恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 4-13
ブラトヴァに襲撃されたせいでモーレックの身の回り品をすべて置いてきてしまったので、飛行機が出発する前に、空港内にあるいくつかのベビー用品店を回って、買い物を済ませなければならなかった。
粉ミルクに、紙オムツ、予備の着替え、寒くなったときのためのおくるみ……。
本当にそんなに必要なのかよ、という量の荷物を、ドラコは再び持たせられる。幸いだったのは、アガサは買い物をするときにほとんど迷わないことだった。何が欲しいか、何が必要かをよく分かっているのだろう。
それに、一緒に買い物をしている間は、アガサも時折、ドラコに意見を求めてくるので、二人でモーレックの物を選んでいるのが、なんだか本当の夫婦みたいでドラコには嬉しかった。
「あとは、飛行機の中でモーレックの耳が痛くなった時の、耳抜き用のおしゃぶりが欲しいわ。こういうふうに、胸のところでクリップで留められるやつ」
アガサがシャツの胸元を指でつまんで見せた。
「これは?」
「いいわね。何歳用って書いてある?」
「生後1歳まで」
「それにするわ。あと、予備に別の形のも一個買っておく」
おしゃぶりに、予備?
いざとなれば指でもしゃぶらせておけばいいんだ、と、ドラコは思ったが、口には出さずに、アガサを見守る。
どうせあと一か月で消えてしまう命だろうに、赤ん坊への愛着など沸くはずもないのだが、なぜかアガサが大切にするものは、ドラコも大切にしようと思えた。
◇
ロサンゼルスの古城に帰ってきてから、日々はめまぐるしく過ぎた。
日々、アガサとモーレックを観察していて、ドラコは、小さな子どもを育てる女には手助けが必要なことに気が付くようになった。
たとえば、アガサがモーレックを抱えているときは、何かを代わりに持ってやったり、取ってやったりする必要がある。一か月もすると、ドラコは言われなくてもアガサの求めていることがわかるようになり、自然と手を貸すようになった。
アガサの甲斐甲斐しい看病のかいあってか、モーレックは日毎に赤ん坊らしい丸みを取り戻し、可愛らしくなってきた。
赤ん坊らしくよく泣き、まだ言葉にならない音を発して、自分なりによく喋った。
何を言っているのかは分からないが、発せられる音にはモーレックの感情が乗っているので、怒っているのか、文句を言っているのか、はたまた、何か面白い発見をしてそれをアガサに報告しているような、興奮した様子のときもあった。アガサはその一つ一つに大げさに反応して、独自の解釈をくわえてモーレックと対話をしているのだが、ドラコはそれを聞いているのもまた好きだった。
アガサはモーレックのためによく歌を歌ったが、寝かしつけのときによく歌うララバイは、特にドラコのお気に入りだ。
初めてそれを耳にしたのは、ベビーモニターの音声を通してだった。
モーレックのベビーベッドは、キッチンにも、リビングにも、アガサの部屋にも、子ども部屋にもあったが、それらの全てにベビースピーカーを取り付けていて、他のスピーカーから音を拾うことができた。
その日、ドラコが一人でリビングでくつろいでいると、リビングに設置されているベビースピーカーから、子ども部屋の音が聴こえてきた。
風呂上がりにモーレックにミルクを飲ませて、モーレックのために短い祈りを捧げるアガサの声がした。
それから、アガサとモーレックは例のかみ合っているようで、かみ合っていないような会話をし、やがてアガサがハミングを口ずさみ始めた。
あかちゃん、目を閉じて
誰もあなたを責めたりしないから、悲しまないで
あかちゃん、目を閉じて
明日になれば、今日よりもきっと傷は癒えるから
心配な日のことも笑いながら話す日がくる
もうダメだと思ったときも
きっと霧が晴れるときがくる
耳を澄まして
ママのララバイ
やわらかい時間が流れて
子羊たちが夢の中を走っていく
雲の草原の上を、新しい世界に向かって
そしてあなたは眠り、
朝が来ると心強い気持ちで目覚める
夢の間 ママのララバイが聴こえ続ける
耳を澄まして
ママがここにいるから
やわらかい時間が流れて
朝が来たら、あなたは希望に満ちてまた目ざめる
『モーレック、大好きよ。』
不意に静かになって、モーレックが眠ったのがわかる。きっとアガサは、赤ん坊の額にキスを落としているだろう。
この平穏な時間を、ずっと守ってやれたらいいのに、と、ドラコは思う。
医者が宣告した余命どおりに、モーレックが本当に死んでしまったら、アガサはきっと泣くだろう。その悲しみを埋めてやることは、きっと誰にもできない。
およそ、ドラコが親から感じたことのない愛情を、アガサとモーレックの関係から感じ得ることができた。
子どもの頃に、もし自分が親からそのように愛されたなら、世界は何色に見えただろうか。
酒飲みで、よく母親に暴力をふるった父親と、そんな父親の元から逃げ出した母親を追いかけて、路上に置き去りにされた幼少時代を、ドラコは今でもよく覚えている。別に親を恨んではいない。むしろ、それが人間の自然な姿だと思っていたから、ああなることは必然だったし、誰を責めても仕方のないことだ。
だからこそ、ドラコはモーレックを羨ましく思った。
愛されることは、奇跡みたいに特別なことだと思うから。
どんなに努力しても、誰もがそれを手に入れられるわけではないことを、ドラコは身をもって知っていたから。
◇
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