たっぷりとヨーグルトに入れた。
 簡単な朝食を家族でとりながら、ドラコがふと気づいて、アガサのシャツの首元に手を伸ばした。
「それ、どうしたの」
 アガサの首筋に、キスマークのような赤い痣ができている。もちろん、ドラコには心当たりがない。
「ああ、マリオよ。最近、何にでも吸い付くの」
 もうじき1歳になろうとしているマリオは、離乳トレーニングのためにミルクを減らされていることが気に入らないらしく、今朝もスクランブルエッグをほんの何口か食べただけで、今はベビーチェアのテーブルに突っ伏して無言のハンガーストライキを決め込んでいる。じきに癇癪を起こして泣き出すので、アガサは哺乳瓶にサポートアップミルクを作り始めた。

「マリオ、ママになんてことをしてくれたんだ」
 先に食事を終えたドラコが、優しくあやすようにマリオを抱き上げた。マリオは、この世のすべてがイヤでたまらないとでも言いたげな表情で、両手で顔をごしごしこすり、パパの膝の上で立ち上がると、しがみついた。
「気を付けてね、本当に吸い付くから」
 アガサがミルクをつくった哺乳瓶をドラコに手渡そうとしたとき、案の定、マリオがパパの首元にアムっと吸い付いた。
「うわ!」
 ドラコは驚いてマリオを引き剥がした。
「痛いよ、マリオ」
 けれど、マリオはドラコの胸元のシャツを引きおろしてまた吸い付こうとしたので、すかさずアガサが哺乳瓶の先をマリオの口に入れた。
「すごい力だな……」
 アガサの手から哺乳瓶を引き継いで、ドラコはマリオを横向きにしてミルクを与えた。
「痣になってる」
「君からやられたって、言うよ」
「どうぞ。うちの両親と、妹たちは、私が吸血昆虫になったと思うでしょうね」
 マリオに吸われて痣になったドラコの首元に、アガサがそっと唇を重ねてきたのでドラコは息を呑んだ。
「これで嘘じゃなくなるわよ」
 と言って。
 その行為がどれだけセクシャルな意味にとらえられるか分かっていないアガサに、ドラコは困った顔をする。

 その証拠に、
「……君の首にもキスしようか」
 と、ドラコが意味深に尋ねても、
「大丈夫。これはコンシーラーで消すから」
 と、アガサは無頓着に返してきた。

 やっぱり、俺が一から全部教えなきゃダメだな、と、ドラコは内心で呆れつつも、また、明日が楽しみな気持ちになった。

「今日の予定は?」
「子どもたちを保育園に預けたら、銀行に寄って、その後は大学で企画会議に出ることになってるの。帰りにGBYのお店を見てくるつもり」
 アガサは最近、ロスで最も治安が悪いと言われている貧困街に、『 God Bless You 』という名前の雑貨屋をオープンしていた。これもシャローム・プロジェクトの一環だ。
「ディナーの準備は間に合いそうなのか?」
「食材はもう買ってあるし、仕込みもだいたいすんでいるから、大丈夫よ。3時に子どもたちのお迎えに行ってもらえたら助かるんだけど」
「わかった」
「車のキーはいつものボウルに入ってるから」
 車のキーというのは、子どもたちの送り迎え用にアガサが新しく買ったフォードのSUVのことだ。結婚式の費用をすべてドラコが出してくれているので、フォードのSUVはアガサが買ったのだが、実はそのことでちょっとした喧嘩になりかけた。アガサは、ドラコから渡されていたブラックカードを使わなかったのだ。大きな買い物をするときにアガサがそれを使わないと、何故かドラコは気を悪くした。

