恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 7-4


 最初の3日以内に目を覚まさなければ、脳の機能的な回復は見込めないとガインカルロ医師はフェデリコに説明して、人工呼吸器を取り外した。
 自発呼吸は回復したが、皆の祈りも虚しく、ドラコは一週間たっても目を覚まさなかった。
 点滴による栄養剤と抗生剤の投与は継続されたが、ドラコは日毎に衰弱していった。

 ドラコの奇襲によってノストラ―ドファミリーの主力部隊を一掃し、フェデリコの宿敵であったサルヴァトーレも死んだ。残党たちが蜘蛛の子を散らすようにイタリア国外に逃げのびて行ったものの、勝敗は決し、ノストラ―ドファミリーは事実上の壊滅に追い込まれたのだ。

 それでも、白雄鶏の館には物悲しい雰囲気がたちこめていた。
 フェデリコはすっかり塞ぎ込み、そのうち見舞いにも行かなくなった。

 邸の用心棒たちと幹部たちだけが、毎日かわるがわるドラコの病室に足を運び続けた。


 レオナルドは自分を責めていた。
 ドラコが単独で無茶な特攻をしたのは、レオナルドが早く事実を伝えなかったせいだと思ったからだ。アガサと子どもたちが無事に生きていると知っていさえすれば、ドラコがあんな自殺行為をしたはずはなかった。
 もう、長くは生きられない。
 医者の言葉を聞いて、レオナルドはなんとかアガサを病院に連れてこられないかと考えた。
 でも、ノストラ―ドファミリーの残党がドラコの命を狙ってくるかもしれない危険があったし、そのために幹部たちが交代で見張りについているので、とてもそんな隙はなかった。
 もしアガサが生きていることが知られれば、アガサと子どもたちの命が再び脅かされるかもしれない。
 それだけは避けなければならなかった。

 朝の見舞いに訪れていたレオナルドがそんな物思いに沈みながら病室を後にしたとき、廊下でニコライとアーベイにバッタリでくわした。

 不意に大柄なニコライがレオナルドの肩に腕をまわしてきて、一見すると友好的な笑みを浮かべて彼を人通りの少ない方向へと誘った。アーベイが先を進み、掃除用具室のドアを開くと、レオナルドは中に連れ込まれた。アーベイが後ろ手にドアを閉め、外から人が入って来ないようにモップを錠にしてドアハンドルに挿し込んだ。

 フェデリコの元で長く用心棒をしていても、ファミリーの幹部二人からこのように密室に連れ込まれるのは恐ろしいものだ。
 ニコライはレオナルドを壁に押し付けて、悪魔のような不気味な笑みを浮かべて言った。

「ドンに命じられて、お前がアガサと子どもたちを始末したんだと聞いたよ、レオナルド。でも、もう1週間もたつのに、死体がバンニ・アンナにあがらないのはどういうことだい?」
 自分とフェデリコしか知らないはずなのに、なぜこの二人がそれを知っているのかは疑問だったが、レオナルドは表情を変えずにニコライを見返して、
「さあ」
 と、とぼけた。
 たとえここで彼らに殺されるとしても、絶対に真実を言うつもりはなかった。
「本当は、ドンの命令に背いて、彼女たちをどこかにかくまっているんじゃないのかい?」
「いいえ」
 見事なポーカーフェイスで応じるレオナルドに、ニコライはさらに詰め寄り、彼の襟首を締め上げた。
「本当のことを言いなよ」
 レオナルドは口を閉ざし、抵抗もしなかった。首元を強く締められて呼吸が止まり、脳が酸欠になっていくのがわかった。

「もうその辺でいいだろ、ニコライ。そいつは、話さないさ。大した奴だ」
 と、ドアを背に腕を組んで二人のことを観察していたアーベイが言った。
 ニコライが少し残念そうに手をゆるめ、レオナルドから離れた。
「こういう悪役を演じられる機会はほとんどないからさ、もうちょっと楽しみたかったんだけどな」
 いつもののぺっとしたロシア訛りのイタリア語でイタズラっぽく笑うニコライは、まんざらでもなさそうだった。
 ――これが演技だって? レオナルドは盛大に眉をしかめた。
 ニコライは確かにそう言ったが、演技にしては怖すぎだった……。
 呼吸を整えながら、ファミリーの幹部たちときたら、つくづく常識外れのぶっ飛んだ奴ばかりだな、と、レオナルドは内心で呆れた。

「どういうことなんですか?」
 と、状況が掴めずにレオナルドが問うと、ニコライが今度は優しく微笑んだ。
「僕たちはアガサが生きていることを知っているんだ。今も、彼女とは直接連絡をとっているからね。僕とアーベイは仲間だよ、レオナルド」
「そこで、だ」
 と、今度はアーベイが口を開いた。
「アガサがドラコの見舞いに来たがっているので、俺たちはなんとかしてやる必要がある。とりわけ、あのもうろくした親父をどう説得するかを話し合いたい」
 ドンのことを『もうろくした親父』なんて言うのはこの人だけだろうな、と、レオナルドは畏怖を込めてアーベイをちらっと見た。
 他の幹部たちは、陰口でさえドンのことをそんなふうに揶揄したりはしない。

「そういうことなら、影でこそこそして問題をこじらせるより、私がドンに真実を伝えましょう。今回の件で、ドンはドラコを追い込んでしまったと深く後悔しているように見えます。もしかしたら、アガサをドラコに会わせることを許してくれるかもしれません」

「けど、もしそうじゃなかったら、アガサはまた命を狙われるかもしれないし、君も無事ではすまされないだろうね」
「そのときは、あなたたち二人が彼女たちを守ってください。私のことはお気になさらず。遅かれ早かれ、このことでドンからお咎めを受けることは覚悟していますから」

 レオナルドの覚悟を、ニコライとアーベイは疑わなかった。
 だがニコライは、レオナルドのような誠実で勇敢な男が、ファミリーから消し去られるのを惜しく感じた。というのは、フェデリコの今の精神状態では、たとえどんなに正当な理由を並べようとも命令不服従と欺きの咎でレオナルドを処刑するという気がしたからだ。多分、間違いなく――
 まったくもって、自由で窮屈な世界だ、と、ニコライは思った。

 ニコライはここ一週間の日課になっているガゼッタに広告を打ち、アガサにこのことを伝えた。

――酒造ラベルメーカーからの新製品広告。
 今夜、ライオンの仔が虎穴に入る。彼の勇敢な告白が手痛いしっぺ返しをくらわないように祈っていておくれ。
 十分に温かくして寝るんだよ。親愛をこめて、コニャックより――





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