恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 3-13


 ガブリエルは、ただ一つだけ製作しておいた気化タイプの無毒化薬を車に積んで、急いでやってきてくれた。
 まさかこれを本当に使うことになると思っていなかった彼は、ベネディクト社のウイルスが予想外に早く拡散してしまいそうな事態となっていることを恐れ、取り乱していたが、それでも正装したアガサとラットを見ると、何か自分にできることはないかと申し出てくれて、二人をニース港に停泊するアルカトラズまで送り届けてくれた。

 外側から見ると戦艦のように見える重厚なアルカトラズは、船内に入ると一転、罪深さを感じるほど豪勢に飾り立てられ、様々な光に輝いていた。
 普段は楽な恰好で過ごしているラットも、この時ばかりはアルテミッズ・ファミリーの一味らしく、ダークカラーのタキシードをスマートに着こなして、アガサをエスコートしてくれた。ドラコに鍛えられているというだけあって、ラットの体つきもやはりガッシリしていることに、アガサはこのとき初めて気づいた。

――『ボス、到着しました。僕とアガサはニコライと合流して、ウイルスの無毒化に対処します』
――『彼女を頼んだぞ、ラット』
――『わかってます。もし弾丸が飛んでくるようなことがあれば、盾になるくらいのことはできますよ』
 と、ラットが冗談ともとれぬ口調で言った。
――『それと、フランス政府からベルトヴァに、大量の金が流れていたことが分かりました。中東で起きた戦争を鎮圧するために、フランス政府がベルトヴァを利用したみたいです。以来、癒着関係が続いていたようです』
――『その関係は今も続いているのか』
――『いいえ、今年の3月から、金の流れがピタリと止まっています。ベルトヴァはこれを不服として、金のかわりにベネディクト社の生物兵器の権利を求めています』

 ラットの調査結果を受けて、ドラコの中で一本の線が繋がった。
 これで、ベルトヴァが今夜、力づくで生物兵器を奪いに来るのは間違いない。
 だが、ベルトヴァが求める生物兵器はここにはなく、代わりに、彼ら自身を殺傷する装置が仕掛けられている。おそらくは、フランス政府が用済みになったベルトヴァを消そうとしているのだ。正面からベルトヴァだけを叩けば巨大なロシアン・マフィアからの報復は免れない。だから、オークション会場に集った犯罪者集団をすべて巻き添えにして、抹殺するつもりなのだろう。マフィア同士の抗争、あるいは、適当な理由をつけて事故に見せかけた方が、フランス政府にとっては都合がいいはずだ。
 そうと分かれば、長居は無用だ、と、ドラコは思った。


――『全員よく聞いてくれ。アガサが装置の無毒化を成功させたら、ただちに撤退する』
 ドラコがそう言った直後、突如インカムから複数の破裂音が入って来て、仲間たちは思わず耳を押さえた。ニコライがロシア語で毒づいている声が聞こえてくる。

――『ニコライ、大丈夫か』
――『生きてますよ、ボス。奴ら、俺を見たら挨拶もせずいきなり撃って来やがった。一人仕留めたが、もう一人がどこかに……』
 パン! パン! パパパパン!!
――『キチガイめ! 俺は奴を引き付けてこの場から離れるよ。ここで撃ち合ってちゃあ、二人の仕事の邪魔になるからねえ』

 アーベイの声がインカムに届く。
――『ボス、トラブルだ。船底部に多数の爆弾を発見した。時限式で、あと30分で起爆する』
――『解除できそうか?』
――『数が多すぎて無理だ』
 ドラコはすぐに思考を切り替える。
――『アガサ、30分以内に対処できるか』
――『10分もかからないわ。装置にたどり着けさえすれば、だけど……』
 不意に訪れた不自然な沈黙に、皆が耳を澄ませた。
――『どうした?』
 インカムの向こうで、アガサが小さな悲鳴を上げ、何かが激しくぶつかり合う音が続けざまに起きた。おそらく男が揉み合い、殴り合っている。
 そして、ラットの怒鳴り声。
――『この先の扉の向こうだ! コイツは俺が、……先に行って!』
 それに応じて、アガサが走り、呼吸を荒らげて扉をくぐり、必死に落ち着こうと神に祈りを捧げる声が届く。
 ドラコの心拍が否応なしに上がった。
――『そっちに向かう』

 ドラコは同じ会場にいるエマに合図を送り、二人並んでオークション会場の出口に向かって歩き出した。
 だが、どうしたことか扉がロックされて開かなかった。
――『どうなってるんだ?』
――『私たち、閉じ込められたの?』

 その時、ぐらりと船が動いたのを全員が感じ取った。

――『船が動いている』
 と、ニコライ。
――『なんでだよ……、オークションの間はニース港に停泊しているはずだろ……』
 息も絶え絶えのラットの声。
――『沖で俺たちを沈めるつもりか。でも、なんでそんなことをするんだ?』
 と、アーベイ。
 その問いにはドラコが答える。
――『黒幕はフランス政府だろう。ベルトヴァを消すために、俺たち全員を巻き添えに、事故に見せかけて抹殺しようとしているのさ』

 パン! パン! パン! パン! ダダダダダダダ!! ドーン!
 オークション会場内に突如、銃撃戦が勃発し、ドラコは咄嗟にエマを庇ってその場に伏せた。
 ピストル、マシンガン、ショットガンが立て続けに火を吹いている。どうやら二階席から撃たれているようだ。一階席にいたオークション参加者たちが、それぞれに銃を抜いて撃ち返しているのが見えた。

