恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2-5
夕食の後、アガサはドラコにガレージを案内した。
城の裏手に石造りのガレージが二棟あって、それぞれに木製の巻き上げドアがついている。ドアは手動でも押し上げられるが、ガレージの上に備えられたソーラーパネルと蓄電システムにより、リモコンで開閉ができる。
一つのガレージには二台分のスペースがあるが、アガサは自分の車が入っている棟ではなく、まだ使われていないもう一方の棟をドラコに貸すことにした。
「別に車庫まで分けなくて良かったのに」
「あなたの高級車を傷つけたくないだけよ」
「そんなヤワな車じゃない。何度もメンテナンスして、もう60万キロ以上走ってるんだ。細かい傷くらいいっぱいある」
「へえ、すごい。そんなにたくさんどこを走ったの?」
「ロスとニューヨークを、この車で何度も往復してる」
「飛行機のほうがずっと早いでしょう。車だったら片道3日くらいかかるんじゃない?」
「そんなにかからないよ。調子がよければ15時間くらいだ」
「え、それって」
アガサは素早く暗算して眉をひそめる。
「ロスからニューヨークまでの直線距離はだいたい二千八百マイルだから、15時間で到達するなら時速300キロ以上で走る計算になるんだけど」
アガサの問いかけに、ドラコが口角を上げた。
「呆れた人」
ドラコがとんでもないスピード狂だと知って、アガサは目を回した。
だが、スピードの出しすぎが自動車事故の最大の要因であることや、安全運転についての議論をする気にはなれなかったので、それ以上は何も言わなかった。
次にアガサは、ドラコにゲストルームを案内した。
城の表に面した、二階の日当たりのいいバスルームつきの部屋だ。アガサの部屋と同じように天蓋付きのベッドが備え付けてある。
「あなた、タバコは吸う?」
「会合の時に葉巻を嗜むくらいだ。心配しなくても、ここでは吸わないよ」
「そう」
それから、必要な案内をすべて終えたと思ったアガサは、最後にこの城についてここ数カ月で知り得たことを、ドラコに簡単に説明することにした。
「ここに住むからには、あなたにも話しておいたほうがいいと思うんだけど、この城には不可解なことがあるのよ」
「天使を見る変わった女が一人で住んでることの他に?」
「ええ、そこにマフィアの男も転がり込んでくるんだから、本当に不可解よね。ただ、気を付けてほしいの、壁とか、備え付けの物に触るときには。あちらこちらに、隠し通路や隠し部屋があるみたいで、何人かがこの城で行方不明になったまま、未だに見つかっていないことが分かったから」
「仕掛け付きのお化け屋敷ってわけか。最高だな。……俺を追い出すためにわざと言ってる?」
「そんなことであなたが出ていくとは思ってないんだけど、やっぱり不気味よね」
「まあ、壁の裏にミイラがあるかもしれないのは、いい気はしないな。一体、なんでそんなことになったんだ?」
「調べてみたけど、わからなかった。18世紀後半に、ある建築技師がこの城を建てたみたいなんだけど、城が完成すると、彼は建設に携わった何人かとともに姿をくらましたらしいの。図書館や不動産会社にも問い合わせたけど、この城の設計図面は残されていなかったわ」
「行方不明になったのは?」
「その後、この城に住んだ金持ちたちが、財産とともに忽然と姿を消す、という事件が19世紀の間、3度続いたらしい。最初はスペインの大商人、次がオランダの宝石商、一番最近は、ラスベガスのカジノ経営で大富豪になった、」
と、アガサがそこまで言ったとき、ドラコが後を引き取って呟いた。
「セバスチャン・ルチアーノか」
「知り合い?」
「何十年も前に姿を消した、イタリア系マフィアのボスだ。俺はもちろん直接会ったことはないが、当時はルチアーノが西海岸一帯を庭にしていたと聞いてる。彼が姿を消した後からルチアーノ・ファミリーは衰退したから、俺たちの世界では有名な話だ。へえ、ここで姿を消してたんだな」
「以来この場所は、次々に人が消える幽霊屋敷として恐れられ、人が寄り付かない場所になったみたい。だから、すごく安い値段でここを買うことができたの」
「それでも、大した額だったんじゃないか?」
「もちろん私のお金じゃない。神のお金で買ったのよ」
アガサは、とっておきの秘密を明かすように、嬉々としてドラコに目配せした。
「実はシャローム・プロジェクトという、クリスチャンの奉仕活動団体を立ち上げたの。刑務所に聖書を届けたり、ホームレスへの社会復帰支援、貧困地区へのショップ展開とか、孤児救済活動をてがけているわ。それらの活動の拠点として、神がこの場所を選ばれたのだけど、私はここの管理を任されてる」
「俺をここに勝手に住ませたりして問題ないのか?」
「教会の人たちは、私が男性と同棲を始めたと知れば分別を疑うでしょうね。でも、あなたは善き隣人ということになったのだし、私はこのプロジェクトのオーナーで、私の上にいるボスは神おひとりなのだから、神がノーと言わない限りは、問題がないはずだわ」
「この城には、そのプロジェクトのために、よく人が来るのかな」
「秘書をしてくれてるミシェルという若い女性と、パトロールのついでにローランがたまに来てくれるくらいかしら。私たちの活動は主に外で行なわれているから、ここには書類を保管したり、一時的に救援物資を保管したりするくらいなの。いずれにしても、この城で教会員が行方不明にでもなったら大変だから、来客には注意しないとね」
静かに暮らしたいドラコが来客を嫌がって聞いたのだが、アガサはドラコが彼らのことを心配していると勘違いしたようだ。
「次の日曜日に教会でミシェルとローランを紹介するわよ。もしバッタリ鉢合わせしても、彼らを驚かせてしまわないようにね」
「構わないけど、俺のことを、なんて紹介するつもりなんだ?」
「彼は最近聖書を読み始めた、善き隣人、とだけ」
アガサは少しだけズルイ顔で笑って見せると、おやすみの挨拶をしてさっさとドラコの部屋を出ていこうとした。
「ちょっと待って、まだ、君の部屋がどこにあるか教えてもらってないんだけど」
「それを知る必要があるとは思えないんだけど」
「壁からミイラが出てきたときに、逃げ込む先を知っておきたいんだ」
「だとしても私の部屋はダメよ」
「どうして。俺が寝込みを襲うとでも思ってるなら、誓って言うけど、」
「そんなこと思ってない。ただ、プライバシーだし、一応、ちゃんと一線は引いておいた方がいいでしょう」
「人のパンツを盗み見たくせに、よく言う……」
「あれは非常事態だったから仕方ないわよ、洗濯をして【あげた】んだから」
「まあ、いいけど。その非情事態が起きたときにどうするつもりなんだ、場所がわからなきゃ助けに行って【やれない】だろうが」
互いに、相手のためを思ってのことだと主張して言い合いになると、アガサはフンっと息をついて、
「そのときは大きな声で呼ぶわよ」
と言ってドラコを黙らせた。
それから、じゃあね、とばかりに手を振って、ドラコの部屋のドアを閉めた。
なるほど、それが一線ってわけだな。と、残されたドラコは独りごちた。
ドラコの方でもアガサとの距離感を図りかねていて、彼女が何を許し、何を許さないのかを探っている状態だった。
ただ、こんな馬鹿デカい不気味な城で迷うかもしれないのに、管理人の部屋の場所くらい教えてくれてもいいだろ、とドラコは思った。
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