恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2-6
翌朝はやく、アガサはラスベガスのホテルで開催される学会に参加するために、ザ・ビートルに荷物を積んでいた。すると、ドラコがワーゲンの助手席に勝手に乗り込んで来たので、アガサはビックリした。
「どういうつもり?」
「ベガスに行くんだろ」
「……あっちに用でもあるの?」
「特にないが、たまにはお堅い学会で有難い話を聞いてみるのもいいかと思ったんだ。それに、幽霊が出る城に一人で置いて行かれるのも【微妙】だしな」
助手席のスペースが狭いと見えて、ドラコはシートをスライドさせるレバーを探してもぞもぞした。
すぐにそれを見つけて、シートを後ろにずらすと、ドアを閉めて、余念なくシートベルトをまわした。
「安全運転で頼む」
「腰に銃を付けた人とロングドライブをするのは遠慮したいんだけど」
アガサは運転席側からドラコを覗いて、子どもをなだめる様に話しかけた。
「私が留守の間、あなたは城を探検してみるとか、他にやることがあるんじゃない? 女の子の秘密の部屋を見つけられるかもよ」
「俺がそんなキモイ真似するわけないだろ。はやく出せよ」
なるほど、朝は機嫌が悪いようだ。
早々に説得を諦めて、アガサは運転席に乗り込み、ザ・ビートルのエンジンをかけた。
フェラーリを時速300キロ以上でとばして当然のように大陸を横断することを日常としているマフィアの男を助手席に乗せて走るのは、アガサとしても【微妙】だが、仕方ない。
アガサは制限速度をしっかり守る優良ドライバーだ。車庫入れのときにちょっと擦る程度のミスはあれど、基本的には無事故無違反で通している。
新緑の芽吹きが眩しい早朝の庭園を抜けて、アガサはゆっくりとザ・ビートルを走らせ、城の門を後にした。
狭い山道を下ってマウント・グロリアの麓に出るまでは、ドラコは前方を見て何か言いたそうにしていた。
やがてパサデナから国道210号線に出ると、ドラコは運転を完全にアガサに任せることにしたようで、彼が唯一持ってきている旅の荷物であるらしい聖書を開いて、それを読み始めた。
15号線に入る前に、アガサは途中にあるファーマーズ・マーケットに寄るために道を曲がった。
「コーヒーを買うけど、あなたも何か飲む? ここのヘンリーおじさんのコーヒー、とても美味しいのよ、奢るわ」
「ラテが飲みたいな」
「ストレートじゃないんだ」
「朝はまろやかなのがいい」
「了解」
アガサは農道の砂利道に車を止め、木製の小さな店に入っていった。地元の人間でなければ、こんな牧草地の傍らでコーヒーを売っているとは思いもしないだろう。
ほどなくしてアガサが、テイクアウトの蓋つき紙コップを二つ持って戻って来た。
「ありがとう」
受け取ると、ドラコはすぐに一口飲んだ。
「ミルクが、他よりも濃厚だな。エムの店のより好みだ」
「それは良かった。ここの牧場の牛から絞ったミルクをそのまま使っているんだって。うちでもヤギや牛を飼いたいと思っていて、今、ヘンリーおじさんから色々と教えてもらっているところなのよ。経営はかなり厳しいみたいだけど、土づくりから動物の世話まで、心をかけて丁寧にやってる牧場だから、潰れてほしくないな」
「へえ……」
アガサは、ドラコが興味もなく聞き流していると思ったが、ドラコはちゃんと聞いていた。
窓から『ヘンリーおじさんのハーベスト牧場』という看板が見えると、ドラコはそれを秘かにちゃんと記憶にとどめたのだった。
国道15号線に入るとほどなくして、モーテルもガソリンスタンドもしばらくない砂漠の一本道になる。
平日の木曜は道路が空いていて、輸送用の大型トラックが何台か、意味もなくクラクションを鳴らしながらアガサのザ・ビートルを追い抜かしていった他は、行きかう車はほとんど見られなかった。
「トラックの人たちって、追い越しをするときにああやって鳴らして行くことが多いんだけど、どういう意味か知ってる?」
「安全運転ご苦労様ってことだろ」
ドラコが聖書に視線を落としたまま応じた。
「え、もしかして私、煽られてるの?」
「気にすることないさ。普通に走れば1時間ちょっとでつく距離を、8時間かけて走ったからって、誰も死ぬわけじゃない。まあ、助手席の俺は退屈で死ぬかもしれないが」
「3時間で到着する予定なんだけど」
「片道440キロもあるのに、時速50キロで走ってて、3時間で着くわけがない」
「それは、……そうかもね」
アガサはザ・ビートルのアクセルを踏み込んだ。
「へえ、時速80キロまで速度を上げるのか。思い切ったじゃないか」
助手席から運転席のスピードメーターを横目で見つめて、ドラコがアガサをからかう。
「13時からの講演を聴くために、遅くても昼には向こうに到着してホテルにチェックインしたいのよ」
「果たして間に合うかな。210号線からここまで、ずっと50キロ前後で走って来たから、すでにかなりロスしてる」
「うるさいなあ。道から小動物が飛び出してくるかもしれないから、これ以上はスピードを上げられないわ」
「遅くても早くても、ぶつかるときはぶつかる。確率的には一緒じゃないのか」
「そうだけど、遅く走っていれば、ハンドル操作で回避できるかもしれない」
「50キロでも80キロでも、素人が急ハンドルを切ればどっちみち危険だよ」
ドラコの言うことは尤もだった
アガサはアクセルをゆるめて、また速度を50キロに落とした。
ドラコが笑みをかみ殺す。
「読書がはかどりそうだよ」
むっつりと何も言わなくなったアガサを面白そうに一瞥すると、ドラコはリラックスして狭い助手席で足を組み、サイドレストに肘をかけてまた聖書に目を落とした。
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