月夜にまたたく魔法の意思 第5話1





それはジェットコースターで大回転をしたような感覚だった。
光のない渦の中をくぐりぬけて、優は一瞬で明るい空間に投げ出された。
吐きそうだ。
まばゆいオレンジ色の光に目を開けると、頭上にまたたく大きなシャンデリアがいくつも見えた。
制服のスカートから出た太ももから、冷たい床の感触が伝わって来る。

「帰って来たわ!」
「帰って来たぞ!」
「帰って来た! 高円寺朱雀が帰って来た!」

聞いたことのない声がすぐ近くで聞こえると、途端にワーという歓声に変わった。
優は驚いて上半身を起こした。
見ると、ダイナモン魔法学校の制服を着た、驚くほど多くの生徒たちが、優たちを取り囲んでいる。

「おいおい、なんだこの騒ぎは、一体、どうなってるんだ?」
額に汗をかいた空が呟いた。顔色が悪く、呼吸が早い。
見上げると、流和も空の隣で、同じく具合悪そうに立っている。
優はそんな二人を見上げながら、今何時なのだろうか……と、思考を巡らせた。
優の時間感覚が間違っていなければ、今は真夜中をとっくに過ぎた時間のはずだ。
それなのにどうして、これほど多くの生徒たちがこんな時間に起きていて、好奇心旺盛の眼差しを優たちに向けて来るのか。

優は、肌蹴ているスカートの裾を正して、ゆっくりと立ち上がった。足がフラフラした。


「業校長を呼んで来よう!」
集団の中の誰かがそう叫んだとき、しわがれた大きな声が雷のように轟くのを優は聞いた。

「もう来ておるぞよ、その必要はない。皆、静まれ」

灰色の生徒たちの群れをかきわけて、初老の長身の男が優たちの前に歩いて来た。
赤みがかった紫色のローブをズルズルひきずって現れたその男は、同じ色の大きすぎる山高帽をかぶっているせいで、亀が首をすぼめているみたいに見えた。
衣装全体にダイヤモンドの粒を散りばめていると見えて、派手すぎるくらいにキラキラ光っている。
優は口を引き結んで、笑いをこらえた。

「業校長……」
空と吏紀が、胸に手を当ててうやうやしく頭を下げた。
美空を抱えている朱雀も、男に向かって丁寧に会釈した。

「お前たちが帰って来るのを、皆で待っておったのじゃ、皆、無事か」
猿飛業校長は琥珀色に輝く瞳で、ぐるりと7人を見回した。

――ダイヤモンド。
優はそのとき、業校長が強い光の魔法使いであることを感じ取った。

業校長は最初に流和に目をとめて、睫毛の長い切れ長の目をさらに細めた。
「龍崎流和。麗しい水の魔法使いは、健在なようじゃな」
「ご無沙汰しております、猿飛先生」
流和は、空たちと同じように胸に手を当て、校長に深深とお辞儀した。お姫様みたいに優雅な動きだ、と優は思った。

校長は静かに頷くと、さらに7人を注意深く観察し始めた。
「危険な水の妖精……、闇の魔術……おお、呪いにかけられた痕も見えるぞ。それに、沈黙の山の黒狼の爪痕……皆、ひどく無茶をしたようじゃな……だが皆、無事のようじゃわい」
空と流和はナイアードの毒が回って、ひどく顔色が悪い。暁美空は意識を失って朱雀の腕に抱かれている。
吏紀、永久、優の3人は泥まみれだ。
優たちに何があったのかを、校長はその鋭い眼力で全て見通しているらしかった。

