恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 4-11


 日曜の礼拝ごとに、聖ペテロ・パウロ大聖堂の信徒たちと心を合わせてアガサは跪き、ともに神に祈りを捧げていた。
 聖ペテロ・パウロ大聖堂は、ロシアで最も古いプロテスタント教会の一つだ。
 ゴリヤノヴォの孤児院の修復作業を急ピッチで完了したエミール爺さんが、シャローム・プロジェクトからの支援で、今は教会の復旧作業にとりかかってくれている。
 アリョーシャ副牧師は、ブラトヴァの襲撃の際に顎の骨を折るという大怪我を負ったが、皆の祈りの甲斐あってみるみる回復し、すでに痣も腫れも引いてきている。
 ソーニャの腕には痛々しい包帯が巻かれているが、彼女もいつもと変わらず、明るくて元気だ。

 聖ペテロ・パウロ大聖堂はシャローム・プロジェクトのロシア拠点となり、今後も働きを拡大させていくことになった。
 毎週の日曜の午後には、教会の敷地内で地域の人々を招いた炊き出しが行われる。カザンスキー駅でパンを盗んだ少年が、今では炊き出しの重たい食材を運び、教会の婦人たちの手伝いをする、立派な奉仕者に名を連ねている。たまに盗み食いをしてソーニャにこっぴどく叱られているが、そんなふうに怒られ、尻を叩かれることも、少年にとっては楽しいことのようだった。
 アリョーシャ副牧師とソーニャは、いつも自分たちのことは後回しで、人に与えることばかりを考えているような兄妹なので、アガサはこの二人の働きには惜しみなく神の富を分け与えることを心に決めた。多くを持つ者は、多くを分け与えることができるが、持たざる者は、神の祝福によりさらに多くを分け与えることができるのだ。アガサは、この兄妹の信仰から多くの励ましを受けた。

 ゴリヤノヴォの孤児院は、ニコライ率いるアルテミッズ・ファミリーのモスクワ支部が、秘かに見守ってくれている。
 もう再び略奪者に奪われることはないが、聖ペテロ・パウロ大聖堂と同じように、日曜ごとに子どもたちを交えた交流会を開催し、多くの食事を無償で振舞っているから、むしろ略奪にあっていた時期よりも、多くの物を地域に放出していた。豊かに、溢れるほどに。少ないものを奪い合っていた地域が、豊かに分け合い、助け合う地域に変わった。
 引き続き教会との密接な連携の中で、ゴリヤノヴォの孤児院もシャローム・プロジェクトの関連組織に加えられることになった。

――ロシアで神が見せてくださった御業に感謝と賛美を。
 彼らの祈りは炎と煙になって、神のもとに昇っていく。
 神の国の働きがこれからも発展していくように、信徒たちの祝福を増し加えてください、と。
 アガサはアリョーシャ副牧師やソーニャ、そして教会や孤児院の奉仕者たちとともに肩を並べて同じ神に心からの祈りをささげた。


 帰国の日の日曜日、賑やかなガーデンの炊き出しの席には加わらないで、アガサとドラコは礼拝堂の中に留まっていた。
 祭壇の十字架の下で、この日は一人跪いて祈っているアガサを、遠くから見つめながら、ドラコは後ろの方の席に腰かけて、ふと十字架を見上げた。
 アガサと書類上の婚姻関係を結んだ後も、彼女との関係は以前と全く変わっていない。
 一歩前進、そう思えたのもつかの間のことで、『偽装夫婦』と言われるたびにむしろ彼女との関係はまた遠ざかってしまっているようにさえ感じられた。

――神様。
 ドラコは心の中で祈った。というよりも、正確には神に文句を言った。
――彼女の俺に対する酷い仕打ちを見ましたよね。
 と。
 命がけで助けに来たのに、地獄に蹴り落とすと言われたし、彼女は俺を本当の夫にする気は少しもないみたいです。
 彼女があんなに強情なのは、あなたのせいですよね。
 と。
 そうしてドラコは深く息を吐いた。
 傷ついているし、悲しい。何をすれば彼女に気に入ってもらえるのかが分からず、霧の中で不安が募る。
――どうか俺を、彼女に相応しい男にしてください。
 たまらなくなって、心の底からの願いを吐き出した。

 と、何故か聖書を開きたくなった。
 椅子の背もたれに置かれている聖書が目に留まり、それを手に取って何気なくページを繰ってみると、ある一節に視線が引き寄せられる。
『夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しない。それは、あなた方の祈りが妨げられないためです。第一ペテロ3章7節』
 ドラコは眉をひそめて顔を上げた。


 そのころ、祭壇の下では、アガサがドラコのために祈っていた。
――神様。御心ならば、どうか彼を神の家族に加えて、彼を私とともに、神の食卓の末席にでも座らせてくださいますように。
 その時、聖書の御言葉を開くように心が促されて、アガサは膝元に置いていた自分の聖書を手に取った。
 何度も読みこんでいるページは、苦労することなくすぐに開かれた。
『妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。 第一ペテロ3章1節~2節』

 アガサが振り返ると、後ろの方の席に座っているドラコがこっちを見ていて、二人の目が合った。
 アガサはもう一度聖書の御言葉に目を落とし、そして、そっとそれを閉じた。
 決して口にはすまい。
 だが、彼女は信仰によってその言葉を心に留めた。





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