恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 5-6


 今夜は遅くなると言って出ていったドラコのことを、アガサは遅くまで起きて待っていた。
 モーレックも、今夜は子ども部屋では寝ないと言うので、リビングのベビーベッドで休んでいる。

 9月も下旬になると、マウント・グロリアの夜は涼しくなってくる。
 眠っているモーレックが寒くないように、アガサはこの夜、夏の間はずっと使っていなかったセントラルヒーティングの栓を開いた。
 深夜の12時を回ってもドラコが帰って来なかったので、アガサは胸騒ぎがして暖炉に火を入れた。

 すごく疲れて帰ってくるかもしれない。
 もしかしたら、どこかに怪我をしてくるかもしれない。
 悪い想像ばかりが先だった。

 初めて出会った嵐の夜のことを思い出して、アガサは暖炉にお湯を沸かし、湯たんぽを準備した。
 スープをキッチンの薪ストーブの上で保温する。
 念のため清潔なタオルと、救急箱も準備した。

 モーレックが目を覚まして、アガサを呼んだ。
「どうしたのモーレック、目が覚めちゃった?」
「だら、」
「まだ帰って来ないわ。もしかしたらお友達との会話に花が咲いて、今夜は帰らないのかもね」
「だら、まま、もれっく」
 アガサはモーレックを抱き上げて、背中を優しくさすってやった。
 どうやら、どんな呼ばせ方をしても子どもの愛情は押しとどめることができないようだ。歪な形だけど、家族三人。ドラコが何者であっても、そしていつか消え去ってしまうとしても、モーレックにとっては今、傍にいるのが当たり前になった人なのだ。それはもう、パパという存在とどう違うのだろうか。

「パパよ。ドラコはあなたに、パパと呼んでもらいたいんだって。無事に帰ってきたら、そう呼んであげてね」
「ぱぱ……」
「あ、帰って来たみたい」
 城の前にストラダーレが停まる音がした。
 アガサはモーレックを抱いたまま、広間に出た。
 ほとんど同じタイミングで、ドラコが玄関から入って来た。
 アガサとドラコの目がすぐに合った。

 生きてはいるが、死んだような顔をしているドラコの姿を見て、アガサはなんと声をかけたらいいか分からなかった。
 髪は乱れ、額から血を流している。服には血がついていて、顔や、手には細かな傷ができている。まるで爆発事故にでも遭遇した人のように、全身が薄汚れていた。
「アガサ……」
 泣き腫らしたような目を向けてくるドラコを、アガサはそっと抱きしめた。
「おかえり」
 ドラコの頬から涙が伝い落ちた。
「この子の様子がおかしいんだ。息をしていないかも」
 ドラコが腕の中に大切に抱えている白いものを見せてきたので、アガサは心底驚いて、息を呑んだ。まだ生後間もない新生児ではないか。

 アガサはドラコから赤ん坊を受け取って、急いでリビングに向かった。床に置かれたモーレックが、その後を追う。
 血まみれのタオルケットを外し、清潔なタオルの上に寝かせて、赤ん坊の全身を確認する。怪我はないようだが、吐いたものが口に詰まっているようだ。体が冷たくなって、ほとんど息をしていない。アガサは赤ん坊を縦向きに抱いて背中をたたいた。すると、赤ん坊がアガサの肩の上で吐いて、ケホケホとむせた。それから、力ない泣き声をあげたので、アガサはほんの束の間ほっとする。
 体温が下がっているので、汚れた赤ん坊の服をすべて脱がせてタオルでくるみ、ミルクを作る間だけ、赤ん坊をソファーの上に寝かせて背中に湯たんぽをあてがった。
 部屋の中を温めていて幸いだった。
 新生児用の粉ミルクがないので、モーレックのフォローアップミルクを一番小さい哺乳瓶に作って、アガサは赤ん坊の口にあてがった。
 まだ母乳しか飲んだことがないのか、赤ん坊は最初のうち哺乳瓶を嫌がったが、根気強く口に含ませると、泣きながら、少しずつ飲み始めた。

 ドラコとモーレックが、呆然と立ち尽くして、アガサと赤ん坊を見ている。
 それに気づいて、アガサが声をかける。

「ママは一人しかいないのよ。今は手が離せないから、モーレックはここに座って、体を温かくしていて。ドラコ、あなたは着替えて、体を清潔にしてきて。ここは大丈夫だから」
 二人とも返事はしなかったが、言われた通りにした。

 モーレックは暖炉に一番近い一人がけのソファーになんとかよじ登って座り、膝の上にブランケットをかけてもらうと、ママの様子をじっと見守った。いつもとは違う、何か大変なことが起きていることに気づいているようだ。珍しく猫のモーニングがモーレックにピッタリ寄り添って、同じソファーの上で丸くなった。
 
 なんとか、80ミリリットルほどのミルクを飲んだところで、赤ん坊は眠りについた。
 新生児には大きすぎるが、今夜はそれしかないので、アガサはモーレックのオムツを赤ん坊に履かせ、モーレックの古い肌着とカバーオールを着せこんだ。
 
 



 部屋に戻ったドラコは、すぐにラットに電話をして、アルテミッズ・ファミリーの緊急回線を開かせた。
 仲間たちに警告を与えるためだ。
 マリオから渡された手帳のリストに全て目を通したドラコは、マリオが多くの仲間たちの情報をすでにノストラ―ドファミリーに流してしまったことを知って深く傷ついた。
 中には、ニコライやアーベイなど、ドラコがよく知る仲間たちの名もあった。
 リストにアガサの古城がなかったことに安堵しながらも、ドラコは極秘の緊急回線で、ノストラ―ドファミリーに名前と居場所を知られた仲間たちにメッセージを送った。
――危険が迫っている。用心し、身を潜めて指示を待て。居場所がばれている。
 そしてこうも付け加えた。
――裏切者は、死んだ。
 と。

 それからドラコは、イタリア本部にいるドン、フェデリコに事の次第を報告する文書を送った。
 すぐに返事があった。
――近日中に緊急会合を開く。連絡を待て。

 それから、短いシャワーを浴びてトレーニング用のシャツとパンツに着替えた。
 頭がボーっとして、もう何もやる気が出なかった。





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