恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 3-12


 ベネディクト社が所有する豪華カジノ客船、アルカトラズ。
 表向きには観光客に地中海クルーズを提供するラグジュアリーな娯楽船として知られるアルカトラズは、その仮面の下では、マネーロンダリングや、人身売買、ドラッグの取引など、裏社会御用達の【交流の場】として広く活用されていた。
 今宵はこの豪華客船に多くの違法武器が持ち込まれ、オークションにかけられる。
 市場では手に入らない軍用の銃火器から、ミサイルや原子力潜水艦などの大型のものまで、実に多くの殺傷兵器が出品されるが、本日一番の目玉はベネディクト社が新開発した生物兵器Cov-fox1だ。人種選択的に高い殺傷力をもつCov-fox1は、核兵器よりも使い勝手が良く、クリーンであることが謳い文句にされていた。

 ドラコたち一行がシャンデリアの煌めく会場に足を踏み入れた時には、すでに多くの【客】たちでオークション会場は賑わっていた。闇取引のために今夜は貸し切りにされ、船にいるのは皆、何らかの犯罪行為に関わっている者たちばかりだ。
 
「こういう雰囲気、久しぶりね」
 ドラコの腕にエスコートしてもらいながら、エマが不敵な笑みを浮かべた。
「自由でもあり、窮屈でもある―― これこそ、私たちの棲んでいる世界なんだわ」
「干渉に浸るのも結構だが、油断するな」
 そう言って、ドラコは無表情に、だがその眼光は鋭く会場内を見回した。――やはり、そうだ。ドラコは会場にやって来ている【客】たちを見て、一つの確信を得た。

「アーベイとニコライがあれだけ上手くやったのに、ブラトヴァ・ファミリーが来ている」
 と、ドラコは仲間たちにだけ聞こえるように言った。
 ブラトヴァはロシアン・マフィアで、近年イタリアやスペイン、ポーランド、アメリカにも勢力を広げる凶悪犯罪組織た。世界に存在する犯罪組織の中で最も収益を得ていると名高いが、今回のオークション前に、アーベイとニコライが手を回して彼らの資金の大半を無力化していた。だから、オークションに参加しても勝ち目はないはずだが。

「金もないのに高級店に入って来た客は、一体、その店で何をするつもりだと思う?」
 ドラコの問いに仲間たちはしばし沈黙して、やがてアーベイが応えた。
「脅すか、盗むか、殺すか。いずれにしても金を払わずに奪うつもりだろうな」
「じゃあドラコは、今夜ブラトヴァが何か仕掛けてくると思っているのね?」
「ロシアでも特に気性の荒い奴らだからねえ、そうだとしたら、今晩は骨を折ることになりそうだ」

 ドラコは、仲間たちに素早く指示をだした。
「エマは、ブラトヴァの奴らの動きを監視してくれ。気を抜くなよ」
「わかったわ」
「ニコライは、生物兵器に無毒化薬を」
「ああ、わかってる。ラットのナビがあると有難いんだけどねえ」
 ニコライがそう言うと、全員のインカムにラットの声が届いた。
――『了解、こっちからニコライをナビするよ』
「仕事が早くて助かるよ」

 だが、ドラコはまだ、やはり何かが腑に落ちなかった。何かを見落としている、それはドラコたち全員の命を脅かすような、もっと大きな何か、……そんな漠然としたイヤな予感を拭えずに、ドラコはアーベイに言った。
「これは漠然とした予感なんだが……」
「ボスの予感はあたる。何でも言ってくれ」
「この船にはまだ何かある気がする。悪いが、調べて見て回ってくれるか」
「任せてくれ」

 4人は散開し、それぞれの仕事にとりかかった。
 
 ベネディクト社は今回のオークションに三機の生物兵器を出品している。
 黒色人種をターゲットにした一号機、黄色人種をターゲットにした二号機、黒褐色人種をターゲットにした三号機……。開発者側の人種差別的な思想にうんざりしながら、ドラコは三機すべてに最高額で入札した。
 入札価格が最も高い者が落札することができるファーストプライスオークションの中でも、今回は封印入札方式がとられているので、誰がいくら入札したかは開封するまでわからない。だが、仲間たちのこれまでの働きによって、ドラコは最高額を知っていた。

――『あー、ボス、ちょっと問題が』
 インカムにニコライの困惑した声が届いた。
――『Cov-fox1を見つけたんだけど、最初に聞いていたのとは形が違うんだよねえ。アガサから預かった無毒化薬を挿入する場所がないんだよ』
――『ラット、アガサをインカムに出してくれ』
 すぐにインカムからアガサの声が返ってきた。
――『どんな形なのか教えて、ニコライ』
――『30センチの小型爆弾が3つあるという話だったけど、今あるのはすごく大きいのが1つだけで、これはとても持ち運べるサイズじゃないねえ。アンプルを挿入する噴出孔が見当たらない。代わりにタービンがついてるよ。それと、この装置から出ているダクトホースが船の給気口に繋がっているみたいだ』
――『考えをまとめるから、1分時間をちょうだい』

