月夜にまたたく魔法の意思 第6話1





ダイナモン魔法学校の北の塔は、戦闘訓練を行うための言わば闘技場になっている。
そこには、水の間、木製の間、暗闇の間、石壁の間と呼ばれる4つの広間があって、それぞれに訓練内容を分けている。
水の間は、水中での訓練。
木製の間は、体術訓練。
暗闇の間は、隠密行動を会得するための場所。
石壁の間は、魔法を用いた戦闘を行う場所だ。

優のシャワータイムを待って、集合場所にぎりぎりに到着した流和たちは、ダイナモンの生徒たちがひしめく石壁の広間に駆け込み、切り立った岩の上に立つ猿飛業校長を見上げた。
試しの門に関する特別授業の始まりだ。

――「試しの門とは、決断の場である」

業校長が、眼下の生徒たちを見下ろした。

今、ダイナモン魔法学校の6年生すなわち、今年18歳になった者、あるいは今年18歳になる者はすべて、北の塔の最上階、石壁の間に集合している。
朱雀、空、吏紀の3人もこの集団のどこかにはいるだろう。

天井と壁が茨のように尖った岩でぐるりと囲まれた石壁の間は、一見、鍾乳洞のようにも見える。
業校長の声がその中に硬く反響した。
「我々は、最上位の石を持つ者の中から、予言の魔法使い6人を選出しなければならない。すなわち、2つのルビーと、それぞれエメラルド、サファイヤ、ダイヤモンド、そして、アメジストを持つ魔法使いである。明後日、最上位の石を持つ者は皆、試しの門の前に立たされるであろう。だが、そのほかの者も、意思ある者は試しの門に進み出るが良い。なぜなら、かの伝説の魔法使い、炎のシュコロボヴィッツの時代にそうであったように、我々には多くの戦士が必要だからじゃ。仲間を助け、共に立ち上がる戦士よ、よく聞くのじゃ、もしもこの中に、魔女に立ち向かう意思のある者があるならば、恐れることはない、最上位の石を持たぬ者であっても、皆、試しの門に進み出よ」
「門をくぐれば合格なのですか?」
ダイナモンの生徒の一人が業校長に質問した。

業校長はローブの袖の中で両手を組み、集団の中の一点を見つめて深く頷いた。
「さよう。門をくぐり抜けた者は、皆、合格である。だが、心してかかるのじゃ。もしも、試しの門の前に偽りの決断をするならば、その愚かさは死を招くであろう。これは、ダイナモン魔術魔法学校が設立した初めから定められておる、初代校長の掟である」

みなが真剣な眼差しで業校長を見上げた。
業校長は決して、大袈裟な物言いで生徒たちをイタズラに恐がらせたりするような先生ではない。だがこのときの業校長の言葉には、生徒たちを訓戒し導いて行く指導者としての確たる厳しさがあった。

「よいかの。では、試しの門について一言、説明を加えておこう」
生徒たちの緊張を和らげようとしてか、業校長が長い灰色の眉をほころばせた。

「試しの門とは一種の自空間魔法のようなものでな。門は、その入り口に立つ者に、過去や未来を見せることができるのじゃ。それはときに隠されている真実であったり、これから起こる、知りたくもないような出来事であったり、様々である。そして試しの門は、お前たちに一つの決断を迫るじゃろう……、『進むのか、退くのか』、それは、お前たち自身が決めることで、先ほども言ったように、その決断に偽りは許されないぞ」

業校長がふと、視界の端に一人の生徒をとらえた。
熱心に耳を傾けるダイナモンの生徒たちの中に一人、鍾乳洞のような天井や壁を不思議そうに見回している少女がいる。
「古の魔女アストラが復活した今、……ゴホン」
校長が不意に話を止めて、優の方を見たので、優と校長の目が合った。
校長の話をまるで他人事のように聞いていた優は、校長と目が合うと今度は他のことに注意がそがれた様子で、しきりに業校長をジロジロ見るのだった。
――どんなに威厳を振りまいても相変わらず亀のように首をすぼめている不格好な老人に、優が口もとをゆるめた。

