月夜にまたたく魔法の意思 第4話7
朱雀が適当な小枝で、土の上に絵を描き始めた。
みんなに、ポータルの保管場所を説明しようというのだ。
簡単に描かれた山の絵の中に、3か所の印がつけられた。
頂上に一つ、中腹に1つ、そして、今優たちが立っている山の麓に1つ。
「公安部が使っているダイナモンへのポータルは、全部で3つある。どれも、手のひら大の真珠だ」
「もしかして、3つとも揃わなきゃダメなのか?」
「3つもあるの? 面倒ね」
「3日間も空を飛び続ける思いをしたら、楽なもんだろ。石は、3つ揃わなければポータルの効力を発揮しない。セキュリティーを高めるために、業校長が考えたことらしい」
「なるほど。それで、石はその3か所にあるんだな」
「そうだ。まず、この山のてっぺんにあるのが『危険探知の石』と呼ばれる、白い真珠だ。危険を察知すると青白く光り出すから、公安部が見張り用に使っているらしい。次に、山の中腹にあるのが『生死の石』と呼ばれる黒い真珠。誰かが死ぬ直前に青白く光り出すっていう、死神の石さ」
「それって、魔女の墓のすぐ近くじゃないのか?」
空が、朱雀の指差している先を見て言った。
「察しがいいな。『生死の石』は魔女の墓塚のすぐ裏手にあるんだ。まったく、いい所にあるもんさ」
「その絵によると、3つ目の石は、今俺たちがいるこのすぐ近くってことになるな」
「そうだ。3つ目の石は『善悪の石』と呼ばれるピンク色の真珠で、そこの湖の底にある」
振り返ると、さざ波一つ立たない静かな湖面が、闇の先に広がっている。全てを呑みこみそうな湖面に、月の光までが、捕えられているように見えた。
「山の中腹の、ちょうど、魔女の墓とは反対の所に、公安部の待機所があるんだ。念のため、誰かが様子を見に行く必要がある。公安部の連中、こんなときに眠りほうけているとしたら、叩き起こしてやらないと」
朱雀が小枝の先で、山の東側に新たに4つ目の印をつけた。
「吏紀、山の頂上までひとっ飛びして、危険探知の石を取って来てくれ。空は、流和と一緒に湖の担当だ」
「ちぇ、とても泳ぐ気になるような夜じゃないけど、仕方ないな。朱雀はどうするんだ?」
「俺は魔女の墓に行く。美空は聖羅と一緒に、公安部の待機所に向かえ。もし、そこで誰かを見つけたら、事情を説明するんだ」
「わかったわ」
「みんな、いいな」
「了解」
「オーケー」
「石を手に入れたら、全員、今いるこの場所に集合すること。何かあったら、すぐに救難信号を上げろ」
朱雀の合図で、皆がそれぞれの方向に飛び去った。
吏紀は永久を連れて沈黙の山の頂上へ。空と流和は湖の方へ。
朱雀が、公安部の待機所に飛び立とうとしている美空の腕をつかんだ。
「何?」
「気をつけろよ、美空」
朱雀が美空に耳打ちする声が、優にも聞こえた。
「わかってるわ、じゃあ、後でね」
美空がニコリと笑って、聖羅と共に夜空に飛び立っていった。
朱雀は心配そうに美空を見送ると、最後に優を振り返った。
「俺たちも行くぞ」
だが、優は首を振る。
「私はここで待ってるよ。飛べないし、この子、機嫌が悪いの」
「この子、って、まさかゲイルの予言書のことか?」
「そうよ。ベラドンナの図書館に帰りたいって」
「帰りたいのはお前だろ」
わがままを言って動こうとしない優を前に、朱雀は溜め息をついて夜空を見上げた。
朱雀は疲れていた。
悪夢のせいで、最近はろくに眠れていないし、ベラドンナに来てから優には振りまわされっぱなしだったからだ。
人を恐怖で抑えつけて思い通りにさせるのが得意の朱雀にも、優を思い通りにさせるには骨が折れた。
かと言って、優一人をこの場所に置き去りにして、朱雀一人でポータルを取りに行くわけにもいかない。
沈黙の山は、魔法界の守護が働かない場所だから、朱雀にも予想のつかない事態が起こるかもしれなかった。
やがて朱雀は、優が指の先で撫でているゲイルの予言書を、ぼんやりと見下ろした。
今、優が手にしている予言書には、魔女の復活と、復活した魔女に立ち向かう光の魔法使いたちの予言が記されている。
ふと、朱雀は自分に関わるであろうその予言を詳しく知りたい欲求にかられた。
朱雀たち最上位の石を持つ者に関わりのあることならば、当然、全てを知らされていいはずなのに、校長室ではそれを教えてもらうことができなかったのだ……。
朱雀はずっと、校長室での賢者ゲイルや、校長の様子が気にかかっていた。それに、どうして予言のハープが朱雀たちの前では歌わなかったのか。
校長たちは、何を隠しているのだろうか……?