「おむかえはママがいいと思うよ。ぼくは。だってぱぱがくると、すとーくす先生が、こわいことを言うんだよ」
 モーレックがフォークに突き刺した桃を大きく口に頬張りながら言った。
「ストークス先生は何て言うの?」
「おいしそー、たべちゃいたーい、って」
「なんだって?」
 ドラコが耳を疑う。
「あと、ぱぱとねるためならなんでもするって、」
「モーレック!」
 朝食の片付けをしようとしていたアガサがビックリしてモーレックを振り返るのと同時に、ドラコはモーレックの口を手で塞いだ。
「ぼく、こわいよ」
 と、ドラコの手の下でモーレックがもごもごと喋り続けている。
「保育園を変えよう」
 ドラコが真顔で言った。ほんの一瞬、アガサとの間に気まずい沈黙が流れる。でもドラコは無実だ。アガサ以外の女性の気を引くような素振りは一切していないのだから。
「保育園を探すのは大変なのよ。今はどこも一杯で」
「なら、シッターを手配するよ。俺に任せてくれ」
「ママもぼくに、たべちゃいたーいっていうよ。あれは、ぼくのことを本当に、たべるってこと?」
「ママがあなたに言うときは、『大好きで大好きでたまらない』っていう意味よ、モーレック」
「そうだとおもってたんだよ」
 モーレックが嬉しそうにアガサに笑いかけた。
「でも、すとーくす先生はぱぱのことを、本当にたべたいみたいなんだ」
 ドラコがますます深刻な顔になって、
「もうあそこには連れて行かない。今日のところは、俺のオフィスで面倒をみるよ」
 と、有無を言わせぬ勢いで言った。
「危険はないの?」
 銃弾が飛び交うオフィスじゃないわよね? と、アガサは聞きたかったが、子どもたちの前なので控えた。
「俺はただの電気の修理屋さんだ。子どもたちを危険な目には合わせないよ」

 ドラコが街でどんな仕事をしているのか、アガサは聞かないようにしていた。ただ、電気の修理屋と名のることができるように、ドラコが街で真っ当な仕事に就いているということだけは聞かされていたので、きっとそのことだろうと思った。

 実際には、ドラコはここ1年でカリフォルニア州にある大手電力会社をすべて買収し、一つの巨大企業に統合して牛耳っていた。
 CEOには別の人材を据え置いているので、アルテミッズファミリーの名前は表に出ないし、まさかその実権をすべてドラコが握っているとは誰にもわからないだろう。社員の給料を上げて、古い送電網を一新し、かねてから自治体が懸念していた山火事へのリスク対策を万全に行なうことで企業イメージは向上しているし、アガサに付き添ってベガスで開かれたバイオテクノロジー学会に参加したことで、ドラコは再生可能エネルギーを取り入れた最先端のクリーンな発電システムも試し始めていた。おかげで業績は安定し、脱炭素事業に貢献したとして国から莫大な報奨金まで与えられている。

「俺に怒ってる?」
「怒ってないわよドラコ。ただ、災難だったわね」
 他の女性から目を付けられているというのに、フィアンセが全然嫉妬してくれないというのも、複雑な気分だった。
「少しは妬いてくれてもいいんじゃないのか、俺を信頼してくれてるのは分かるけど」
「もちろん心配よ、ドラコ。……ストークス先生がどの人か分かってるんでしょ?」
「いや、実は、顔と名前が一致しなくて、彼女の顔も思い浮かべられないよ」
「ストークス先生は男性よ、ドラコ。ジェフリー・ストークス先生、巻き毛の金髪で、背の高い白人男性。いつもバズライトイヤーのエプロンをしてる」
 ドラコはゾッとして言葉を失った。
「……とにかく、もう二度と、あの保育園に子どもたちは行かせない」
「そうよね。ストークス先生は私がドラコと婚約していることを知っているはずなのに。不愉快だわ……」
「ぼくもぱぱがたべられたら、いやだよ。でも、すとーくす先生はどうして、ぱぱとねたいんだろう」
「もうやめてくれ……」
 ドラコはなんとかモーレックを黙らせたかったが、どう応じればいいのかわからなかった。
 すると、アガサが真面目な顔でモーレックに語り掛けた。
「ストークス先生が言った、食べる、とか、寝る、には別の意味があるのよモーレック。聖書に書かれている罪に関係がある悪いこと。だから、あなたが聖書を読める様になったら、この件についてもっと詳しく話しましょうね」
 それでモーレックは納得したのか、この件について口にすることはなくなった。

 モーレックは最後のオレンジの欠片がどうしても上手くフォークですくえずに、左手で掴んでそれをフォークの上に乗せると、危なっかしく口に運び入れた。仕草はまだまだお子様だが、大人たちの会話をよく聞き、覚えている子だった。子どもの前だからと秘密の話をすれば、今回みたく時限爆弾のように後で秘密を爆発されてしまうから、大人たちは本当に注意しなければならない。





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