恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2-11


 パーティー会場はベラージオホテルのレストランを貸し切って行われることになっていた。
 アガサとドラコが会場に下りて行くと、すでにダンスや食事でパーティーが盛り上がっていたせいか、受付には誰もいなかった。アガサはマギーを探してみたが見つけられなかったので、受付台の上に置きっぱなしになっている出席簿に記帳して、ひとまず中に入らせてもらうことにした。
 中に入るとすぐに、クラシックの生演奏に合わせてダンスホールで楽しそうに踊る人々の姿が見えた。

 アガサはその中に、ドラコと夫婦だという嘘の情報を伝えてしまった人がいないかキョロキョロと探したが、ホールは薄暗いうえに人も多すぎた。
 踊りたいか? と、ドラコが身振りで聞いてきたが、アガサは首を横に振った。
 二人は音楽から離れた静かなテーブルについて、まずは何か食べることにした。
 パーティーの出席者のためにあらかじめ決まった料理を、ウェイターがすぐに運んできてくれた。

「ダンスは嫌い?」
 落ち着いて話ができるようになると、ドラコが聞いてきた。

「好き」
「それなら、これを食べたら一曲踊ろう」
「過ちを正すまでは、楽しく踊れる気分じゃないわ」
 アガサは落ち着かず、辺りを神経質に見回している。
 そんな彼女になかば父性のような愛情を感じながら、ドラコはアガサの気を紛らわせようと話題を振った。

「モスコ・ミュールはどこで覚えた?」
「初めて飲んだのは大学4年の時よ。学士修了のお祝いに、指導教官がいろんなカクテルの味を教えてくれたの。その時に、お酒の飲み方も教えてもらったわ。例えば、男性からステムの高いカクテルを奢られたら、用心するように、とかね」
 ドラコは頷いた。
 もともとカクテルはアルコール度数が高いが、中でもステムの高いカクテルグラスで提供される酒は、その度数の高さを錯覚してしまうほどに甘くて飲み口の軽いものが多いのだ。ジュースのように飲んでしまえばあっという間に酔っぱらうので、悪い男が意図的に女を酔わせるときに奢るグラスでもある。見方をかえれば、ステムの高いカクテルを男性から奢られたら、女性はその男性から好意を抱かれていると思っていい。

「ついさっき、純潔を謳う敬虔なキリスト教徒の女が、俺の目の前で強い酒を煽って、顔色一つ変えなかったのを見たんだけど、あれはどういうことかな」
「大袈裟ね。聖書には、『酒に酔ってはならない』、と書かれているけど、『酒を飲むな』、とは書かれていないわよ」
「酒はたまにしか飲まないって言ってたけど、アガサは、今まで酒に酔ったことはないのか?」
「酩酊したり、記憶を失ったりってこと? ないけど」
「一度も?」
「一度もありません。もちろん、アルコールを摂取したときの生理現象はあるわよ、例えば、血管が収縮して、脳の血流が減り、少し眠くなる感じとかね」
 そんなのは酔ったうちに入らない。
「酒は好き?」
「私にとってお酒は料理と同じに、楽しむもの。好きだけど、無ければ他のものでもいいわね。ドラコは?」
「好きだよ。俺にとってアルコールは、一日の終わりに一息つかせてくれるものだ」

 白身魚のムニエルをつつきながら、ドラコが美味しそうにシャンパンを一口飲んだ。

「酔っぱらったことはある? つまり、手がつけられないくらいに」
「一度だけ。幹部候補になったときに、ファミリーに飲みの勝負をさせられたことがある」
「どうしてそんなことをする必要があったの?」
「限界まで酒を煽っても醜態をさらさず、秘密を漏らさず、信頼できる人間なのかを試すために」
「でも限界までお酒を飲んだら、誰でも体に不調をきたすでしょ」
「俺の場合は記憶を失ったり、感情が不安定になることはなかったが、冗談抜きで、あのときは本当に動けなくなったよ。次の日には一日中吐き続けた」
「大変だったのね。可哀そうに……、急性アルコール中毒で本当に命を落としてしまう人もいるのよ。そのとき勝負をしていた他の人も無事だったの?」
 そこで他の奴の心配までするか? と、何か引っかかるものを感じながらも、ドラコは頷いた。
「……ああ、無事だったよ」
「じゃあ、さっき私にカクテルをすすめたのも、試すつもりだった?」
「いいや、それはちょっと違うな。アガサは酒を断ると思ったから、そうしたらクランベリー・ソーダでも出してやろうと思ってたんだ。まさか、気怠く10ドル札を放ってきてモスコ・ミュールを所望してくるとはね……」
「そんなに意外だった?」
「可愛げがない、渋いシルバー世代の好みだと思う」
「もう若いって歳でもないもの。でもあなたは、私のことを随分と型にはめて見てると思う。多分私は、あなたが思っているような人間じゃないわよ」
 
