恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 6-6
バーにあるサンブーカのボトルを全て空にしたところで、コンコルゾに参加していた半分以上の幹部が脱落し、正体を失ってソファーや、ビリヤード台の上や、床の上に倒れこんだ。
「なんてこった、酒が切れちまったじゃねーか……」
ふらつきながら、イデリコはセラーの中から別の酒を探し始めた。
イタリア特産のサンブーカはアルコール度数40度のとても強い酒だが、その味わいは甘口だ。
ドラコはカウンターからイデリコの背中に声をかけた。
「少し苦みのある酒が飲みたいな。アブサンはある?」
ドラコの話すイタリア語はまだ明朗で、表情もケロッとしていた。
彼に顕れている酔いの兆候といえば、やや頬を紅潮させて、瞳がほんの少し潤んでいるくらいのものだ。
「はん! 生意気な……」
イデリコはそう毒づきながらも、セラーの中から緑色のペルノアブサンのボトルを取り出して、それをドラコに見せた。
ドラコが満足そうに頷くのを見て、イデリコは低いステムがついた新しいショットグラスを音をたててカウンターの上にセットした。
それを見ただけで、まだかろうじて意識を保っていた者がうめき声を上げ、酔いに抗うことを諦めてバッタリと床の上に倒れた。
「だらしがない奴らだ……」
吐き捨てる様にそう言ったイデリコも、呂律が乱れて、すでに立っているのがやっとという泥酔具合だった。
カウンターにはイデリコとドラコの二人だけが残った。
ペルノアブサンのアルコール度数は約70度だ。
サンブーカよりもさらに強いこの酒は、主原料のニガヨモギに含まれる成分が幻覚を引き起こすとして、一時期は販売が停止されたこともあり、悪魔の酒と呼ばれることがある。ゴッホや、モネ、ピカソなどの芸術家に愛されたリキュールでもあり、強い苦みと複数のハーブからなる独特の風味が特徴で、鮮やかな緑色をしている。
アブサンの主原料のニガヨモギには、「平和」と「冗談」という二つの花言葉がある。
ドラコは緑の液体が溢れるほど注がれたグラスを掲げ、「平和に」、と囁いて、イデリコに向けて微笑んだ。
「冗談だろ……」
そう応じてイデリコもグラスを掲げ、二人は同時にショットを飲み干した。
直後、イデリコがばったりとカウンターの上に突っ伏して、動かなくなった。
死んではいない。酔いつぶれて、寝落ちしたのだ。
強い酒が喉の奥に流れ落ちていく痛みを感じながら、ドラコは目をすがめた。
一人残されたドラコは、カウンターの上からアブサンのボトルを取り上げると、空になったイデリコと自分のグラスに、さらに溢れるほど酒を注いだ。
そうして勝利の一杯を最後に飲み干して、ドラコはグラスを伏せてカウンターの上にトンと置いた。
それからゆっくりとバースツールから立ち上がって、娯楽室で酔いつぶれている仲間たちを見回し、ドラコはかつてアガサが言ったことを思い出した。
――「大変だったのね。可哀そうに……、急性アルコール中毒で本当に命を落としてしまう人もいるのよ。そのとき勝負をしていた他の人も無事だったの?」
ベガスの夜に一緒に食事をしながら、酒に酔った昔話をしたドラコに対して、アガサが言った言葉だった。
ひとまず、酔い散らかした大の大人たちが、みな安らかに眠っているようなのを見て、ドラコは良しとする。
娯楽室の出口に体を向けて歩き出す。
酒に焼けた食道がヒリヒリして、胃がムカムカした。――気持ちが悪い。
霞む視界と、弛緩する肉体をどうにか意思の力で制御して、ドラコはゆっくりと娯楽室から出て行った。
◇
真っすぐに向かったのは、アガサと子どもたちが眠る寝室だ。
深夜1時を回っているから、彼女はとっくに子どもたちと眠っている。それでもドラコはイタリアに来てから毎晩必ず、眠る前に彼女たちの様子を見に行った。
明かりの消された部屋に入って行くと、アガサのカモミールの匂いと、子どもたちのミルクの匂いが、ドラコの心を安堵させる。
四柱のベッドではモーレックが両手両足を広げて、安心しきった表情で仰向けに寝ていて、アガサは横向きに丸くなった姿勢で、モーレックのお腹に手を乗せて、静かな寝息をたてていた。赤ん坊のマリオは丁寧におくるみに包まれて、すぐ近くのベビーベッドの中で眠っている。
守りたいものたちを心に刻みつける様に、ドラコはアガサと子どもたちの眠る姿をしばらく眺めた。
不意に愛しさが込み上げてきて、一緒にベッドに潜り込み、アガサのことを抱きしめたくなるが、自身から発せられているであろう酒の臭いと、娯楽室で男たちが吸っていた煙草や葉巻の臭いがスーツに沁みついているのが気になって、ドラコはその場を立ち去った。
幹部たちには、白雄鶏の館に個室が与えられている。
ドラコは自分にあてがわれた部屋で冷水のシャワーを浴び、その後は朝方までトイレで吐き続けた。
フェデリコに拾われ、アルテミッズファミリーの一員として育てられたドラコは、肉体と精神の厳しい鍛錬によって感覚をコントロールする術を身に着けていた。脳の血流をコントロールすることによって、時には感情を全く遮断したし、必要とあらば痛みや恐怖を抑制することもできた。だが、それでその場を乗り切ったとしても、彼の肉体と精神はそれらを感じていないわけではないから、必ず後から副作用が起きた。
ドラコの感覚の中では、酒酔いの抑制は、痛みの抑制に似ている。
彼は限界まで酒を飲んでも理性を保ち、通常のように行動することができたが、ひとたび脳のスイッチを切ってしまえば、体が泥酔していることを自覚し、急激に反応が出る。
その晩、ドラコは気持ち悪さでほとんど眠れずに朝を迎えた。
胃の中の物をすべて吐き出しても気持ち悪さは消えず、冷や汗が出て、脱水のために手足にうまく力が入らなかった。
11月の冷たい空気を吸いながら太陽の光を浴びれば、少しは気分が良くなるかもしれないと考えて、ドラコは毛布を肩にリビングのバルコニーにあるラタンの長椅子に横になった。
頭がガンガンするうえに、耳鳴りもして、昨晩の無茶な飲酒を責める様に朝日が目に刺さった。
「酷い顔色ね」
朝食をつくりに起きて来たアガサに見つかって、案の定、責め立てられる。
体中から漂う酒臭さについて指摘され、ちゃんと水分をとっているのか聞かれ、無茶な飲酒は体に悪いと説教をされた。
ドラコは両手で耳を塞いで毛布の中に潜り込んだ。
「頭が痛いんだ、大きな声を出さないでくれ……」
ちょっと待ってて、と言って、アガサはどこかに行った。
◇
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