恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 7-11


 ドラコはすぐにエマと話をすると言った。
「他の誰が傷ついても構わないなんて、もう二度と言わないでね。あなたを見損なわせないで」
「……分かったよ」
 エマに優しく、紳士的に接するように約束をさせられた。

 アガサはモーレックとニコライの様子を見がてら、病院内のカフェテリアでランチをとってくると言って、病室を出て行った。


 病室に一人になったドラコは、ドアの外でニコライの代わりに見張り役を務めているレオナルドに声をかけ、エマを呼んでくれるように頼んだ。
 エマはドラコが入院して以来、日中はずっとドラコに付き添っていたが、今日はドラコに追い払われたので院内のラウンジにいた。
 エマはすぐにやって来た。

「話があるんだ、エマ、ここに座ってくれ」
 そう言って、ドラコはベッドサイドにある椅子をすすめたが、エマはそれを無視してドラコのベッドの端に腰をかけた。
「君に、謝りたいんだ」
「さっき私を病室から追い出したこと?」
「エマと結婚すると嘘をついて、君を抱いたことを謝る。とても愚かで、エマを傷つける行為だったと反省している」
「あれが愚かで、間違った行為だと思ってるの?」
 エマの栗色の瞳に、嫌悪と怒りと、悲しみの色が浮かんだ。

「ごめん、エマ。俺は昔から、エマが俺に好意を寄せてくれていることに気づいていたのに、君を利用したんだ。ドンから聞いているかもしれないが、アガサと子どもたちが邸からいなくなって、俺は彼女たちが心配で、ドンと取引をしたんだ」
「私と結婚して、私と寝ろって?」
「エマと結婚して、エマの【求め】に応じろと言われたよ」
「たしかに私はあの日、あなたを求めたわね。何回も。そしてあなたは、何回も応えてくれたわ、ドラコ。すごく情熱的だった」
「俺とのセックスで情熱を感じたというのは、君の勘違いだよ。あの瞬間も今も、俺はアガサを愛しているんだ」

 エマの頬を涙が伝い落ちた。

「父さんと取引をしたんでしょ。それなら、私と結婚して、ドラコ」

 ドンは嘘をついたのだから、あの取引はそもそも成立していなかったのだ、と、ドラコは思った。でもドラコはあえてそれを口にしなかった。
 エマと和解をしろと、アガサが言ったから。心から謝罪し、エマの心を納得させる必要があった。

「エマのことは大切に思っているよ。他の幹部たちと同じ、大切な仲間で、家族だ。今までもそうだし、これからもそうありたい。でも、恋人や妻としては、俺は君を愛せない。それは君に不満があるからじゃなく、エマ、本当だよ、君はそのままで完璧な存在で、美しくて賢くて、強い、魅力的な女性だと思う。ただ俺がエマや、他のどんな女性も愛せないのは、アガサを愛しているからなんだよ。こんなに誰かのことを愛しく思うのは生まれて初めてなんだ、だから、泣かないでくれ、エマ」

「あんな女のどこがいいのよ……」

 エマは子どものように泣きじゃくった。小さい頃から、ドンはドラコとエマを度々引き合わせた。二人は幼馴染のような関係だ。エマは母親が亡くなったときにも泣いたし、白いリボンのついたお気に入りのワンピースが泥で汚れたときにも、今みたいに顔をくしゃくしゃにして泣いた。そんなとき、たまたま居合わせてしまうドラコが、いつもエマを慰めるのだ。

 ドラコはベッドに臥せって泣くエマの頭を、優しく撫でた。

「怒るとすごく怖いところとか」
「……冗談でしょ」
「本当だよ。気づいてたか? アガサが怒る理由はいつも、聖書のことか、他人のためなんだ。今回の件でも、かなり怒らせたよ。俺が贈った婚約指輪も突き返された……」
「いい気味だわ。彼女に捨てられればいい。あなたと寝たって、私がアガサに言ったんだもの」
「たしかにその事には傷ついているみたいだった。けど、アガサが本当に怒っていたのは、俺がエマを傷つけたからなんだ。エマにちゃんと謝罪して、優しく、紳士的に振舞わないなら、俺を見損なうって言われた。多分、エマが俺を許してくれなきゃ、俺は今度こそ本当にアガサから見捨てられる」

 エマの涙が止まった。
 そして、子どもが何か悪だくみをするときのような、イタズラっぽい目をして顔を上げた。

「アガサから捨てられたらどうするの、ドラコ」
「海に飛び込んで死ぬよ」
 冗談ともとれない暗い口調で、ドラコは即答した。
 単身でノストラ―ドファミリーの要塞に特攻したドラコのことだ、嘘じゃないだろう、とエマは思った。

「本当に彼女と結婚するの? アガサは絶対に浮気を許すタイプではないし、彼女とのベッドはきっと死ぬほど退屈でしょうね。その時になって私が恋しくなっても、もう遅いのよ?」

 ドラコは口元をほころばせた。

「俺も浮気をするタイプの男じゃないし、ベッドのことはそもそも心配する必要がない。俺が最初から全部、教えるつもりだから」

「わかった」
 と、エマが突然立ち上がった。

「今からアガサと話をしてくるわ。そして、私とあなたが、どんなに情熱的に愛し合ったかを、前戯から後戯まですべて詳細に彼女に話して聞かせてくる」
「はあ? 俺たちどっちもしてないだろ」
「でも彼女はしたと思うはず、私がそういうふうに話すからね。それでも、アガサがドラコと結婚するというんだったら、今回だけ、私は身を引くわ」
「エマ、頼むよ……」
「彼女が本当にあなたを愛しているなら、たとえあなたが他の女をどんな風に抱いたとしても、ゆるしてくれるはずよね?」

 正直、ドラコにはそれはわからなかった。
 アガサはとても清い女性だから。もしかしたら嫌われるかもしれない。

「やめてくれ、エマ」
「あなたは運を天に任せてそこで待っていて、ドラコ。ベッドから下りてはダメ! 鎮静剤を打ってもらうわよ!」
「エマ……」

 エマは病室を出て行ってしまった。レオナルドが、アガサはカフェテリアに行ったとエマに伝えている声が漏れ聞こえてきた。

――ああ、神様。

 ドラコはベッドの中で天を仰いだ。
 エマとの関係だけではない。
 これまで夜をともにしてきた女性たちとの淫らな関係が深く悔やまれた。
 ドラコがアガサのことを【清い】と思うように、アガサはきっと、ドラコのことを【汚れている】と思うだろう。事実、ドラコ自身でさえ自分は汚れた存在だと思った。この先も彼女に触れることを、神は許してくださるだろうか。アガサは……?

 アガサに捨てられたらどうしよう。

 静かな病室に一人取り残されて、ドラコは不安でいっぱいになった。





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