だが、業校長は帰って来た7人の中に月影聖羅がいないのに気づくと、険しい表情で朱雀を見つめた。
「共に遣わした、月影聖羅はどうしたのじゃ」
 
「聖羅は、戻りませんでした」
感情を感じさせない事務的な口調で、朱雀が答えた。校長はそれを聞くと、ショックを受けたように瞳を閉ざし、深く息を吐いた。

「そうか……」
校長はそれ以上は聞かなかった。詳しく聞かなくても、聖羅に何があったのかを察しているに違いない。
ダイナモンの生徒たちが皆一様に、顔を伏せた。

「それに、ゲイルの予言書を失いました。申し訳ありません」
「分かっておる。お前たちの様子を見れば、すべてお見通しじゃわい。 よく、生きて戻ったな」

校長は両腕を大きく広げて朱雀から美空を受け取ると、その場にいる全員に聞こえるように大きな声で話し始めた。

「皆、よく聞くのじゃ。今宵、沈黙の山に赤き月が昇り、古の魔女アストラが復活した。賢者ゲイルに予言が現れたことは、高円寺朱雀たち5人をベラドンナに遣わした後に皆に知らせた通りじゃが、その予言は、わしらが思っておったのとは違う方法で、確実に進行しておるようじゃ。すでに魔法公安部や魔法警察の部隊が事態の収拾にかかっているが、これまで影を潜めていた闇の勢力が堂々と光の領域に足を踏み込み、各地で殺戮を極めておることは真実じゃ。魔女の暗黒の力が解き放たれた今、闇の魔法使いたちはますます勢いを増すじゃろう。しかし、我々はこの混迷の時代に、かつて我々の祖先がしたのと同じように共に立ち上がる。力を合わせて闇に立ち向かうのじゃ」

見ると、業校長の他にもローブをまとった先生とおぼしき大人の魔法使いたちが、広間のあちこちに姿を現し、優たちを見ている。
校長は尚も話を続けた。

「魔女の墓を見張っていた部隊との連絡が途絶えてしばらくになる。さらに、各地の魔法学校から招集していた『資格をもつ者』たちが、ダイナモンにたどり着くことなく行方不明になっておる。忌々しきことじゃが、闇の魔法使いたちが予言を知り、最上位の石を持つ18歳以下の魔法使いを狙っていることは確かじゃ。無事にダイナモンに戻ったのはお前たちだけ……考えたくはないが……」
猿飛業校長は朱雀たち7人を見つめ、言葉を詰まらせた。
ダイナモンやベラドンナ以外の魔法学校に通う、最上位の石を持つ魔法使いは、本当に闇の魔法使いにやられてしまったのだろうか。
それほど多くの人々が、しかも、優たちと同じ年代の魔法使いが殺されたかもしれない、という事実を、優はよく理解することができなかった。

朱雀が、苛立ちの混ざる声音で校長に問う。
「闇の魔法使いたちは、何故、賢者ゲイルの予言の内容を知っているのですか。それは、僕たちだけが知っていたことではないのですか。一体、どこから情報が……」
「それに関しては現在、公安部が全力を上げて調査しておる」

校長の張り詰めた声に、ダイナモンの生徒たちがざわめき立った。内部に裏切り者がいるに違いない、という思いに、その場にいた誰もが戸惑いの表情を見せた。
優は、月影聖羅が情報を漏らしたのではないだろうか、と思ったがこのときは口に出さなかった。

担架を持った黒いローブの男たちがやって来たので、業校長は美空を男たちに引き渡した。
その時、他の魔法使いたちとは違って、一人だけローブを着ていない女の人が、優の目に止まった。
それは青いドレスを緩やかになびかせた美しい女の人で、担架に横たえられた美空に付き添って広間を出て行こうとしているところだった。
「綺麗な人」
永久が思わず声を上げるほどだった。
「保険医のマリー先生よ。本名は、小林真理子なんだけど、みんな、マリー先生って呼んでるわ」
流和が小声で教えてくれた。
「可愛く見えるけど、めちゃくちゃ恐いんだぜ」
と、空がかすれた声で付け加える。額に汗をかいて、立っているのも辛そうだ。

広間から立ち去って行ったマリー先生の後ろ姿をもっとよく見ようとして、優が背伸びしたとき、傍にいたダイナモンの男の子が突然大きな声を上げた。
「すごいぞ! この子を見ろ!」
男の子は飛びだしそうなほど目を丸くして、優を指さした。
途端に、数人のダイナモンの生徒が優の顔を覗きこみ、ワーという歓声を上げて他の生徒を振り返る。

