恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 5-7
新生児をリビングのモーレックのベビーベッドに寝かせたアガサは、もし今夜、ドラコが下りてこなかったら、彼を一人にしておこうと考えた。
とても傷ついた顔をしていたから、今夜は一人でいたいのかもしれない。
モーレックは、猫のモーニングを枕のように抱きしめてソファの上で眠ってしまったので、もう少しそのままにしておくことにした。気持ちよさそうだ。
ブランケットを首の上まで引き上げてやってから、アガサはモーレックの頭にキスをした。
肩の上に赤ん坊が吐いたので、アガサはベビースピーカーを持って、ランドリーリームに向かった。
そこで汚れたシャツを脱ぎ、洗い上がったばかりの別のパーカーを着る。新生児が身に着けていた衣服と血の付いたタオルケットも一緒に、洗濯機の中に入れて、スイッチを入れる。アガサは普段から自然に優しいオーガニック成分の洗剤を使っていて、柔軟剤は使用しないので、子ども用と分けて洗う必要は感じていなかった。
振り返るとそこに、ドラコがいた。
どうやら彼も、洗濯を出しに来たようだ。
「そのスーツ、洗うの?」
「気に入ってるんだ」
どうしても今日着ていたそのスーツを手放したくないようなので、アガサはシンクに水を張った。
「ここに入れて、つけおき洗いをするといいわ。前にあなたのアルマーニのスーツを洗ったとき、それで上手くいったから」
そう言って、アガサは特別配合のオーガニック洗剤をシンクに入れた。
ドラコからスーツを受け取って、皺にならないように折り目に沿って、水の中に丁寧に沈める。
それから二人でリビングに戻ったが、ドラコは生気の抜けた様子で、何も話さなかった。
「何か食べたい?」
と、聞いても、首を振るので、アガサは自分用にココアを入れるついでにドラコのマグも用意して、並んでソファーに座った。
ぱっと見回してみても、大きな傷はなさそうだ。右の額の上が裂けて、血が滲んでいるのだけは、処置をした方がよさそうだった。
「すぐに終わるから、ちょっとジッとしていて」
アガサは救急箱から抗生剤入りの軟膏を取り出すと、それを清潔なスパチュラで傷に塗り込んでから、ドラコの額に折りたたんだガーゼを当てて、包帯を巻いて固定した。アガサが手当をしている間、ドラコは放心した状態で、抵抗することもなかった。
ソファーの背もたれから大判のブランケットをとって、それをドラコの膝の上にかけてやる。
それからココアを手に持たせて、一口だけでも飲むように勧めた。
ドラコは素直に一口飲んだが、やはり何も言わなかった。
「生まれたばかりの赤ちゃんは、3時間おきにミルクを欲しがるのよ。今夜はここで私がこの子を見ているから、あなたは部屋に戻って休むといいわ。心配はいらないから」
ドラコの視線が、ソファーで寄り添って寝ているモーレックとモーニングに注がれていることに気づいて、アガサは言った。
「珍しく今夜は、仲良くしているみたい」
おもむろに、ドラコがクッションを引き寄せて、ソファーに横になった。そして足を伸ばして、隣に座るアガサの膝の上に足をのせてきた。
ずっしりと重たいが、何かを胸のうちに抱えて、苦しんでいるようなので、アガサは怒ることもせず、トントンとドラコの足を優しくさすって、子どもにするようにあやした。
アガサは何も言わなかったし、聞かなかった。
本能的にわかっていたのだ。
悲しみの中で本当に苦しんでいる人には、ただ寄り添って、温もりを分け与えることしかできないと。
暖炉の中で燃える薪を虚ろに見つめながらドラコがぽつりと呟いた。
「俺は死んだら、地獄に堕ちるのだろうか」
と。
「神に救いを求める人は、天国に行くのよ」
と、アガサは答えた。
「じゃあマリオは。……マリオと、アナトリアは、今夜俺の目の前で死んだよ。彼らは、どこに行ったと思う」
「神は愛によって、すべての人を救ってくださった。誰でもイエス・キリストの救いを受け取るなら、天国に行く」
「イエス・キリストを知る余裕さえなかった者はどうなる?」
「あなたが彼らを愛するなら、きっと一緒に天国に行ける。なぜなら、愛には、罪のくびきをとり去り、死の中から命をすくいあげる力があるから」
不意に、ドラコが片腕で顔を覆い隠した。
アガサは、ドラコのもう片方の手を握った。
「誰でも二人が、心を合わせて祈るなら、神はその祈りを聞いてくださると聖書には書かれている。ドラコ、一緒に祈りましょう」
ドラコは返事をしなかったが、アガサはドラコの手を握ったまま、声に出して祈りを唱えた。
――神様。
それは、子守歌を歌うときのような、優しい声だった。
――どうか、私たちの魂を憐れんでください。
今夜、この地上を離れていった魂たちが、今は平安であるように。恐れも痛みもない世界で、どうか彼らを休ませてください。
今夜、この地上に残された者たちに、静かな慰めをお与えください。希望を失わずに明日も目覚めて、生きることができるように。
ただ愛によって。イエス・キリストの愛によって、生と死のかどにある私たちを結び合わせてください。
あなたが与えてくださった愛によって、私たちにも、失われた兄弟姉妹を引き上げさせてください。
――天におられる父なる神様。
あなたは真実な方なので、私たちの心からの願いをご存じで、それを軽んじられません。
私たちが永遠の命の恵みに預かるとき、今夜私たちが願っている愛する人々をそこに共にいさせてください。イエス・キリストの御名によって、心からお祈りします――アーメン。
アガサはそのまま横になってドラコを後ろから抱きしめて、ソファーで一緒に短い眠りについた。
彼女の華奢な腕の中で、ドラコは不思議と安心して目を閉じた。
悲しみは癒えなかったが、ドラコの心の内にあった棘のような苦しみはいつしか消えて、音や香りや温もりが戻ってくるのが感じられた。
そうして暗い夜は、ゆっくりと明けていった。
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