恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 5-12
ニースのヴァンス村のロザリオ礼拝堂で祈ったときから、ドラコはアガサと結婚することを心に決めていた。
以来、機会さえあれば彼女に贈る婚約指輪を探して宝石店を見て回っていたのだが、どうしても気に入るものを見つけられずにいた。そこで、ニースから帰ってくるとすぐに、ドラコはロスにある5つの高級宝石店のうち、最も店員の印象が良かった小さな老舗の店で、フルオーダーの指輪を作ってもらうことにしたのだった。
オーナーは、バルタン・カザンジアンという名のアルメニア人で、物腰が柔らかく穏やかな外見をした50代半ばの立派なスーツを着こなした紳士だが、その内面には強い芯を感じた。ドラコの希望を聞くと、バルタンはその店で一番腕のいい彫金職人で、同じくアルメニア人のジョーラという女性を紹介してくれた。
ジョーラは30代半ばの既婚女性で、家族全員が熱心なキリスト教徒であったことからも、道徳心の固い、真面目な女性だったが、彼女は店に入って来たドラコを一目見て、不覚にも生まれて初めて、夫以外の男性に性的な関心を持った。
背が高く、決して痩せていないのに、スリムでがっしりした彼の体型はまずもってして男性的な魅力に溢れていた。
そればかりか、彼の仕草には一瞬たりとも隙がなく、洗練されていた。
初めてオーナーのバルタンと対面した者は、大抵はそのオーラに圧倒されるが、彼は少しも物怖じすることなくオーナーと挨拶を交わし、握手をして、ジョーラにも同じように、丁寧だが、堅苦しすぎない挨拶をし、彼女がすすめた椅子にゆっくりと腰かけた。その一挙手一投足のすべてが流れる様に自然なのに、目をそらせなくなるほど魅力的だった。
着ているスーツも靴も上等で、これ以上ないくらいセンスがよく、彼の体にぴったりと合っていた。
フルオーダーの婚約指輪を製作するにあたり、最初に予算を尋ねると、彼は「必要なだけ」、と答えた。
つまり、予算に上限は設けないということだ。
ジョーラは、彼の顔をまじまじと見つめた。
端正な顔立ちはハンサムなのに間違いはないが、それよりも魅力的なのは彼の表情だった。
パッと見、表情の乏しい冷たい印象を与えるのに、『彼女』のことを聞かれると、その深い海の底のようなブルーの瞳が、太陽を見つけた子どものように光る。
彼の話す言葉には落ち着きがあり、的確で、無駄がなかった。
額にかかる黒い髪は、清潔に切りそろえられているが、どこか無造作なのが、ことさらに彼の男性的魅力を強調しているように見え、彼と目が合うだけで、ジョーラはちょっとした快楽を覚えるほどだった。
なんて危険な魅力を漂わせている男性だろう。
こんな素敵な彼の心を射止めた幸いな女性は、一体どんな人物かしら、と、ジョーラは考えた。
次にジョーラはドラコに、指輪を贈るお相手の指のサイズを尋ねた。
すると彼は肩をすくめて、「サプライズにしたいから彼女の指輪のサイズは聞いていない」、と言った。
でも、何度か手を繋いで確かめたと言うので、ジョーラはそのような客のために用意しているグリップドールの手をいくつか渡してみた。
彼は身を乗り出して、最初は目視で人形の手を観察し、やがてその中から一つの手を実際に触ってみて、すぐに「これ」、と言った。
彼が選んだのは7号の指だった。どうやら彼のお相手は、一般的な女性よりも小柄で、細い、ということをジョーラは窺い知る。
「素材はどんなものにしましょうか?」
と、ジョーラは訊ねた。
今度も答えはすぐに返ってきて、プラチナとダイヤモンドにしたいとのことだった。
婚約指輪としては王道の選択だ。
「大きな、目立つものを贈りたいんだけど、彼女は家事をよくするし、ガーデニングが趣味なんだ。それに、仕事もしているから、大きくても、邪魔にならないデザインがいい。さもなければ、彼女はせっかく贈った指輪をしょっちゅう外してしまうだろうから」
と、彼は言った。どうやらそれが、彼の最大の悩みらしい。