 テーブルごしに笑いかけてきたアガサが、何故かその時だけとても大人びて見えたので、ドラコの鼓動が一瞬、少しだけ早くなった。

 と、ドラコが口を開きかけたとき、アガサがハッとして突然席から立ち上がった。

「マギー!」
「アガサ! 探してたのよ、てっきりもう来ないんじゃないかと思ってたわ」
 太いソプラノの声を張り上げて、ピンクの花柄のワンピースをエレガントに纏った、人の良さそう中年女性が近づいて来て、アガサにハグをした。
 ドラコも席をたって、アガサの隣に並ぶ。

「あなたの講演は大盛況だったみたいね。私も直接聞けなく残念」
「ありがとう、マギー。実は私、あなたに話さなきゃいけないことがあって」
 アガサが言いかけると、ドラコが前にでてマギーに握手を求めた。
「今朝はどうも」
「まあ! あなたは、今朝のハンサムさん、アガサのご主人ね」
「実のところ、僕たちは夫婦じゃなく、ただの友人なんです。今朝はあなたからどうしても参加証をもらう必要があったので、咄嗟に夫だと名のったんですよ。軽はずみなことをしてしまってすみませんでした」
「マギー、本当にごめんなさい。私、あなたに嘘をついたの。心から反省しています」
「いいのよ、アガサ。実のところ、みんなあなたが嘘をついてるって、お見通しだったんだから」
「え、そうなの? どうして?」
「だーって、あなた、嘘をつくのが下手すぎるんだもの!」
 不意に、マギーは遠慮もなくケラケラとお腹を抱えて笑い始めた。
「結婚して3年で、子どもは4人? どう見てもそんな体型じゃないでしょう、この細い体といったら、風が吹いたら折れちゃいそうじゃないの」
 と、マギーは恥ずかしさと後悔で泣きそうになっているアガサを、愛情深く強く抱きしめた。
「だから、彼のために嘘をついたんだなって、私たちみんな気づいてたわ。あるいは、そうねえ、今夜あなたをエスコートしたがってた連中は、遠回しに誘いを断られてガッカリしたと思うけどね」
「私、そんなつもりじゃ……」
「いいのよ、大したことじゃない。それに彼には、家族用の参加証を渡すために、夫と名乗るように私が仕向けたようなものだわ」
「ありがとう、マギー。親切にしてくれて」
「わかってる。それじゃ、パーティーを楽しんでね!」
 マギーは嵐のように去った行った。

 後に残されたアガサは唖然として、隣にいるドラコを見上げた。
「言葉もないわ……」
「踊る?」
 ドラコがやけにケロッとしているので、アガサはムッとした。
「あんな馬鹿な嘘をついた後だっていうのに、あなたは恥ずかしくないの?」
「全然」
「私たちが踊っているのをみたら、きっとみんなのいい笑いものよ」
「誰にも笑わせない。俺たちが仲のいい友人だってことを、ホールにいる全員に見せつけよう」

 折を見たように、ダンスホールからUSAのコールが激しく上がり始めた。
「確かに、それはいい考えかもね。すでに今日は恥を塗りたくりすぎて、これ以上はどん底に落ちようもないんだから。行こう、この曲は得意なの!」
 アガサはドラコに手を引いてもらって、ダンスホールの真ん中まで進んで行った。
 傍らでドラコがリズムに合わせて体を揺らし始めると、アガサはいきなり仁王立ちをして両手を腰に当て、無表情に前方を見つめると、片足だけでリズムをとりはじめた。
「おい、どうした?」
 曲の転回に合わせて天上のミラーが回り始めると、「USA!!」の掛け声に合わせて、アガサがその場でロボットのようにピボットターンを始めた。
 周囲で踊っていた人々が、アガサの異常な動きに驚いてスペースをあける。
「カーモン、カーモン、アメリカ!」
 の掛け声でアガサはピョンピョン飛び上がると、肩を上下させ、腕を回し、足を回し、めちゃめちゃに踊り狂い始めた。

