月夜にまたたく魔法の意思 第7話1





 試しの門から一日が経とうとしている。
 あれから朱雀は一度も優と会話をしていない。どうにもやりきれない思いが朱雀の内でくすぶり、ずっと考えていた。
 優が闇の魔法使いとの戦いに対して前向きになったことは、朱雀たちにとっては良いことなのかもしれない。けれども、ベラドンナから連れ出すのにだってあれほど苦労したのに、一体何が、優の心境を変えたのかが、朱雀にはどうしても分からなかった。試しの門からだって逃げ出すと思っていたのに、優が自分でノコノコ出て来たというのは、どうにも腑に落ちない。
 あんな優は、まるで別人みたいだ……。
 そんな考えが頭に浮かんでは、朱雀の胸がなぜか傷む。

 朝日が昇る前の、白んだ空を遠く眺めながら、すでに制服に着替えた朱雀はイチジク寮の自室の窓枠に腰掛けて、遥かかなたの水平線を光の線が縁どる時をずっと待っていた。
――もしかして、無理をしているのか。
 だとしたら俺のせいだろうか、と、朱雀は考えた。
 いやいや、優はわがままだ。朱雀がどんなに脅しても、なかなか言うことをきかなかったじゃないか。無理なんて、するような奴には思えない……。
 するとまた別の考えが朱雀の頭をよぎる。
――もしかすると、「三次」というオパールの生徒が関係しているのだろうか。

「オパール……」
 無意識にそう呟いて、朱雀は首を横に振った。心のどこかで、俺の方がずっとイイ男なのにと思っている自分に、うんざりする。
 あの優のことだから、何かを企んでいるのかもしれない。例えば、やる気があるように見せかけて、土壇場で逃げ出すとか。そんな感じの……。あり得ないことではないように思われる。
「まあ、なんにせよ」
 朝日の到来を知らせる光線をほんの少し見て、朱雀はサッと窓枠から下りた。
 魔力封じのゴーグルをかけていた優には後遺症がまだ残っているはずだ。闇の魔法使いたちとの戦いを控えた今、このまま放っておくわけにもいかないだろう。
 朱雀は自室のドアをくぐりぬけ、迷うことなく女子寮に向かって行った。


 ダイナモン魔法学校では、男子生徒が女子寮に行くことは固く禁じられている。もちろん、女子生徒が男子寮に入ることも厳禁だ。
 であるにもかかわらず、朱雀はこれまでに何度か女子寮に赴いたことがあった。今まで朱雀がそうするのは百パーセント褒められた理由じゃなく、動機は極めて不純なものだったが、今朝は少し違っていた。今朱雀が女子寮に向かっているのは正当な理由であるはずだった。少なくとも朱雀はそう解釈していた。何と言っても、優を起こしに行くのだから。

 北東にある男子寮から南西の女子寮に行くには、先生の監視のある中央広間を抜けていかなければならない。3日前にフィアンマ・インテンサ・ドラゴンが暴れ、優がドラゴンの飼育員に任命されたあの広間である。
 この中央広間より南側は女子の生活空間で、北側は男子の生活空間だ。そして、その双方を繋ぐのはここ、中央広間だけなので、先生たちは年頃の生徒たちが学内の風紀を率先して乱すことがないようにと、交代で広間を監視しているというわけだ。
 隠密行動が得意の朱雀ではあったが、今朝の朱雀は隠れてコソコソしたりせずに、堂々と広間を抜けて行った。
 すると、案の定見張り役の先生に見つかった。

「こんな朝早くに南西へ、一体何をしに行くつもりだい?」
 どこから現れたのか、左目に眼帯をつけた播磨先生がいきなり朱雀を引き止めた。朝は低血圧と見えて、播磨先生の顔色がいつもより優れない。それに、寝ぐせが立っている。
「女子寮に行くんですよ」
 悪びれることなく朱雀が答える。
「女子寮への入室は禁止だ。君は男の子だろう」
 淡々と播磨先生が朱雀をたしなめる。

「もう『男の子』っていう年でもありませんよ」
 朱雀がニヤリと笑った。
「なら尚更、ここから先に通すわけにはいかないな」
 播磨先生は表情を崩さないが、その口調がやや厳しくなる。
「男子生徒が女子寮に入れば、女の子たちが驚くだろう。さあ、部屋に戻りなさい」

「俺が驚ろかせるのはただ一人だけです。その他大勢の女子には指一本触れません。少なくとも今朝は」
 先生に威圧されても引き下がらずに、朱雀は抵抗した。
 一方、「少なくとも今朝は」という限定表現が用いられたことに気づいた播磨先生は、苦虫を噛んだような顔で朱雀を見下ろしたが、その眼差しがすぐに好奇心に光った。

「ほお。もしかするとそれは、僕の授業で君が言っていた人なのかな。――ありのままに、生きる。と君に言ったという例の」
「そうです」
 サラリと朱雀が答えると、播磨先生はニコリとして言った。
「それは明王児優だね」
「……」
 図星だったが、朱雀は応えない。

 すると何を思ったか、播磨先生が朱雀を放し、欠伸をしながらゆらりと道を開けた。
「好きな女の子には優しくしないといけないよ」
 と悩ましげに付け加えて。
「そんなんじゃありませんよ」
「へえ、そう」
 播磨先生はまた欠伸をして朱雀に背を向けると、そのまま手を振りながら姿を消した。俊身魔法だ。――高速で自分の居場所を変える、瞬間移動魔法。

