恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 6-4


 白雄鶏の館には娯楽室があって、そこには様々な酒と、バーカウンター、ビリヤード台とダーツがあった。
 ここ数日間、ノストラ―ドファミリーに対応するための会合続きで、楽しみから遠ざけられていた男たちは、その夜は久しぶりに羽を伸ばした。

「明日の朝食はあの女に任せることにしたから」
 白雄鶏の館でコックを務めるイデリコは、ショットグラスにサンブーカというイタリア特産のリキュールをこぼれるほど注いで、ドラコに滑らせた。アルコール度数40度の強い酒だ。
「ドラコ、お前があんなとんでもない女を連れてきさえしなけりゃ……、飲め!」
 キッチンの権利を半分奪われたイデリコは、腹の虫がまだ治まらないらしく、ドラコを酔い潰すことで憂さ晴らしをしようとしているようだった。
 ドラコもそれを察して、すすめられるままにショットを飲み干した。

「しかし、マッサージとはね! はん!」

 イデリコは空になったドラコのグラスに、すぐに新しい酒を注いだ。同じように、自らのグラスにも溢れるほど注ぎ入れる。

「お前さんと付き合っているのに、セックスには疎いとかなんとか口からでまかせを言っていたな。そんなはずはないだろう?」
「彼女は敬虔なキリスト教徒で、結婚するまでは男と肉体的関係を持たない考えなんだ。純潔を重んじている」
「はん! そんなお堅い女が現代に存在していたとはね。どうしてまたそんな女に……」

 ドラコはイデリコにグラスを掲げた。早く飲めよ、と言わんばかりに、ショットグラスの中味を飲み干して見せる。
 鼻から強いニワトコの花の芳香が抜け、喉の奥に燃えるような痛みが落ちていく。

 アルテミッズファミリーのドン、フェデリコの歳の離れた弟であるイデリコは、まだ40代半ばのずんぐりむっくりした小男だ。温和で物腰の柔らかいフェデリコとは違って、イデリコは短気でプライドが高かった。だが、兄のフェデリコへの忠誠心は固く、仲間思いの愛情深い一面もあったから、ファミリーの皆に好かれていた。

「兄者は、」
 と、イデリコは口を継ぎながら、ドラコと自分のグラスにまた酒を注いだ。
 二人の背後では、男たちが好きな酒を煽りながら、ビリヤードやダーツに興じている。
「あのアガサという女を気に入らないと思うぞ。なぜなら兄者は昔から、エマをお前とくっつけたがっているからな」

 ドラコは表情を変えずに黙ってイデリコの話を聞いていた。
 驚くこともなかった。ドラコはエマが自分に好意を寄せていることにも、フェデリコが二人をくっつけたがっていることにも、昔から気づいていたから。

「恩を感じていないのか、フェデリコに育てられただろう。父親と言ってもいいはずだ」
「忠誠を誓い、信頼を得ていると思っていた。結婚相手を決める権利は、俺にあるはずだ」
「生意気な……」
 イデリコはドラコのグラスにバーナーで火をつけた。
「飲め!」

 熱くなったそのグラスを持ち上げ、ドラコは強く息を吐いて炎を吹き消すと、ショットグラスの酒をまた一気に飲み干した。
 顔色一つ変えないドラコを、イデリコは憎々し気に見つめる。
 もしも今夜、ドラコが酔い潰されれば、イデリコの主張が通ることになるのだろうな、とドラコは受け止めた。

「聞けば、お前たちが偽装夫婦を演じてまで引きとったロシアの赤ん坊は、ブラトヴァの血を引くというじゃないか。はん! 赤ん坊が生きていると知れば、頭のいかれたウラジミールを筆頭に、ロシアンマフィアがこぞってあの赤ん坊を狙ってくるだろうよ」

 イデリコは自分のグラスにも火をつけて、同じように飲み干すと、すぐにまた新しい酒を溢れるまで注ぎ入れた。

「それに加えて、ノストラ―ドの血を引く赤ん坊まで引き受けるとは……、死んだマリオもそうだったが、ドラコ、お前も昔から手に負えないガキだった。次から次に面倒を呼び寄せやがって、ついにファミリーを窮地に追いやったんだ。ここまでくると、わざとやっているのかとさえ思えてくるね! はん!」
 酔いの回ってきたイデリコのだみ声はことの他大きく、彼のお小言に今や娯楽室にいる全員が耳を傾けて、空気にピリリとした緊張感が漂った。

 ドラコはグラスを掲げて、娯楽室にいる全員に聞こえる様に言った。
「コンコルゾ ディ ヴェヴォーテ、言いたいことがあるなら、杯で勝負しようじゃないか」

 男たちはゲームをしていた手を止め、皆、バーカウンターに集まって来た。

「そうこなくちゃ」

 イデリコが、いくつものショットグラスをカウンターの上に密に並べて、そのすべてに酒を降り注いでいく。
 互いの主義主張のアドバンテージを獲得するために、アルテミッズファミリーではしばしば、このような飲み勝負が行なわれた。
 全員で同じ酒を煽り、最後まで立っていた者の主張が通る。
 勝者が決まった後は、決してその話を蒸し返さない決まりだった。

 ある者は、ただ浴びるほど酒が飲みたくて面白半分に、そしてある者はイデリコと主張を同じくして。
 その夜、娯楽室にいたアルテミッズファミリーの幹部連たちは、ドラコ一人を酔い潰すために勇んでコンコルゾに参加した。





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