「おいおいおいおい、マジかよ……」

 手を付けられない暴れ馬を前に、ドラコが降参して両手を上げる。
「さっきのは撤回だ!」
「え!? 何が」
「みんなが見てる、恥ずかしいよ……」
「あら、坊やにはちょっと激しすぎたかしら」
 アガサは挑発するように笑って、ドラコを引き寄せるようにグルグルと手綱を手回しする動きをした。
「こいつ……」
 ドラコが呆れて苦笑いする。

「ステップを教えるから一緒にやってよ」
 腕を上げて右に流れ、左に流れ、足を前に、もう一つ前に、「カム・オン・ベイビー! アメリカ!!」のリズムで、片足で跳びあがりながら体をエビぞりにして腕を強く振り下ろす。ドラコはアガサに教えられると、すぐにその動きを自分のものにした。アガサがやると、正気の沙汰とは思えないその動きも、ドラコがやると周囲から拍手や歓声が飛ぶほど盛り上がった。

 気づけば、USAの呼び声に合わせてホール中がアガサの奇妙な動きを真似てハチャメチャに踊り狂っていた。

 パートによって、アガサはわざと無表情になったり、一気に破顔したりして、ドラコを煽り倒した。
 セクシーとは程遠いし、露出の少ない地味なワンピースドレスのアガサはとても幼く見えたが、その束の間の奇妙なダンスを一緒に踊ることを、ドラコはとても楽しんで、大笑いした。

 やがてUSAが去り、しっぽりとしたピアノの伴奏が流れてくると、ドラコは息を整えてアガサに手を差し出した。
 「今夜はこれで切り上げない?」、と、アガサは言ったが、ドラコは構わずアガサを引き寄せて、彼女の手を自分の肩に回させた。

「俺のターンでもう一曲だけ。それはそうと、さっきはよくも、俺のことを坊や呼ばわりしてくれたな」
 右手をアガサの背中にまわし、向き合った状態でそれぞれ空いている方の手を繋ぐと、クローズド・ポジションの完成だ。互いに体の右側を相手に預けて、音楽に合わせてゆっくりと体を揺らす。

「怒ったのなら、撤回する。実際、あなたはすごく上手だったわ。ねえ、私のダンスはどうだった?」
「史上最高に、」
「史上最高に?」
「引いた」
「え、どうしてよ」
「当然だろう、あんな風に正気を失ったみたいに踊り狂うもんじゃない。カウボーイが縄を投げてくるんじゃないかと、ハラハラしたよ」
「私の動きにはちゃんと法則性があるのよ。ステップを見たでしょ?」
 ドラコは答えない。
「ねえ、見たでしょ、って」
「ああ、何をやろうとしているかはわかったよ」
 それから二人は顔を見合わせて、馬鹿みたいに踊ったことを思い出して笑いあった。
「今夜はとても楽しかったわ、ドラコ。それに、いろいろありがとう。あなたには本当に助けてもらった」
「礼には及ばない。そもそも、俺が夫だと名乗らなければ、アガサも嘘をつくことがなかったんだ」
「それだけじゃなくて、ホテルの部屋をとってくれたこともそうだし、国道で誘拐犯から守ってくれたことも」
 
 ドラコは、少し考えてから首を横に振った。

「アガサが先に、俺を助けてくれたんだ。――あの、嵐の夜に。だから、やはり礼はいらない」
「私は神の指示に従っただけ」
「そうだろうな」
「私たちは善き隣人ね」
「それに、善き友人だ」

 アガサは頷いて、ダンスの終わりにドラコを愛情深くハグした。
 来た時と同じように、ドラコは腕を出し、アガサは彼の腕に手をかけて、二人はペントハウスに戻った。
 それから部屋に戻ると、二人はすぐにそれぞれの寝室に入って休んだ。





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