恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 1−2
ドラコは二階に上がっていくアガサの後ろ姿を眺めながら、あと一日の我慢だ、と自分に言い聞かせた。
本当は今すぐに彼女が欲しい。
イタリアから帰って以来、二人はいまだに別々の寝室で眠っているのだ。神の前で結婚の誓いをするまでは一緒に寝ない、というのがアガサの信念だったし、イタリアでエマと関係をもったことでアガサをとても傷つけてしまったので、ドラコはこれまでにないくらい行儀よく、紳士的に振舞っていた。でも、そろそろ限界だ。
明日結婚したら、部屋に閉じこもって心ゆくまで彼女と愛し合うつもりだ。子どもたちは早く寝かせる。誰にも邪魔はさせない。
朝食の準備にとりかかりながら、ドラコはここ数カ月の結婚式の準備を思い返して、切ない気持ちになった。
実のところドラコは、結婚相手の女性にはとても手を焼かせられるものだと覚悟していた。女性は決断できずにいつまでも悩み続け、わがままを言い、大抵のことは一人ではできない面倒な存在だと思っていたのだ。その相手がアガサなら、そんな面倒を背負いこむのも面白いだろう、と思っていたからそれを楽しみにしていたのに……。
アガサは、ことごとくドラコの予想を裏切った。
彼女は決断し、わがままを言わず、大抵のことは一人でできた。ドラコにはそれが物足りなく感じられた。
もっとわがままを言って困らせて欲しいし、頼ってもらいたいと思ってしまうほどに、結婚式の準備は順調に進みすぎたのだ。
ドラコはアガサを連れて、アルメニア人が経営する老舗の宝石店に結婚指輪を探しに行ったことを思い返した。アガサに贈った婚約指輪をフルオーダーしたあの店だ。
今度もフルオーダーをしてもいいと思っていたドラコだったが、店に入るとすぐに、アガサはあるアンティークの指輪に目を止めた。
その純金のペアリングは、1781年にスペイン入植者がロサンゼルスを設立した頃のもので、最初はスペインからやってきた宣教師の兄妹が所有していたのだが、その宣教師の兄妹は、当時の奴隷制で苦しむ人々を解放するために、その純金の指輪を売り払ったのだった。その後も持ち主は変わり続け、時に船賃のために、時に子どもの医療費のために、そして一番最近では、戦後に崩れた教会を修復するために売りに出されて、バルタンの祖父が買いとった物だった。
結婚指輪にするには縁起が悪いな、と、ドラコは思った。点々と人の手を渡りすぎているから。
ただしデザインは素敵だった。よく見るとその指輪には、雌雄のライオンが互いを慈しみ合うように向き合って顔を寄せている彫刻が施されているのだ。
男性用の指輪には雄ライオンの腕に、女性用の指輪には雌ライオンの腕に抱かれるように、それぞれラピスラズリの丸い石が埋め込まれていた。
「これがいいわ。とても美しいし、とても深い愛情を感じるもの」
と、アガサはその指輪のデザインに一目惚れして言った。
「美しいものだとは思うが、結婚指輪なんだから、新しいものの方がよくないか?」
それに、ペアで8000ドルは、ドラコには安すぎる様にも思えた。
「結婚指輪だからこそ、由来のあるものがいいわ。ただ、これだけのものになると、流石にお値段は高価なのね……」
「どうしてこんなに【安い】の?」
と、ドラコはオーナーのバルタンに訊ねた。隣で、アガサが、え? という顔をしている。
50代半ばの、立派なスーツに身を包むアルメニア人の店主は、楽しそうにドラコとアガサのやりとりに耳を傾けていたのだが、ドラコに問われると丁寧にかつ誠実に訳を話してくれた。
「そちらの指輪は由来が確かで、純金であることに間違いはないのですが、最初の持ち主が宣教師であったことが価値を多少低めています。これがスペイン王朝時代の貴族の持ち物であったなら数倍の価値はついたでしょう。また、200年以上前のものですので、外面に少々歪みが出ておりますため、我々の判断でディスカウントをしています。一番の問題は、当時の彫金技術で造られた、このように非常に繊細な指輪は、結婚指輪としてご提供する場合のサイズ調整を致しかねる点です……申し訳ありません」
それを聞いて、アガサがとてもガッカリした顔になった。
彼女が諦めようとしたので、ドラコはバルタンに頼んでその指輪をショーケースの外に出してもらった。
「指にはめてみてもいいかな。もし、俺たちのサイズにピッタリあったら、これにしたいんだけど」
と、ドラコは言った。
「それでは、お手をどうぞ」
バルタンに促されて、ドラコとアガサはショーケースの上に置かれた手置きのクッションの上にそれぞれ左手を出した。
驚いたことに、そのアンティークの指輪は二人の薬指のサイズにピッタリあった。
「なんとこれは、大変珍しいことです」
バルタンも目を見張った。
何よりも、アガサの顔がパッと明るくなって、嬉しそうにドラコを見上げてきたので、ドラコも思わず笑みが零れたほどだ。
「決まりだ」
「いいの?」
「もちろん」
それからドラコはバルタンに、指輪の内側に刻印をしてもらうことができるかどうかを訊ねた。
バルタンは何か言いたそうにしたが、それよりも先にアガサが言った。
「価値のあるアンティークの指輪なんだから、傷をつけない方がいいんじゃない?」
「いいんだよ、俺たちが最後の持ち主になるんだから」
「いつか貧しくなって、子どもたちにパンを買うためにこの指輪を売ることになるかも」
「心配ない。そのときは俺が君を養うから、アガサも俺を養ってくれ。――パンによってではなく、神の言葉によって」
聖書の言葉を引用すると、途端にアガサが目を輝かせた。
「なるほど、神の言葉を刻印するのね」
あなたって何てロマンチックなの、と、アガサは背伸びをしてドラコの頬にキスをしてきた。
「いや、俺はアガサ、君の名前を……、まあ、いいけど」
店主のバルタンとジョーラが訳知り顔でニコニコ見つめてくるので、ドラコは恥ずかしくなって顔が熱くなった。
そして互いの結婚指輪に、相手に贈りたい聖書の御言葉を刻印することになったのだ。
明日の結婚式でその指輪を交換するのが待ち遠しい。
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