恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 7-9
今まで何度かドラコと触れあい、キスをした。あの温もりがエマのものになったと知って、アガサは深く傷ついた。
病室では、アーベイの前で怒りをぶちまけたが、アガサは本当のところは怒る気にすらなれず、ただ落ち込んでいた。
エマとドラコはお似合いのカップルだと思う。身長も釣り合っているし、二人が並んで立つと、本当にサマになるのだ。ニースのヴィラで、正装をした二人がアルカトラズに向かっていったときの姿が忘れられない。
ドラコはエマを愛しているのだろうか。
アーベイは気にするなと言ったが、少しも好きじゃない相手と肉体関係をもつことなど、できるはずない。だからアガサは、きっとドラコはエマのことを大切に思っているはずだと思った。仮にもしそうじゃなければ、アガサはドラコを見損なうだろう。
アガサは、病院で再会したときのエマが、アガサを見てとても怒っていたことが気がかりだった。
もちろん、エマはドラコのことを愛しているだろう。だからきっと、アガサが今感じているのと同じように、エマも傷ついていたのかもしれない。
できればドラコと冷静に話をして、それから、婚約指輪は返すべきかもしれない。多分、それが正しいことだ。
でも、頭ではそう思っても、アガサはドラコと話すのが怖かったし、彼が去っていくのが現実になるのが悲しかった。
彼が目ざめなければいいのに――と、アガサは思った。
そうすればアガサは最後にドラコと約束したとおり、婚約指輪を大切に薬指にはめたまま、彼の命が尽きるまで彼の婚約者として傍にいられる。彼は私の夫になると約束した人で、ロスを出発する前に、アガサは決してドラコの傍を離れないと約束したからだ。
朝になったらまた病院に行こう。周囲の人々は、アガサがそこにいることを似つかわしくないと思うかもしれないけれど、ドラコの傍にいよう。
彼が目ざめて、ちゃんと話をするまでは……。別れの時までは。
「まま、いたいいたい?」
モーレックの小さな手が、アガサの濡れた頬に触れた。
「うん、まま、いたいいたいなの。でも大丈夫よ、モーレック。朝になればきっと気分がよくなるから」
アガサは教会の屋根裏のベッドの中で、モーレックをギュッと抱きしめた。白雄鶏の邸には戻らず、サヴォナにあるレオナルドの実家の教会に今も滞在させてもらっているのだ。
大丈夫。モーレックとマリオは、私一人でもちゃんと育てていける。きっと、大丈夫だ、とアガサは自分に言いきかせた。
「大丈夫よ」
と、アガサは眠る前にもう一度囁いた。
◇
朝になると、アガサはいつもより早く起き出し、身支度を整えた。
病院に行き、聖書を読んで、神に祈りをささげるつもりだった。なるべく長く、ドラコの傍にいようと思った。
だが、そんな日にかぎってモーレックは朝寝坊をし、マリオは数分おきに機嫌を崩して泣いた。
モーレックは着替えをしぶり、朝食にこれ以上ないくらいダラダラと時間をかけ、ぱぱのお見舞いに病院に行くのよ、と言ったアガサに対して、文句を言った。あそこには怖い女の人がいるから、ママは病院に行ってはダメだし、モーレックもマリオも行きたくないというのだ。
「どうしてあなたにマリオの考えがわかるの、モーレック?」
1歳のモーレックは子どもながらに肩をすくめて、「わかるから」、と答えた。
イレーネ牧師夫人にお願いするから、あなたたちはお留守番をしていてもいいのよ、と提案すると、モーレックは途端に顔をしかめて、こらえきれなくなったようにウワーっと泣きだした。
モーレックは椅子から降りてアガサの足にしがみつき、顔をうずめて泣き続けた。膝の上で抱っこしていたマリオもつられて泣き出し、食卓は子どもたちの泣き声でおおわらわだ。
「ああ、モーレック、どうしたというのよ。ちょっとぱぱの所にお見舞いに行ってくるだけでしょう? 心配ないわよ」
「だめ。ままは また いたいいたいになる」