緊張した面持ちで業校長を見つめる生徒たちとは対照的に、優の視線は糸の結び目が片方ほどけてしまったように、フワフワとあちこちを彷徨っている。
その様子から、校長は優が真面目に話を聞いていないことを瞬時に見通した。
業校長は小さく首を横に振ると、幼い子どもを叱るような目で優を見つめながら、話の先を続けた。

「我々はみな、戦士である。試しの門をくぐり抜けた者は、魔女との戦いの最前線に送りだされるじゃろう。だがしかし、そうでない者も、ここで共に戦うのだ。お前たちは皆、ダイナモン最高学年の優秀な魔法使いなのじゃから、この学校の下級生たちを守る義務があることを忘れるな。この学校にも、いつ、闇の襲撃が訪れるか知れぬ……。しかし、我々の領域は我々が守るのじゃ。邪悪な魔法使いに侵させてはならぬ。皆、日々の鍛練を怠ってはならぬぞ」

ダイナモンの生徒たちがそれぞれに業校長に向かって頷き、皆、自分の右手を左胸に当てた。

「よろしい。試しの門の儀は、明後日の早朝から執り行う。日の出と共に、皆、この場所に集まれ。では、これにて解散」
――バシュン!
言い終えた業校長の姿が、一瞬にして煙のように消えた。
代わりに、それまで業校長の立っていた岩場から、一羽の灰色の鳩が、キュルキュルと音をたてて舞い上がり、石壁の広間から出て行くのが見えた。
優はそれを見て、(亀の方がイメージにピッタリなのに)と思った。

試しの門に関する校長の演説が終わったので、ダイナモンの生徒たちは石壁の間の出口へ向かって流れ始めた。
優も、流和や永久と一緒にその流れに乗り、出口へ向おうとした、その時。背後で、知らない声が「おい」とつっけんどんに呼びかけて来たので、優は足を止めた。
振り向くと、ダイヤモンドの杖をきらめかせた見知らぬ男の子が、満足げに優を見据えて立っている。
「お前が明王児優だな」
男の子は礼儀正しく振る舞うつもりはないらしく、優のことを図々しく物みたいに指差した。
優は小首を傾げた。
「そうだけど、あなたは誰?」
「杖を出せ」
と、唐突に男の子が言ったので、優は訳が分からず、口をポカンと半開きにした。
「へ?」
「出さないなら、こちらから行くぞ」
男の子が杖を構える。

「東條、やめて」
流和が気づいて、慌てて優と男の子の間に割って入ってきた。
東條、と呼ばれた男の子が、不意に厭らしい笑みを浮かべて流和を見た。
「なんだ、負け犬の龍崎家の弾かれ者か……。お前には用はない、どけよ、忌々しい。俺は火の魔法使いにデュエルを申し込んでいるんだぜ」
「でゅえる?」
優が眉をひそめて流和に説明を求めるが、その前に永久が優と流和の制服の袖を引っ張って言った。
「何なのこの人? 流和に対して失礼じゃない、行きましょう」
「おいおいおい待てよ、デュエルを断ることなんて、できないはずだゼ?」
東條が卑屈に口元を歪め、片手を上げた。すると、幾人かのダイナモンの生徒たちが現れて、優たちの行く手を阻むように取り囲んだ。
流和がキッとして東條を睨む。
「優はまだここに来たばかりで、デュエルの仕組みを知らないのよ。当然、応じられないわ。私たちのことは放っておいて。行きましょう、優」
流和が優の手を掴み、行く手を阻もうとするダイナモンの生徒たちを押しのけた。
「うん」
優は流和に手を引かれて歩き始めた。直後、優の視界の端を、縦に伸びた光の線がすごい速さで通り過ぎて行った。
「ッ……!」
ハっとして足を止める優の横で、流和がビクリと体を震わせて優から手を離した。
「流和?」
流和が左手首を抑えている。押さえつけている流和の白いブレザーの袖口が、みるみる赤く染まって行くのを見て、優は驚いた。
「血だ!」
「平気よ、大丈夫」
流和は無表情だ。
優たちの反応を見て、東條をはじめとするダイナモンの生徒たちがニヤニヤ笑っている。
「す、すぐに、医務室に行かなくちゃ!」
永久が震える手で制服のポケットからハンカチを取り出して、流和の手首にぐるぐる巻きつけた。そうするうちにも、永久の瞳に涙が滲み上がった。
魔法が人を幸せにするものだと信じていた永久は、それと同じ「魔法」が人を傷つける瞬間を、この時、生まれて初めて実際に目撃したのだ。
「平気よこれくらい、大丈夫だから」
「どうして、いきなり、こんな……、どうしよう、血が止まらない!」
恐怖とショックから、永久がメソメソ泣きだした。
それをなだめようとする流和も、永久につられて泣きそうな声になる。
「私は大丈夫だから……」

