恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 7-2
アガサと子どもたちを始末した、という嘘の報告をしたレオナルドは、暗い部屋で一人、死を覚悟していた。
彼女たちが生きていることが明るみになるのは時間の問題だろう。
ドンの命令に逆らえばただではすまされないことを、レオナルド自身が一番よくわかっていた。
サボナの街を海岸沿いに北上すると、沖合にマドンネッタの岩という史跡を観ることができる。
その辺りは海に向かって切り出す断崖絶壁になっていて、潮の流れがとても早いので、もし落下すれば死体は地中海の渦にのまれてしばらく見つからない。忘れかけた頃に、朽ちた死体が南側のビーチに打ち上げられることから、ノストラ―ドファミリーが見せしめにする死体を処分する場所だというのは、イタリアンマフィアの間では有名な話だ。
アガサは賢く、勘のいい女性だった。
白雄鶏の邸を出たときとから、レオナルドの様子がいつもと違うことを気にかけてくれたし、彼が目的のホテルを通り過ぎて海岸沿いの国道を走り始めたときには、何かがおかしいと気づいたようだった。
車はかなりスピードが出ていたが、レオナルドが全く予想しなかったことに、アガサは手動で後部座席のロックを解除したかと思うと、抱っこ紐の中の赤ん坊のマリオと、モーレックを胸に庇うように抱えて、車から飛び降りた。地面に投げ出される時、子どもたちを庇ったせいでアガサは酷く体を打ちつけたように見えた。
レオナルドはゾッとして急ブレーキを踏み、引き返してアガサを取り押さえた。
とっくりと日の沈んだ暗闇の中で、人通りの少ない崖の上にアガサを引きずっていき、レオナルドは銃口を向けた。
苦しませないために躊躇うことなく撃つ必要があったが、レオナルドにはそれができなかった。
抱っこ紐の中の赤ん坊は泣いていたが、1歳の子どもの方は不思議なことに、何が起こっているのかを理解しているようだった。
「大丈夫よ、モーレック、ママがずっと傍にいるから」
死を覚悟したのだろう。
アガサは子どもたちを強く胸に抱き、頭を垂れて地面にうずくまった。
死を恐れているというよりも、子どもたちに恐怖や痛みを感じさせたくなくて、必死に守ろうとしているように見えた。
罪のない命を奪って己の魂を地獄に堕とすか、目の前の尊い命を生かしてドンに殺されて地獄に堕ちるか。いずれにしても自分は地獄に堕ちるだろう、と、レオナルドは思った。それならばこの地上で、少しでも正しいと思えることをしたかった。
レオナルドは海に向かって銃を三発撃った。
車から子どもたちのバッグを降ろし、アガサには身の回り品だけを持たせて、車を崖から落とした。アガサの携帯電話も海に捨てた。
上手い具合に、アルファロメオを崖下に落とす前に、車とアガサたちの姿を観光客に見せることができた。
レオナルドはアガサと子どもたちを連れて、人目につかない森の中を歩いて進んだ。
「大丈夫かい?」
車から飛び降りたときに腹部を強く打ちつけたらしく、アガサは何度も苦しそうに足を止めた。
「あんなバカなことをしなければ良かった。でも、逃げようと必死だったの」
「そうだね。次はもうちょっとスピードが落ちるまで待つべきだ」
レオナルドは子どもたちのミルクやオムツなどの必需品がはいったバッグを肩にかけ、さらにモーレックを片手に担いで、アガサを助けながら暗い森の中を迷うことなく進んで行った。
「どこに向かっているの?」
「この先に教会がある。俺が生まれ育ったところなんだ」
「あなたは牧師の息子なの?」
「親父とは何年も話していないけどね。俺がアルテミッズファミリーの一員になったのが気に入らないんだ」
ファミリーに所属したレオナルドに向けられる父からの責めるような、悲しい眼差しが、レオナルドには耐えがたかったのだ。
だからもう何年も会っていないし、話もしていない。
教会に着くと、レオナルドは父親に事情を説明し、アガサと子どもたちをしばらくかくまってくれるように頼んだ。