 想定していなかった最悪の事態が起きていることを、アガサは瞬時に悟った。
 彼女の唇は色を失い、事態の打開策を求めて思考はフル回転した。
 隣でそれを見ていたラットは、何かマズイ事が起きていることを察知して素早くキーボードを叩き、ニコライがいる部屋の給気口がどこに繋がっているのかを調べた。

 重苦しい1分間の沈黙のあと、アガサの声が再び届いた。
――『それは即時殺傷用のウイルス気化装置だと思う。気化したウイルスを高濃度で暴露すれば、直ちに感染者を死に至らしめることが出来る』
――『給気口は、ボスたちがいるオークション会場に繋がっています』
 と、ラットが続く。
――『俺たちが死んだあと、ウイルスはどうなる?』
 驚くほど冷静に、ドラコがアガサに問いかけてきた。
 その声を聞いて、内心でパニックを起こしかけていたアガサの心も平静を取り戻していく。
――『人への感染と土壌汚染が、瞬く間に世界中に拡がるでしょうね。Cov-fox1は大気中や海洋中でも長い間生き続けられるから』
――『無毒化薬を、どうにかしてこの装置に注入することはできないのかな』
 と、今度はニコライが問いかけてきた。
――『同じウイルスでも、液状タイプと気化タイプでは活性レベルが違うから、それは効果がないわ。だから、……」
――『どうすればいい?』
 ドラコに問われ、アガサはほんの短い間、神に祈りを捧げた。
 誰かが、気化タイプの無毒化薬を持って、アルカトラズに行かなければならない。でも、誰が?
 その時、聖書のイザヤ書の一節が彼女の心に浮かぶ。
――私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。
  「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」

 アガサは決心して口を開いた。
――『気化タイプの無毒化薬がガブリエルのラボにある。彼にここまで持ってきてもらって、私がそっちに投与に向かうわ。気化タイプのものは扱いが難しくて危険なの。私がやるのが一番確実だと思う』
 ややしばらくの沈黙の後、インカムからドラコの声が返って来た。
――『わかった、頼む』
――『あー、やるなら急いだほうがいいかもね。今、装置が起動して、カウントダウンタイマーが動き出したよ』
――『時間は?』
――『今からきっかり1時間だ』

 ドラコは簡潔に指示を出した。
――『ラット、アガサの無毒化薬が届いたら、彼女と一緒にこっちに来てくれ。インカムは今からゾーン・コネクトに』
――『了解』

 ドラコはアーベイとエマにも現状を共有し、作戦をこのまま実行することを伝えた。
 それを聞いて仲間たちは多少の動揺を見せはしたものの、皆、落ち着いて事態を受け入れた。

――『ベルトヴァの二人が会場から出ていったわ。ニコライ、そっちに行くかも。用心して』
 エマの言葉に、インカム越しにニコライの溜息が届く。
――『やれやれ』
――『応援に行こうか?』
 と、アーベイ。
――『大丈夫だ、なんとかするよ。そっちはどうなんだい?』
――『デッキから順に、下に向かって見て回っているが、今のところは特に異常はない。これから船底部に向かう』

 部下たちのやり取りを聞きながら、ドラコは思考を巡らせていた。
 ベネディクト社は、新型の生物兵器を売り込んで世界中から悪党たちをこの会場に集めた。
 だが、実際にはそれを売り渡すつもりはなく、会場にいる全員を皆殺しにしようとしている。なぜ? そんなことをすれば、世界中の犯罪者集団を敵に回すことになるとわかっているはずだ。裏社会と繋がり、ウィンウィンの関係を築いているベネディクト社にそれをするメリットがあるとは思えない。
 だとすれば、糸を引いているのはベネディクト社ではなく、別の存在ということになるが。
 そこでドラコはハッとする。もしかして、フランス政府か、と。

――『ラット、状況は?』
――『ガブリエルはあと10分でヴィラに着きます。僕とアガサは、それから10分以内にそっちに到着予定です』
――『ラット、ごめん、ちょっと、このファスナーがどうしても上がらなくて、手伝ってくれない?』
 ラットのインカムにアガサの声が入ってくる。ラットがそつなくそれに対応している様子も音を通して伝わってくる。
――『……立て込んでいるところ悪いが、フランス政府の金の流れに不審なところがないか至急調べてくれ。お前なら、10分でできるだろ』
――『できますけど、不審な、というと具体的にどんなことですか?』
――『フランス政府から、どこかの犯罪組織に金が流れているんじゃないかと思うんだ』
――『わかりました、すぐに』
――『あと、アガサにもインカムを』
――『了解です、ボス』





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