「魔法のハープが、俺たちの前では歌わなかったんだ」
抑揚のない声で突然、朱雀がボソリと呟いたので、優は何事かと眉をしかめて朱雀を見上げた。
「何のこと?」
「予言の話さ。魔法界に現れた、重大な予言。それは俺たち、最上位の石を持つ魔法使いに関わるものだ。だが、俺たちはその全てを知らされているわけではない。おそらく、ベラドンナの図書室でゲイルの予言書を見つけることができなかった俺には、その本を読むことはできないだろうが……、もしかしたら、お前ならできるんじゃないのか?」
朱雀の言葉に、予言書を撫でる、優の手が止まった。
朱雀がゲイルの予言書に書かれている内容を知りたがっていることは、優の目にも明らかだった。
だが、隠されている秘密は掟の通りに取り扱われなければならない。
読むべきではないから、読むことができないのだ。図書委員である優には、そのことがよく分かっていた。
「知るべきじゃないのよ」
「それでも、知りたいとしたら?」
「自分で読むしかないね」
優は、ゲイルの予言書を朱雀に差し出した。
優の腕の中でさんざん文句を言っていたゲイルの予言書は、朱雀の手に渡されるとワガママを言うのをやめて、急に喋らなくなった。
と言っても、その声は優にしか聞こえないので、朱雀は何も分からないだろうが。
革表紙の擦り切れた本を、朱雀が慎重に開く。だが、すぐに首を振って本を優に戻してきた。
「やはり、俺には読めないみたいだ」
「そう」
優は朱雀から予言書を受け取って、再びしっとりとした革表紙の感覚を指で確かめた。
朱雀が諦めたように、優に背を向ける。
聖ベラドンナ女学園で図書委員を続けて来た優にも、時々、不思議に思えることがある。
なぜ秘密は隠され、なぜ秘密は解き明かされるのか。朱雀のように、魔力が十分にあるのに読めない本があり、優のように、魔法使いになることを諦めた落ちこぼれなのに読める本がある。それを決めているのは誰なのか。魔法の本たちだろうか?
いや、きっとそれだけではない。
「……どうしてだと思う?」
優が朱雀に問いかけた。
どうして、知りたいと願う真実を、知ることができないのだろうか。
優に問われて、朱雀は考えた。
どうして、自分にはゲイルの予言書が読めないのか。知るべきだと分かっているのに、知ることができないのか。
朱雀にはその答えがすぐに分かった。
心の奥に秘めた思いを見透かされそうな気がして、朱雀は無意識に優を睨んだ。
でも、優は全然違う方向を見て、口を半開きにして何かを考え込んでいる。
そのとき朱雀は、不思議と優に親近感を覚えた。優になら、朱雀が今まで気付かないふりをして打ち消してきた思いを、打ち明けられる気がした。
それはきっと、優が、朱雀と同じ炎の魔法使いだからだ、と、このときは朱雀はそう思った。
「本当は、知るのが恐いんだ」
朱雀が低い声で言った。
優がふっと我に帰って、朱雀を振り返る。
「どうして、恐いって思うわけ?」
「その予言書には、何か良くないことが、書かれている気がするからだ」
「良くないことって?」
優が首をかしげる。
「俺は質問攻めにされるのが嫌いなんだ」
「何を恐れてるの?」
「それを言ったら、代わりにそこに書かれていることを読むか?」
「さあ、どうかな」
優が探るように、革表紙を指の腹でなぞった。
その時、ゲイルの予言書がとっても小さな声で囁いた。
――彼になら、読んであげて。彼にはその資格があるよ、本当に知りたがっているよ。
ゲイルの予言書は、朱雀を嫌ってはいないようだ。
「うん、読んであげてもいいよ」
「そうか……」
しばしの沈黙の後、朱雀は優の隣までやってきて、両手を制服のポケットに入れて立った。