「シュコロボビッツだわ!」
女の子が叫んだ。
「驚いたわ! 高円寺朱雀の他に、火の魔法使いが存在していたなんて!」
「本当だ! 本当にシュコロボビッツだ!」

大人の魔法使いたちを含め、皆が一斉に優に視線を向けたので、優は口を半開きにしながらも、本能的に永久の背中に隠れた。
こんな風に好奇の眼差しにさらされるのは、生まれて初めての経験だ。
悪い気はしないのだが、怖くもあった。

業校長が頷き、嬉しそうに朱雀を見た。

「ついに、見つけたのじゃな」
「……、はい」
朱雀が苦い顔で返事をした。
その表情は、いろいろと訳ありな優のことをどう説明したものか、と、考えあぐねているようだ。
というのも、優は魔力封じのゴーグルをかけていたせいで空も飛べない状態だし、しかも、魔法界で忌み嫌われる人間とのハーフだからだ。
優がみんなの思い描いている火の魔法使いと大きくかけ離れていることを、朱雀が一番よく知っていた。
火の魔法使いはただでさえ魔法社会で風当たりが強いのに、優が人間とのハーフだということが知られれば、皆から悪意のデュエルの対象にされることは間違いない、と朱雀は思った。

ダイナモンには「デュエル」という闘い合いのシステムがある。火の魔法使いはその格好の標的だ。
なぜなら、もしデュエルで火の魔法使いに勝てば、どんな魔法使いでも最高の栄誉を得られるからだ。
そのため、火の魔法使いは他の魔法使い全員から袋叩きにされても文句は言えない。それでも負けないくらい強くならなければ、ダイナモンではやっていけない。

優にそれができるのか……。
朱雀は、たった一人で6年間もダイナモンで戦い抜いて来た。
その朱雀でさえ、火の魔法使いであることの過酷さを時に重荷に感じることがある。
優が自分と同じ痛みを受けると思うと、少々、酷な気がしないでもない。
だが、そんな朱雀の思いをよそに、優がいきなり口を開いた。

「私は魔法使いじゃないのよ。魔法使いになることを止めたの。だから、すぐにベラドンナに帰るわ」

一瞬にして、ダイナモンの生徒たちが口を閉ざし、辺りの空気が凍りついた。戸惑った顔で優を凝視している子たちもいる。
優の唐突な言葉に、業校長でさえ眉をしかめた。
朱雀だけがイラっとした様子で瞼を伏せ、吐き捨てるように溜息をついた。
――もう、どうにでもなればいい、こんな馬鹿な女。

凍りついた空気の中で、突然、広間の前方、ちょうど優たちの背後にある大きな鷲の銅像が、翼を広げてゴーンゴーンと鳴り響いた。
外の景色がうっすらと白んできている。
業校長がその音を合図に、口を開いた。

「もうじき、夜が明ける。皆、疲れたじゃろう。だが、夜更しをしたとて朝になれば授業を休むことは許されないぞ。来たるべき闇の襲撃に備えて、全員が厳しい訓練を受けねばならぬ。さあ、皆、それぞれの部屋に引き戻り、しばし休息を取れ。皆、朝食に遅れないようにな」

校長の指示で、ダイナモンの生徒の群れが一斉に広間の出口に向かって歩き出した。
中には、後ろ髪を引かれるように何度も優のことを振り返って見て行く生徒たちもいる。

やがてダイナモンの生徒たちがいなくなると、業校長が残った6人に言った。
「疲れと傷を癒すため、お前たちは風呂に入ってから眠るのじゃ。怪我の処置が必要な者も、医務室に行く前にまずは風呂に入れ」

校長はそう言い残すと、亀のように首をすぼめて広間を出て行った。
入れ替わりに、淡い桃色のローブに山高帽をかぶった女の人が、神経質な顔つきで優たちに近づいて来た。
「荷物は部屋に運んであります。龍崎流和、ベラドンナからやってきたお友達を、案内してあげてください」
「はい、桜坂教頭先生」

「じゃあ流和、後で」
空がそう言って、すでに広間の出口に向かっている朱雀と吏紀を追いかけて走り去って行った。





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