アガサは胸が痛んだ。
子どもながらに大人たちの会話をよく聞き、ちゃんと見ているのだ。モーレックは賢こすぎた。
「いらっしゃい、モーレック」
アガサはマリオを縦に抱いて肩に預け、モーレックを膝の上によじ登らせて抱きしめた。
「よく聞いてね、モーレック。大事なことを教えるから」
モーレックはアガサのシャツを握りしめ、顔を上げた。アガサは愛する息子のおでこにかかる髪を指で耳にかけてやり、おでこに優しくキスをした。
「誰かを愛すると、胸がいたいいたいになることもあるのよ。でもママはパパを愛しているから、いたいいたいになっても、パパの傍に行きたいの」
「あのひとは?」
「エマのこと? エマもドラコを愛しているから、昨日はいたいいたいになって、怒っていただけだと思う。ちゃんと話をすれば、エマは可愛くて、面白い人なのよ」
モーレックは少し考えてから、また顔を上げた。
「もれは いつ いえにかえるの」
「まだ帰れないの。ママも家に帰りたいわ、モーレック。でも、パパが入院しているから、もう少しここにいないといけない」
「ぱぱも かえる?」
モーレックの澄んだ瞳が、核心をついてきらめいた。アガサは咄嗟に、この子に嘘をつくべきではない、と思った。たとえ嘘でごまかしても、モーレックはきっとそれに気づいてしまうだろう。
「パパは、もしかしたら同じ家には帰らないかもしれないわ」
アガサは正直に答えた。
意外にもモーレックは冷静に頷いて見せた。
「もれと、ままと、まりおは いっしょ」
アガサは胸がキュンとなった。
小さなモーレックは、そう言うことでアガサを励ましているようでもあった。
「うん、ずーっと一緒よ、モーレック。――愛しているわ、ママの大事な大事な可愛いあかちゃん」
そう言って鼻と鼻をくっつけると、モーレックは笑って顔をそむけ、あかちゃんはマリオの方で、モレはあかちゃんではない、と言った。
ようやく子どもたちが落ち着いて、全員の身支度が整ったときには、すでに昼を過ぎていた。
ランチを病院でとることを決めて、アガサは子ども用のバッグの中にマリオのミルクと、モーレックのジュースとおやつを入れた。
タクシーを呼ぼうとしたところで、レオナルドがやって来た。
「どうしたの、サムエル牧師と何かあった?」
レオナルドの慌てた様子に、アガサは心配になった。
レオナルドは昨晩から実家の教会に泊っていて、さっきまで礼拝堂で、父であるサムエル牧師と話しこんでいたのだ。親子は控えめに何時間も肩を寄せ合い、話を終えると互いに目に涙を浮かべて長いハグをしたのだ。
「父とは和解したよ。もっとも、僕がこれからもアルテミッズファミリーに残ると伝えたときには、複雑な様子だったけど」
そう言ってレオナルドは、両手に子どもたちを抱きかかえたアガサが、今まさに外に出かけようとしているのを見て取った。
「つい今しがた、ニコライから電話があったんだ。君がいつ病院に来るつもりなのか、確認してくれって言われたんだ。昨晩遅くに、ドラコが目を覚ましたらしい」
「そう、それは良かった……」
ああ、やはり話をしなければならないのか、と、嬉しさ半分、アガサは内心で憂鬱になった。
エマとの関係を問い、別れを切り出すときが、まさかこんなに早くくるとは。
レオナルドはモーレックと、子ども用のバッグをアガサから受け取って言った。
「それが、あまりいい状況じゃないらしいんだ。急ごう、病院まで送っていくよ」
「いい状況じゃないって、どういうこと?」
「ニコライの言葉を借りれば、ドラコは史上最悪にムカつく態度で暴れまわって、手がつけられない状態らしい」
「どうして?」
アガサが不思議に問うと、レオナルドは意味深にアガサを見つめ返してきた。
「君がいないから」
「そう……」
いまいちピンとこないままに、アガサはレオナルドに連れられて教会を出発した。
◇
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