それから不意に子どものようにイタズラな表情を浮かべた彼は、
「一度つけたら絶対に取り外せない指輪は作れる?」
と、無邪気に尋ねてきた。
あれだけ隙が無いのに、その一瞬だけはどこか無防備で、可愛らしく見えるのが、ジョーラの心をわしづかみにした。
そんな指輪はもちろん作れない、と、ジョーラは応えてから、だが、日常生活の中でなるべく彼女がつけっぱなしにできることをコンセプトに指輪をデザインすることを提案した。
「彼女は草花やハーブが好きで、着ているものはいつも地味なんだ。だから、派手なものはあまり好まないと思う。それと、敬虔なキリスト教徒だから、何か意味のある仕掛けがあるといいんだけど、例えば7とか。クリスチャンは7とか3という数字を好むらしいんだ」
7は神の完全数。3には永遠、という意味がある。
もちろん、ジョーラもそれらの数字の意味を知っていた。
「わかりました。ダイヤモンドのカットはアイディアルメイクにしましょう。原石の輝きを最大限に引き出すだけでなく、このカットは【七色】の眩しい煌めきを実現します。そしてダイヤモンドには、最高の職人の手をかりて、あえて3つの傷を刻み込むことで、光にかざしたときに三角形のプリズムが浮かび上がるようにすることができますが、いかがですか?」
ただし、これはシークレットプリズムという仕掛けで、とても高い職人技を要するため、お値段は相当高くなる、ということをジョーラは念のため付け加えた。
彼は少しも迷うことなく即決した。
「いいね、それで頼むよ」
最後に、リングの内側に文字を刻めることを伝えると、彼は少しはにかみながら、スーツのポケットから折りたたんだ紙を取り出して、それを差し出してきた。
――Dear A from D, You are the color of my world.
( Dより親愛なるAへ、君は僕の世界の色そのものだ。 )
受け取ったメモを見て、ジョーラは顔をほころばせた。
彼に愛されている女性は、本当になんて幸せなんだろう。
「すべて仰せのままに」
ジョーラは依頼を引き受け、契約は成立した。
「こんなに恥ずかしいのは生まれて初めてだよ」
と、ドラコは少しだけ頬を赤らめて困ったように笑った。
「彼の要望には応えられそうかい、ジョーラ」
客のいなくなった店内で、バルタンは有能な部下の印象を伺った。
「はい、これまで手がけた中でも例を見ない骨の折れる製作にはなりそうですが、きっと最高のものを作り出してみせます」
オーナーのバルタンは部下のその言葉を信じて疑わなかった。
◇
注文した指輪が完成するまでには数カ月が必要だった。
イタリアにいるドン、フェデリコからの招集命令が届いたその日に、ドラコが注文した婚約指輪はついに完成して、店からドラコの手に引き渡された。
出来上がった指輪は想像していたよりも素晴らしいものだった。
ダイヤは平面を杉の葉をモチーフに象られ、高さを押さえて凹凸を少なくした分、前後に大きくカットされていた。プラチナの台座とリング部分は樹の幹を模して造形され、長く装着していても指の負担になることがないように、甲部分には繊細な丸みが与えられていた。
杉の木には、『君のために生きる』という意味がこめられている。
見た目の美しさもさることながら、アイディアルメイクのダイヤの輝きも素晴らしく、例のシークレットプリズムも、店内で実際に見せてもらって本物であることを確かめた。光をかざすと、天井に三角のプリズムが輝き、その中にAとDの文字が影となって浮かび上がった。この仕掛けは店側の特別な計らいで、ドラコにとってもサプライズだった。
こうして細部にまで意味を持たせた特別な指輪が完成し、ドラコは心から感謝してバルタンとジョーラに礼を述べると、滞りなく支払いを済ませた。
イタリアのボスからの緊急招集の連絡を受けたことが気がかりだったが、ドラコはその日はアガサにプロポーズすることだけを考えて早めに古城への帰途についた。
◇
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