恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2-2


 アルテミッズファミリーは、もとはイタリアでワイン農園を営む小さな家族だった。
19世紀にヨーロッパで産業革命とナショナリズムがひろがると、勤勉で働き者のアルテミッズ一族はワイン造り以外の産業にも手を広げたが、その過程で次第に、社会の構造に反発を抱くようになった。
――強者が不当に利得を独占し、弱者から搾取する世界。
 当然のように成り立っている社会の非合理に対抗して、ときに彼らは非合法な手段をいとわずに繁栄していった。それが、アルテミッズファミリーのマフィアとしての起こりだ。
 イタリアの田舎に住む小さな家族は組織として拡大し、今や上海、シンガポール、ロサンゼルスと、世界を股にかけるようになり、アンダーグラウンドの富と力を我がものにしている。
 裏社会でアルテミッズファミリーの名を知らぬ者はいないだろう。だからこそ、敵も多い。

 世界市場の中心であるニューヨークには力の強い4つのイタリア系マフィアが集まっていて、いつも互いに睨みをきかせあっていた。その一つがアルテミッズファミリーだったが、当代のボスであるフェデリコは、暴力的で非情な他の3つのマフィアをなんとか抑えて、優位に立ちたいと願っていた。ある日彼は、ニューヨークの暗い路地裏に捨てられた孤児を拾い、その子どもの才能を見抜いて弟子のように育てた。フェデリコが望んだとおりに少年は成長し、やがて彼にニューヨークを任せるようになった。それが、ドラコだ。

 若くして激戦区を任せられたドラコは、始めこそ内部からも外部からも軽く扱われた。だが人々は、ほどなくしてフェデリコが大変な弟子を育て上げたことを知ることになる。
 ドラコの恐れ知らずな大胆な振舞いは、若さからくる無謀ととらえられたが、その実、ドラコには先見の明と、抜かりのない準備と、狡猾さがあった。フェデリコに似てドラコは物静かで、礼儀正しく、裏社会のルールをいつも忠実に守った。次第に仲間たちは彼を信頼するようになり、敵対する者は彼を恐れるようになった。

 ドラコの才覚と勤勉な働きによって、アルテミッズファミリーはついにニューヨークを掌握した。

 また、ドラコは他の組織の顔をたててやることを忘れなかったので、古参マフィアのドンたちをはじめ、市警でさえも、ドラコの寝首を掻こうとはしなかった。むしろ、ドラコに仕切らせておけばニューヨークの裏社会全体のパワーバランスが保たれ、経済はうまく回った。しかも、平和的に、だ。


 アルテミッズファミリーは教育を重要視している。
だからドラコは、ボスのフェデリコから教わった全てを部下たちにも教え、守らせ、それを自分でも必ず実践した。おかげでニューヨークには、ファミリーの中でも特に優秀で、ボスから信頼をおかれる組員が揃っている。

 だが一方で、ロサンゼルスは最悪だ。
 アルテミッズファミリーのボス、フェデリコは、ロサンゼルスの組員の教育をやり直す必要があると考えている。
西海岸の交易の拠点であり、南はメキシコとの国境に接するロサンゼルスを掌握することは、ファミリーが広大なアメリカを、東はニューヨーク、西はロサンゼルスという、東西の拠点から支配するために必要不可欠と考えられていたが、今のようにメキシコから入ってくるドラッグを野放しにしていたり、素人ギャングと馴れ合ったりすれば、それがいつかファミリーの足元をすくう事態となりかねない。それは、アルテミッズファミリーの大ボス、フェデリコの願うところではない。

――ロサンゼルスの犬たちに首輪をつけろ。

 ニューヨークで住み慣れたドラコには、ロサンゼルスに住む誰も彼もがアホに見えて仕方なかった。
喋りが遅く、狡賢さとは裏腹に実は能無しで、服装もだらしない。アルテミッズファミリーのロサンゼルス支部員も同様だ。
フェデリコはドラコに、彼らの再教育を任せるために、ニューヨーク支部はジョーイに引き継いで、ドラコにロスへ移るように命じてきた。
酷く厄介で、気の乗らない仕事ではあるが、仕方ない。
路地で拾われたときからずっと、ドラコはボスによって生かされているのだから。





 ニューヨークに帰ってきてからというもの、ドラコは毎日、古城で出会った奇妙な女のことを思い出している。
狂信的なキリスト教徒で、押しつけがましいところがあるが、とても親切なので、彼女のお節介を無為につっぱねることができなかった。
嵐の晩に犯罪者を自宅に招き入れて看病し、ドラコが旅立つ気配を察すると、好きにさせてくれた。しかも彼女は、見返りを求めなかった。
マフィアの世界では、ただで済むものは一つもない。だから、後になってドラコは、あの女にどんな裏があるのかと警戒して、優秀な部下の一人をアガサの見張りに着けたのだった。
 部下のラットは、観察と情報収集のプロだ。
気配を殺して調査対象者に近づくが、接触することは決してない。
ラットは公平で、余計な憶測をせずに端的にアガサの行動を逐一ドラコに報告してきた。

