恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 5-11


 ドラコからもたらされたマリオの裏切りの報せにより、世界中に散らばるアルテミッズファミリーの仲間たちはいつも以上に警戒し、用心して過ごしていた。それによりある者は危機を逃れたが、ある者はそれでも命を落とした。

 ドイツ、ベルリン支部には、アーベイ率いる優秀なチームが派遣されていた。
 あまり知られていないことだが、ベルリンには組織的暴力団が多数存在し、警察さえ足を踏み入れたがらないような無法地帯がある。かねてから、ドイツの優れた製造技術を利用したいと考えていたアルテミッズファミリーのドン、フェデリコは、ベルリンにそのような無法地帯があることを好ましく思っていなかった。そこで、アーベイにその地方の交通整理を委ねた。
 几帳面で豪胆なアーベイは、ここ数年で見事にドンの願いを叶え、ベルリンに巣食う荒くれ者をねじ伏せてかの地の治安を取り戻すことに成功した。
 そればかりではない。アーベイはドイツの機械工業とアルテミッズファミリーの結びつきを強固にして、たとえば、ドラコたちがニースで使用した装備、超小型の高性能インカムなどを製作するメカニカルチームを立ち上げた。彼らによって、他にも、アルテミッズファミリー御用達の装備や機械が日夜、特別に開発されている。

 アーベイには、実の家族のように大切にしている腹心の部下が3人いた。ノア、ヘンリー、ジョナスの3人だ。
 彼らは、アーベイが妻と息子を交通事故で失って人生のどん底をさまよっていた時にも見捨てずに、彼を引き上げてくれた仲間たちだった。
 この度のドラコからの警告を受けて、アーベイはその3人の仲間たちとともに直ちにアジトを移動した。

 だが、遅かった。

 新しいアジトに移動したときには、すでにノストラ―ドファミリーから目を付けられ、巧妙に狙いを定められていたのだ。
 引っ越したばかりの建物は荷物をほどく前のまだ無防備な状態に襲撃され、半壊し、辺りには血の臭いが満ちて、アーベイだけが生き残った。
 
 ノストラ―ドファミリーは、影のように闇に紛れ、獲物を獰猛に追い詰める暗殺者集団だ。
 まともにやりあえば、アルテミッズファミリーとてただではすまされない相手。だからこそ、沈黙の掟が結ばれていたのに、マリオがノストラ―ドの娘に手を出したせいで、今やその掟は空虚な幻想となり、死の報いが容赦なく仲間たちに向けられていた。

 アーベイは仲間たちの骸を抱いて、声を上げて泣いた。





 同じころ、モスクワではニコライがルイスをはじめとする部下たちを先に逃がして、最後に自分も住み慣れた隠れ家を引き払おうとしていた。
 聖ペテロ・パウロ大聖堂やゴリヤノヴォの孤児院とのアルテミッズファミリーとの繋がりは、万が一のことを考えて時間をかけて完全に隠蔽したので、心配はないだろう。
 数日間眠らずに仕事をしたので、最後に息抜きがしたくなったニコライは、住み慣れた隠れ家にバーで知り合った女性を連れ込み、あのギシギシ音の鳴るベッドで情熱的で巧みな、官能の一夜を楽しんだ。
 そうやって無心に快楽を貪った彼は裸のまま女と眠り、明け方に嫌な音を聞いて目を覚ました。――誰かが、家の中にいる。
 瞬時に殺気を感じたニコライはベッドから転がるように床に伏せて、ベッドの下から銃を取り出して反撃した。
 銃声に目を覚ました女が悲鳴を上げる。
 黒ずくめの侵入者がベッドにいる女に銃口を向けたので、ニコライは彼女を引きずり下ろし、ベッドの下に身を隠させると、その一瞬のすきに迫って来た男たちによって取り押さえられた。

 ニコライを取り押さえて壁に押し付けてきた男は、彼のことを「ロシアの変態」、と呼んだ。そう呼ぶのは、ファミリーを抜けたマリオだけだったことを思い出して、ニコライはマリオが裏切者だという報せが、やはり本物だということを改めて思い知った。

 ニコライは観念して両手を上げた。
 相手も、ニコライが銃を捨て、おまけに全裸だったので油断をしたのだろう。
 ほんの刹那の、一瞬の隙をついて、ニコライは自分を取り押さえている男の顔に両手をかけて、勢いよく回して首を折った。そのまま男を抱きかかえて盾にすると、男の持っている銃で部屋に入って来た残りの敵を全員撃ち殺した。

 一夜を共にした女は無事だったが、血なまぐさい一部始終を見てしまったので完全に動揺し、言葉を喋れなくなってしまっていた。

 ニコライは床の上で震えて動けなくなっている女にシーツをかぶせてやると、自分は素早く服を着て、二度と戻ることはないだろうお気に入りの住処を後にした。





 ニューヨークでも、上海でも、シンガポールでも、そして本部イタリアでも、ファミリーの仲間たちが次々にノストラ―ドファミリーから襲撃された。
 ただ一つ、ロサンゼルス支部をのぞいて。

 フェデリコは、ドラコとマリオが兄弟のように仲が良かったことを知っていたので、ほんのわずかに、ドラコが裏切者のマリオと通じていた可能性を考えた。
 ドラコはフェデリコの一番のお気に入りで、フェデリコが我が子のように大切に思っている存在だ。
 だから、そんな可能性については考えたくなかったが、

――鉄は火をもって打ち叩き、忠誠な刃であるかを確かめる必要があるだろう。

 こういうときのフェデリコは誰よりも冷酷だった。


 エマから聞いて知っている。
 最近のドラコは、あるキリスト教徒の娘に恋をしているようだと。
 ドラコにはいずれ、フェデリコの最愛の娘であるエマと結婚してもらいたいと思っていた。不思議なことにドラコの方は、賢くて美しいエマに対しては、これまで一度も隙を見せたことはないが、エマの方は昔からドラコに恋心を抱いているというのは、フェデリコもよく知っていた。いつかドラコとエマの子どもを孫として自分の腕に抱くことができればどんなに幸せであろうかと、最近のフェデリコは夢に見ている。

 モスクワの孤児院から養子を引き取るために、ドラコがフェデリコに相談もなく一般人の女と婚姻契約を結んだことは想定外の事態だが、書類上の契約など後でどうとでもなる。
 フェデリコはさして心配していなかった。
 ドラコは聞き分けのいい、賢い男だ。
 会合で裏切者のマリオとの関係を問い、同時に、この機会に一般人の女との縁を切らせ、イタリアに置くことにしよう。
 そしてマリオとノストラ―ドの娘との間に生まれた不義の子は、……ドラコの返答いかんでは、生かしておくつもりはない。

 ワイングラスを片手に、黄金に輝くブドウ園を見渡しながら、フェデリコの淡いブルーの瞳が氷のように光っていた。





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