 朱雀は両手を制服のポケットに入れて、播磨先生の消えた空間を嫌そうに見つめてから、また歩き出した。
 播磨先生はいつも、朱雀の気に触ることを言う。あの眼帯の下に、もしかすると人の心を見抜く呪いの目を隠し持っているのかもしれないな、と女子のイチジク寮に向かいながら朱雀は思った。

 寮はブドウ、ヤナギ、ザクロ、樫の木、イチジクの五つに分かれているが、朱雀は女子のイチジク寮にだけはまだ入ったことがなかった。というのも、イチジク寮にこれまで朱雀のお目当ての女の子がいたことがなかったからだ。
 長い螺旋階段をゆっくりと上り、イチジクの彫刻を目印に進んで行くと、優の炎の熱がどんどん強く、朱雀に感じられるようになる。朱雀はその熱に引き寄せられるように、迷わずマホガニーの小さな扉の前までやって来た。ドアを三回ノックして、返事を待たずに扉を開ける。
 そこは優の部屋ではなくて、小さな応接間になっていた。

「朱雀!?」

 飛び出しそうなほど目を丸くした流和がソファーから飛び上がった。すでに制服に着替えているが、まだ朝の身支度が整いきっていないと見えて、栗色の髪のウェーブがいつもより少し乱れている。
「え、朱雀くん?」

 奥の方で紅茶を入れていた永久が、流和の声に反応してポットを持ったまま振り返り、同じく驚いた顔をする。
「男の子が女子寮に来るのは禁止じゃないの?」
「禁止よ! 禁止に決まっているでしょう。朱雀、部屋に入らないで。何しに来たの!? 先生に言いつけるわよ!」
 
 だが、流和にがなりたてられても朱雀は動じず、「優はどこだ」、と面倒くさそうに言った。

「優? まだ寝てるわよ」
「だと思った」

 朱雀は応接間を横切り、やけに派手なピンク色のドアを横目で不思議そうに見つめながらも、ドアが開いたままになっている中央の寝室の入り口に真っすぐ進んで行った。部屋に入ると、心地いい炎が暖炉の中で燃えているのが分かり、口元がゆるむ。
 その寝室の厚みのある柔らかなベッドに、スヤスヤと寝息をたてて眠る優がいた。朱雀が部屋に入って来た騒ぎには全く気付かず、無防備にベッドの中で丸くなっている。

「起きろ」

 ベッドの傍らに立ち、朱雀が静かな声で言った。

「朱雀、何のつもり? 優は昨日、夜更かしをしていたの。もう少し寝かせてあげないと」
 流和が声を潜めてそう言うのを聞きながら、朱雀はベッドサイドのテーブルの上に積み重なっている本の山を見下ろした。一番上の本がまだ読みかけだ。

「今日から早朝訓練を始める。日中は授業だし、夜はデュエルで忙しいから、やるとしたら早朝しかないだろう」
 片手を腰に当て、朱雀がもう一度、今度は最初よりも少し大きな声で言った。
「起きろ」
「ン……」

 優が寝返りを打って、毛布にもぐりこんだ。

「優が早朝訓練なんて、するわけないと思うけどな。……朱雀くんも、お茶飲む?」
 開いたままのドアから、盆を持った永久が覗きこむ。すると、それには応えずに朱雀が棘のある口調で言い放つ。
「これは必然だ。俺の決定には従ってもらう」
 ついに我慢の限界がきて、朱雀は力づくで優から毛布を奪い去ると、その上に屈みこんで大きな声を出した。
「起きろ! 身ぐるみ剥がされたいのか! 起きろ!!」
「んッ!……。ふえッ……」
 毛布を取られた優は、身をよじって唸り始める。
「ちょっと朱雀、優を起こすときはもっと優しくしないとダメよ。この子、寝起きが悪いんだから!」
「ふえ、ッふえ、う………。ふえーん!」

 流和が言った通り、優が泣きだした。泣きながら、ベッドの上で塩水をかけられたナメクジのように身悶えしている。
「子どもじゃあるまいし、仮にも魔法使いだろう。本物の魔法使いは朝が早いものなんだ。ほら、起きろ! 昨日のやる気はどうした」
 朱雀は呆れ顔で、仕方なくベッドの上に片膝をつき、優の体を抱き起した。すると、不機嫌絶頂の優がいきなり朱雀の腕に噛みついてきた。
「うあああああああ!!」
 優を振りほどこうとしながらも、むげに突き飛ばすこともできずに朱雀が悲鳴を上げる。
「優!」
 代わりに流和が優を後ろから抱きかかえて朱雀から引き離す。すると、今度は優が足をバタつかせて朱雀に蹴り攻撃を加え始めた。
 優のピンク色のネグリジェが肌蹴て太ももが露わになるが、セクシーさの欠片もない、と朱雀は思った。
「こ、の……」
 朱雀の顔に青筋が立つ。
 見るも素早い動きで一歩後ろに退いた朱雀が、空中から回転するルビーの杖を取り出した。
「お前がそういうつもりなら、こちらにも考えがある。杖を出せ、決闘だ!」
「朱雀! 優は寝ぼけているだけよ。お願いだから物騒なものはしまってちょうだい!」
「馬鹿げたことを。とても寝ぼけてるっていうレベルじゃないだろう! これは、……はッ!! そうか、何かに獲り付かれているんじゃないのか!?」
「ああ、もう、煩い! 朱雀、優のことは私に任せて。ちょっと外に出て待っていて!」
「みんな〜、お茶が入ったよ〜」
「永久! 朱雀を部屋から連れ出しておとなしくさせておいて!」

 ベッドで暴れる優を取り押さえながら流和が叫んだ。
 いつになく騒々しい朝だ。




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