「父さんや母さんみたいに、光を失うこと。俺もいつか、闇の魔法使いになる。そんな気がするのさ……それが、たまらなく恐い」
朱雀の声が震えていた。それが寒さのせいなのか、闇に対する恐怖のせいなのかは、優には分からない。
「自分で決めることなんでしょ?」
「なんだって?」
「光にとどまるか、闇に堕ちるかは、自分で決めることだって、そう言ってたよ」
それは、聖羅が闇の魔法使いになってしまうのか、と、優が訊ねたときに、朱雀が優に言った言葉だった。
「それでも、自分一人じゃどうにもならないことがあるのさ。……、お前には分からない。さあ、早くその忌々しい予言を読んでくれ」
朱雀が怒ったように地面を蹴って、優に背を向けた。
優には、朱雀の言っている意味がよく分からなかった。
なぜなら優には、朱雀の持つ炎の確かな輝きと、熱が、圧倒的に見えていたからだ。そこには闇が入りこむ余地はないように思える。
それに朱雀には、ダイナモンの仲間たちがいるではないか。
どうして、朱雀は一人じゃどうにもならないなんて言うのだろうか。一人ぼっちではないはずなのに。
ゲイルの予言書が、優の膝の上で自らページを開いた。
本当に、風一つ吹かない静かな夜だ。
優の声が、鈴虫の鳴き声のように闇に響いていった。
『門を開け。門を開け。魔女の息吹が邪悪な心に誘いかけている。
沈黙の山に赤き月が昇る時、古の魔女は墓より目覚め、地獄の門を開かんとせん。
――光の衣を着ているようでも、その裾の黒い者が彼らのすぐ近くに潜んでいる。裏切り者だ、裏切り者だ。
こうして魔女は復活し、立ち向かう者は必ず死の淵に追いやられる。
魔女の封印には命の代償を。
最初にサファイヤが消え、次にエメラルドが欠ける。
ダイヤモンドとアメジストは大地に倒れ、起きあがれない。
最初のルビーは光を失い、最後のルビーは黄泉に下る。
選ばれし若き魔法使いが魔女に立ち向かうが、彼らは二度と戻ることはないだろう』
優はゲイルの予言書を閉じた。
予言の内容にはあまり興味がなかったが、そこに書かれていたことが不吉な内容だということは分かったので、寒気がした。
どう見ても、復活した魔女に立ち向かう者が必ず死ぬという、不吉な予言だった。
「俺たちは死ぬ……、そうか」
朱雀が機械的に呟いた。
「畜生、だから校長は予言を書き換える必要があったんだな。俺たちは死ぬ……闇の魔法使いがゲイルの予言書を狙っていたのは、校長に予言を書き換えさせないためだったんだ……」
一人でぶつぶつ呟いていた朱雀は、最後に優の口を指差してこう言った。
「このことを誰にも話すな」
赤く光る目で、朱雀が優を睨んだ。
呪いでもかけられたのだろうか。優はムッとして朱雀にこたえた。
「私は図書委員だもの、本の秘密は漏らさないわ」
朱雀は優の返事を聞くや否や、空中から自分の杖を取り出し、それを足で蹴って優の前に止めた。
杖の先端に、マグマのように輝くルビーがはめられており、それだけで優の身体を火照らせた。すごい魔力だ。
杖の柄はもしかすると、純金製だろうか。伝説の炎の魔法使いシュコロボビッツと同じ、強力な魔法使いの印だ。
「乗れ」
朱雀が言った。
「さっさとポータルを回収して、こんな場所とはおさらばだ」
優が口応えしようとしても、朱雀はそれを聞かない。
「悪いが今はお前に付き合っている暇はない。少しでも余計なことを言ったら、湖の底に沈めて二度と浮きあがれないようにしてやるから覚悟しろ」
優は、朱雀に言われた通り、ゲイルの予言書を抱えて朱雀の杖に座った。
片足を杖にかけた朱雀が地面を蹴ると、二人は勢いよく上空に舞い上がった。
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