優は腕組して、深呼吸した。
――魔法は人を傷つけるもの。魔法は人を殺すもの。
両親を失ってから、優が今まで何度も頭の中で繰り返し、自分に言い聞かせ、理解しようとしてきたことだ。こんなのは、今に始まったことじゃない……。
今さらその事実に腹を立てるなんて間違ってる、と、優は思った。
だが、親友の流和をいきなり、何の前触れもなく簡単に傷つけられた今、自分自身の中に改めて強い怒りがこみ上げて来るのを優は感じた。

優はゆっくりと東條を振り返った。
「何のつもり」
出会ったばかりの人間を、こんなに憎らしいと思ったのは初めてかもしれない。
「邪魔立てするからだ」
東條は鼻で笑いながら、悪びれる様子もなく答えた。
「杖を出せ、決闘だ」
「何のために」
「どちらが強いかを競うのさ、強いて言うなら、名誉のために」

名誉のため? 優は東條の言った言葉を頭の中で反芻しながら、虫酸が走る思いだった。そんなもののために、簡単に人を傷つける……、優には信じられない感覚だ。
優の周囲に野次馬たちが集まって来て、皆、好奇の眼差しで優を見つめて来た。
残酷で、人を傷つけることを何とも思わない、むしろ楽しいとさえ思うっているような狂った目だ、と優は思った。
強者が弱者をリンチしようとしているのに、誰も、騒ぎを止めに入ろうとはしないし、誰も、「それはおかしい」と異議を唱えない。
彼らの言う「名誉」とは一体、何だろうか。その名誉に、何の意味があるのか。

優のシュコロボヴィッツの瞳が、深紅に染まった。
――優の両親は、魔法使いに殺された。おかげで優は、一人ぼっち。成績が悪いと叱ってくれる母親はもういないし、ベラドンナに入学して特別な図書委員になれたことを、きっと褒めてくれたろう父親も、もういない。
優は東條を、親の敵を見るようにジッと見据え、言った。

「決闘には応じない。人を傷つける強さなんかいらないし、人を傷つけて恥とも思わない名誉なんか、いらないから。あんた、東條って言うの? えらくダイヤモンドの輝きを誇りにしているようだけど、きっと大した魔法使いになれないね。私はもっとキレイなダイヤモンドを知ってるよ。あんたのよりずっと輝いてて、強くて、真っすぐなダイヤモンドは他にある」
そんなことを言えば東條を怒らせる、ということが分かっていて、優は思い切り鼻で笑った。

額に不気味なほど青筋を浮かべた東條が、怒りに顔を歪めて優に向かって杖を振った。
途端に、幾筋もの光の線が東條の前に召喚され、、地面を砕きながら優と、そして優の背後にいる流和と永久に向かって襲いかかって来た。
それは先ほど優が見た、流和の手首を切り裂いた光の線と同じものだ。
この光の線には、肉体を切り裂くピアノ線のような鋭さがあるのだろう。

優は嫌悪感を剥き出しにして、東條の前に仁王立ちした。親友を傷つけられた怒りと、かつて魔法使いに両親を殺された怒りが、迫って来る光の刃に煽られて、……ついに爆発する。
そして、優の全く意図しないこが起こった。――熱気だ。
大気を揺らめかせる透明の炎とも言うべきか。
優の怒りと、これ以上親友を傷つけさせてたまるものかという強い気持ちが、熱を帯びて優の体外に流れ出し、周囲を覆ったのだ。
東條の放った光の線は醜くねじれ曲がり、優の熱で、一瞬にして陽炎のように消失した。

周囲にいた生徒たちが、優の熱を実際に体に感じて、後ずさりした。
東條のダイヤモンドから生じる光の魔法は、魔法属性の中では最高レベルの力だ。その攻撃を、優は杖も呪文もなしに簡単に退けた。
何が起こったのか誰にもよく理解できなかった。――朱雀以外には。