――『ボス?』
――『こっちも始まったみたいだ』
 背後の騒然とした銃撃音とは裏腹に、妙に落ち着いたドラコの声が返ってきたことに、仲間たちは事態の深刻さをむしろ悟る。
――『ラット、そっちを任せて大丈夫か?』
 アーベイがラットに問うと、すぐに返事がある。
――『こっちは僕とアガサに任せて、アーベイとニコライはボスと合流してよ。オークション会場で銃撃戦が起きたことに気づいて、こっちに来てた連中もみんなそっちに向かったみたいだ。ボスには悪いけど、こっちは好都合だよ』
 なるほど、オークション会場に敵を引き付けておきさえすれば、アガサの仕事がしやすくなることに気づいて、アーベイとニコライがほぼ同時に口を開いた。
――『派手に暴れてやるか』
――『悪党退治の時間さねえ』

 世界一凶悪と言われるメキシコのギャングたちが、ドラコとエマに撃って来た。
 一度銃撃戦が始まると、こういう連中は見境いがなく、最後の一人になるまで殺しを止めない。
 ドラコはエマの前に立ち、腰のホルスターから銃を抜いて躊躇うことなく相手を撃ち殺した。
 エマもスカートの下のホルスターから銃を抜き、別の角度からこちらを狙うライフルの男に反撃した。

 アーベイとニコライが合流するまでの間、ドラコとエマは互いを庇いながら、自分たちを攻撃してくる相手にだけ反撃をして凌いだ。多勢に無勢だ。
 会場の外では、ロックされた扉をこじ開けようと、破壊工作が繰り広げられている。
 監獄を意味するアルカトラズの構造は強靭で、ショットガンで撃つくらいでは扉はビクともしなかった。
 ついに、痺れをきらしたならず者の一人が小型爆弾で扉を吹き飛ばした。その衝撃に巻き込まれて、会場内にいた何人かが吹き飛ばされて床に倒れた。

 アーベイとニコライが肩を並べて、銃を両手に下げて真っすぐに入ってくるのが見えた。
 今や二人の目は座り、殺戮者の暗い輝きを帯びていることを感じ取って、ドラコもその場にそぐわず、不敵な笑みを浮かべた。

「5分で蹴りを付ける。――クラッチタイムの始まりだ」

 先頭を行くドラコの言葉を合図に、エマ、アーベイ、ニコライは、並んでオークション会場の中央に堂々と進み出た。
 足元にはすでに多くの死体が転がっているが、銃撃戦は収まる気配さえなく、銃口は一気にアルテミッズ・ファミリーの4人に向けられた。
 撃たれることを恐れて体勢が崩れれば、弾は当たらない。相手を確実に、早く仕留めるには、恐れずに前を見て銃を構えることだ。

 二階席からバカみたいにマシンガンを撃ってくる香港マフィアを、ドラコは一瞬で撃ち殺した。その横でアサルトガンを構える敵を、ニコライが確実に撃ち落とす。
 そうして二人は、二階席にいる狙撃手たちを次々に仕留めていった。
 アーベイとエマは一階にいる、まだ戦う意欲のある暴れ者たちを相手にし、時に近接戦で敵を素早くねじ伏せていった。

 そんな中、会場前方のステージの上で、軍用の巨大な置き型重機関銃の前に構える狂人が現れた。ベルトヴァの一味だ。
「クソ野郎が……」
 ドラコは咄嗟に重厚なカジノテーブルを引き倒し、仲間たちとともにその陰に低く身を伏せた。
 ダダダダダダダ!!!
 蛇のような弾丸が床を舐める様に迫ってくると、あらゆる物を瞬く間に砕き、煙と粉塵が辺りに舞い上がった。轟音で耳が聞こえなくなり、空気に血と硝煙の臭いが満ちていく。弾は床に倒れている死体にも当たって、血と肉片が飛び散った。

 その重機関銃の攻撃によって、会場にいたほとんどの者が死に絶えた。
 ほんの刹那、機関銃の攻撃が弱まった瞬間に、ドラコは起き上がり、ステージに向かって走り出した。
 すぐにドラコをめがけてまた蛇のように弾道が迫ってくるが、ドラコは銃を構えて躊躇わずに撃った。弾は男の肩に当たり、その衝撃で機関銃の軌道が上向きにそれて、天井のシャンデリアを砕いた。ガラスが雨のように降り注ぎ、皮膚を切り裂く。
 その中を進みながら、尚もドラコは男に向かって撃ち続けた。
 弾が切れる前に古いマガジンを捨て、新しいマガジンを即座に装着してスライドを引き、狙いを定める。
 男が機関銃を再びドラコに向けるが、それよりも早く、ドラコの放った銃弾が男の額を貫いた。

 ジャスト、5分。

「試合終了だ。クソ野郎」

 ドラコが吐き捨てた。
 全身埃まみれで、手や顔に破片が当たって、無数の切り傷ができている。
 それでも、アルテミッズ・ファミリーの4人は、全員生き延びた。
 船底に仕掛けられた爆弾の起爆まで、あと20分。ウイルス兵器の起爆もその頃だ。
 
 耳鳴りで音が聞こえにくくなっているが、ドラコはインカムに話しかけた。





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