 その日の昼近く、ドラコは五番街のコーヒーショップで部下のジョーイと落ち合った。
店内に椅子はなく、背の高い丸テーブルが不規則に置かれているだけの小さなレンガ造りの店だ。ビジネス街の中心にあるカフェ・ゴッドファーザーは、忙しいビジネスマンが軽く一息つくための場所で、客が長居することは想定されていない。
カウンターでコーヒーを受け取った二人は、混み合う人の間を縫って空いているテーブルを挟んで向かい合った。

 そこに、すでに日課となっている、ラットからの報告が入った。
――『朝8時に自宅を出発、職場へ』
 携帯に届いたテキストメッセージを一瞥すると、ドラコはすぐに画面を閉じた。
 平日の8時に家を出て仕事に行くという、アガサのいつも通りの行動パターンに安堵し、満足する。

「最近、いつもそれだ。さては、女でもできましたか、ボス」
「ラットだよ」
 ドラコは携帯をしまうと、コーヒーを一口飲んで面白そうにジョーイを見た。
「まあ、女といえばそうだが、ロスに移る前に身元調査をしてもらっているんだ。その女が敵か味方か、図りかねているもんでね」
「へえ、どんな女なんです? つまり、ボスの好みに合致する女かどうか、ってことですが」

 ジョーイに言われて、ドラコがかすかに眉をひそめる。
「俺の好みだって?」
 すると、ジョーイがすぐに自信たっぷりに後を引き取った。
「ブルネット、知的、高身長で、ナイスバディ。ボスが今までイイ感じになった女たちの共通点です」
 ドラコはあまり覚えていなかったが、言われてみれば確かにそうかもなと思った。もちろん、アガサはそのタイプとは違う。
だが、ジョーイがあんまり的外れな憶測をしているようなので、ドラコは哀れみのこもる眼差しを向けて応じた。

「アジア系で、知的。身長は低い。凹凸の少ない痩せた体をしていたから、お前が言うナイスバディとは違うよ」
「なるほど、そそらない感じの女なんですね。でも、どうしてその女の身元調査が必要なんですか? 関わりを避けられない相手なんですか」
「ロスに滞在している間、俺がいつも寝床にしていた場所があるだろ」
「ええ、ボスのお気に入りの隠れ家ですね。未だに俺たちにもその場所を教えてくれない、例の……お化け屋敷だか、廃墟だかの」
「その女は、そこに住みついているのさ」
 困ったようにドラコがそう言うのを聞いて、ジョーイが少し首を傾げた。
「邪魔なら、排除すればいいでしょう。……でも、まあ、そうはいかないですよね。あっちが先に住み着いたんだろうし、堅気に手を出すのは俺たちのやり方じゃない。じゃあ、その女と一緒にそこに住むんですか?」
「そうできたらいいと思っているんだ。今のところ、穏便に追い出すことはできそうにもないからな」 
「へえ……」

 ジョーイはしばしの間、驚きに口を閉ざした。
 目の前でクールにコーヒーを飲むボスが、堅気の見知らぬ女と住居を共にできるとは、どうしても想像できなかった。
裏社会の人間の生活は不規則なうえに、ファミリーには機密を守る厳格なルールがある。そして、時にその住処に予期せぬ危険が忍び寄ってくることさえある。堅気の女と平穏に同居することなど不可能に近い。今まで【決まった女】と長く付き合ったこともないドラコが、気に入りの住処のためだけに危険を冒してまで、その堅気の女と暮らすことを考えているのが、ジョーイにはとても理解できなかった。

 だが、これまで想像も及ばないことをドラコが成し得てきたのを、ジョーイは何度も目の当たりにしているから、今回も、きっとボスのことだから何か考えがあるのだろう、と思い直した。きっと、お荷物になる堅気の女がいたとしても諦めきれないほどの、お気に入りの住処なのだろう。思い返せば、ボスは着る服にも、車にもこだわって、一度気に入ったら二度と別のものに乗り換えない執着の強さを持っていた。可哀そうに。今回はそれがロスの隠れ家なのだ。

「俺が代わりにロスに行けたらいいのに」
 と、ジョーイが呟いた。
「だって、ロスで気兼ねなく住む場所もないなんて、これじゃボスがあまりにも不遇すぎますからね。しかも、あっちにいるのはバカばっかりでしょう?」

「今回はちょっと派手にやりすぎたから、我らのボスは仕置きに、俺にツケを払わせるつもりなのさ。この程度ですんで良かったくらいだ」
「マリオを逃がすためにやったことじゃないですか」
「それでも、もっと上手くやるべきだった。そんなことより、ニューヨークのことはお前に任せたんだから、しっかりやるんだぞ、ジョーイ」
「わかってますけど……、ずっとボスの下で楽をしていたかったです」
 上等なダークスーツに身を包んでいる背の高いジョーイは、歳よりも大人びて見えたが、このときだけは子どもっぽく笑った。

 ドラコは一瞬、愛し気にジョーイに笑みを送ると、親愛をこめて自らのコーヒーカップを掲げた。

「これからはお前がニューヨークのボスだ。コーザ・ノストラ」
 コーヒーショップのわざめきの中、ドラコがイタリア語で囁いた。
 つられてジョーイも自分のカップを掲げた。

――コーザ・ノストラ、すべては我らのもの





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