騒ぎに気づいて野次馬たちが集まる中、朱雀、吏紀、空の3人も当然、優たちが東條にデュエルを申し込まれているのを見ていた。
デュエルを断ろうとした流和が、東條に魔法で傷つけられた時点で、真っ先に空が出て行こうとしたのを、朱雀が鬼のように止めた。
「黙って見ていろ」と言う朱雀に、空が殴りかかろうとしたのを吏紀が止めに入っているうちに、優の熱気が辺りに広がった。
朱雀には、優の内でくすぶる潜在的な炎の力が見えていた。だから、優がどうするかを見たかったのだ。
今、朱雀は驚くこともなく、満足そうに遠くから優を見つめていた。

東條が目を丸くして、ショックを受けたように眉をひそめている。
「何をした?」
優はその質問には答えなかった。
何をしたのか、優にも分からないことだったのだ。ただ言えるのは、東條には優の親友を傷つけることは出来ない、ということだけだ。

「私のことが気にいらないなら、殺せばいいよ。――あのときみたいに……。ただしやるなら、確実に私だけを狙いなよ。私だけを狙うなら、抵抗はしないから。どっちにしろ私は、魔法使いではないんだし、魔法は使えない」
「魔法使いでは、ない……? この雌鼠! 火の魔法使いだからって、調子にのるなよ。ベラドンナみたいな屑学校から来たくせに! 二度と俺にそんな口がきけないようにしてやる!」
「そこまでだ」

東條が再び杖を構えて攻撃態勢に入ったとき、野次馬たちの中から一人の青年が上品に歩み出て来た。
エメラルドの風が辺りに吹き荒れる。ついに、朱雀から解放された空は、表面では優雅に振る舞っていても、その魔力からはひどく不機嫌なことが伺えた。
色の薄い猫っ毛を跳ね上がらせた空は優に並んで、東條と向き合った。
優は空を横目に見上げて、さすが、流和の彼氏だけあって目鼻立ちが整っているな、と改めて感心しながら、出て来るのが遅い、と内心で思った。
空がすぐに助けに来なかったのは、朱雀のせいだということも知らず。

優の批難めいた視線を無視して、空が東條に言った。
「お前のお得意のライトニングが優に無効化された時点で、勝負あり。これ以上の手出しは無用だ」
「東雲空……。お前には関係のないことだ」
「いいや、関係あるね」
空が東條に向かって、親しげに微笑みかけた。だが、その顔がゆっくりと氷のように冷たい笑みに変わる。
抑揚のない声が、エメラルドの風と共にに辺りに響き渡る。
「流和を傷つけただろう。全部、見てたゼ。相変わらずやり方が汚いよな。お前の下劣さには、毎度のことながら反吐が出る。だから俺は、東條晃、お前にデュエルを申し込む」
「空!?……」
流和が何か言いたそうにするのを、空が手を上げて遮った。空は流和を見ない。
東條がニヤニヤ笑っている。
「はあ? エメラルドごときのお前が、ダイヤモンドの俺様にデュエルを? バカな……」
「石は関係ない。意思が関係あるのさ」
と、空は拳で自分の左胸を軽く叩き、鋭く東條を睨んで言った。
「覚悟しろよ」
空の周囲に、風が巻き起こり、回転するエメラルドの杖が宙から飛び出すのと同時に、空が地面を蹴って杖に飛び乗った。
それを見て、東條も浮力を掴んで空中に飛び上がった。
「東雲家の人間が東條家の俺様にデュエルを申し込むとは、本家が分家にしてはならない掟を忘れたのかい。まあいい、こんな機会でもなけりゃ、東條家の力を思い知らせてやることはできないからな」

どこかから、東雲家と東條家の戦いだ、と驚き囁く声が聞こえて来た。
流和が心配そうに上空を見つめる。
「東雲家と東條家はもとは同じ一族だったの。今は二つに分かれているけど、それぞれの家長の命令で、互いに争い合うことを禁じられている……。空は本家の人間なの。正当後継者である空には、分家の人間よりも厳しい掟が課せられている。きっと空は、この決闘で勝っても負けても、ただではすまされないわ……」





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