厳格なキリスト教徒である彼の父は何も言わずに、彼女たちを受け入れてくれた。
別れ際、レオナルドはアガサから婚約指輪を受け取った。はじめのうちアガサはそれを手放すことを拒んだが、『君たちを始末した証拠として持ち帰るようにフェデリコから言われている』、と説明すると、アガサは応じてくれた。
「私たちが生きていることが知れれば、あなたはどうなるの?」
「ただじゃすまされないだろうね。でも、いいんだよ。海に向かって銃を撃った瞬間から、もう死は覚悟しているから」
アガサがレオナルドの肩に手をかけて、優しくハグをしてくれた。
「今夜あなたが私たちを助けてくれたことを、神がご存じだわ。どんなに、あなたに感謝しているか。神があなたを守ってくださいますように」
はじめて空港で彼女を見たときの印象と全く変わらない。優しくて、温かい女性だ。ドラコがこのような女性を選び、ドンの元へ連れてきたことを、レオナルドは心の中で秘かに称賛していた。次期頭首に相応しい人格を、ドラコの中に認めることができて嬉しかった。
かつてレオナルドがフェデリコに感銘を受けてファミリーに加わったときと同じように、いつかこんなボスに仕えたい、と、ドラコを見て思った。
「じゃあ、頼んだよ、親父」
アガサとの短い挨拶を終えて父を振り返ると、目が合った。
その目の奥に、自分に向けられる深い愛情があることを見てとって、レオナルドは驚いた。
「お前を誇りに思う。レオナルド」
何年も聞いていなかった父の声を久しぶりに聞いた。
「いつか、お前が地獄に堕ちるときには、私もお前とともにそこに居よう」
バカな親父だ、と、レオナルドは思った。親父は聖職者としてずっと正しく生きてきた。天国に行くに決まってるのに。
きっと父も同じように思っているだろう、――バカな息子だ、と。地獄まで彼を追いかけてきて、説教をするつもりに違いない。
白雄鶏の館の暗い自室に一人たたずむレオナルドの心は穏やかだった。
たとえ事実が明るみになってドンに殺されるとしても、最後に父から誇りに思ってもらえたことが、レオナルドの心を強くしてくれた。
◇
実はレオナルドは、ドラコにだけは事実を伝えようとしていた。
ドンへの報告を終えたレオナルドは、すぐにドラコを探したのだ。だが、その時にはすでにドラコはアガサを探して邸を出た後だった。
そこでレオナルドは、ドラコの帰りを待つことにした。ドンに傍受されている可能性もあるし、ノストラ―ドに盗聴されている可能性もあるから、携帯電話での連絡は危険だった。
ドラコは翌日の朝方に帰ってきて真っすぐドンの元へ行くと、その後すぐにエマの部屋に入って、しばらく出てこなかった。
そして午後の緊急会合が入り、アリの口からアガサたちの死が濃厚であるという情報が幹部連に伝えられた。
レオナルドは焦ったが、意外なことに、ドラコは冷静に見えた。――不自然すぎるくらい、冷静に。
慌ただしく夕飯の支度が始まり、傍らではノストラ―ドの襲撃に備えて邸の守備を固めるために、用心棒たちは皆忙しく働いていた。
レオナルドはやきもきしながら、なんとかドラコと二人きりになれる機会をうかがった。
夕食の席でドラコをつかまえようと思ったが、姿を現さなかったので、レオナルドは食後にすぐにドラコの部屋に向かった。
だが、またしても遅かった。
ガレージに停めてあった黒のフェラーリがなくなっていた。
イヤな予感がした。
途方に暮れて邸に戻ってくると、アガサが使っていた寝室からニコライが出てくるのが見えた。
いつものんびりしているニコライが、その時は何故か機敏に立ち回り、そのうちアーベイと一緒にアルファロメオに乗って邸を出ていくのが見えた。
幹部たちは皆、ドラコと親しいようだったが、その二人は特にドラコから信頼されていた。
――何かが起きている。
レオナルドは直感し、邸にいる他の7人の用心棒たちを集め、今夜は一睡もせずに備える様に伝えた。
◇
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