月夜にまたたく魔法の意思 第4話11





公安部の待機所を目指して朱雀が風のように飛行する中、山の麓側から流和と空が、そして山の頂上側からは永久と吏紀が飛んで来た。
皆、美空の救難信号を見て駆けつけて来たのだ。

「朱雀、これを見てくれ! 善悪の石が光りはじめたんだ」
「危険探知の石も同じだ」

空と吏紀が、それぞれ見つけて来たポータルをかざして見せた。

「ああ、生死の石も光りはじめてるよ」
「これってどういうことなんだ?」
「良くないってことだ」
その時、朱雀が何かに気がついたように辺りに鋭い視線を走らせた、
「……まずいな、低空飛行に切り替えるぞ、ついて来い」

そう言って、朱雀が突然、高度を下げて木々の間をすり抜けるような飛び方を始めた。
夜の闇の中を、生い茂る木々をかわして、それもかなりのスピードで飛び抜けるのは、危険を伴う行為だった。
飛ぶことに慣れていない永久には難しい。
永久がみんなから遅れたので、吏紀が自分の杖に永久を乗せた。
「どうしてこんな飛び方をするの?」
木と木の間をギリギリのラインですり抜けて行く飛び方が恐いと見えて、永久が吏紀にしがみついた。
「敵に見つからないためだ」
吏紀が簡潔に説明した。

夜が更けてきたせいなのか、さっきよりも気温が下がって来たように感じる。
優は、自分の吐く息がうっすらと白くなっていることに気がついた。

「戦闘は避ける。美空と聖羅を見つけたら、すぐにダイナモンに帰るぞ」
朱雀が吏紀と空に言った。

「分かってる」
「了解」
吏紀と空が朱雀と並びながら、険しい顔つきで頷く。
一体、何が起こっているのだろうか。


暗い森を抜けると、見通しが良くなって、先頭を飛ぶ朱雀がスピードをゆるめた。
公安部の待機所は、どうやらその先にある古い洋館らしいが、明かり一つついていない。

洋館の石垣の前まで来て、朱雀が優を地面に降ろした。美空と聖羅の姿はどこにも見当たらない。
光を放つタイガーアイの杖だけが、地面の上に転がっていた。
「美空の杖だわ!」
流和が暁色に輝くタイガーアイの杖を拾い上げた。

朱雀の耳のピアスが、キラリと光り、辺りを鋭い目で見回して、首をかしげる。
「気配が、ないな」

朱雀の魔力探知能力は半径300メートルだという。
つまり、その朱雀が何も気配を感じないということは、目の前に建つ洋館にも、その周囲にも魔法使いは居ないということになる。

風が吹いた。
瞬間、優が鼻を抑えた。
「嫌な臭いがする」

優の言葉に、空と流和が顔を見合わせた。
「ごめん、私たちかも」
流和が謝る。

「確かに生臭いな」
吏紀が空の制服の臭いをかいで顔をしかめた。
「湖でちょっとあってさ……、多分、ナイアードの臭いがついたんだと思う」

空がそう言った時、また風が吹いて、嫌な臭いが辺りにいっそう広がった。朱雀が洋館を凝視して首を振る。
「いや、これはナイアードの臭いなんかじゃない、死臭だ。人の死体が腐る臭いさ」
「まさか……」
「え……」

この時、朱雀の言ったことを受け入れられなかったのは優と永久の二人だけで、流和をはじめとする他のみんなは、すぐに状況を把握したように顔を見合わせた。

「臭いは、あの建物からだな」
「公安部の連中はすでに、殺されているってことか」
「美空たちもここに来て、すぐにそのことに気づいたはずだわ。それから一体、何があったのかしら……」

人が死んでいるかもしれないというのに、全くと言っていいほど動揺を見せないダイナモンの生徒たちの様子に、優は信じられない思いだった。
流和でさえ、不安な表情を見せてはいるものの、冷静さは失っていないようだ。

「生死の石が光ってるってことは、もしかして美空たちはもう、死んだのか?」
控えめな様子ではあるが、空が、疑問に思っていることをずばりと言ってのけた。

信じられない、と、優は思った。人の死をそんなに簡単に口にするなんて。

「いや、こんなもんじゃないさ。本当に人が死ぬ時は、この石はもっと激しく、強く光る。この光り方はせいぜい、……死にかけ程度だな」
朱雀の言葉に優がムッとして口を挟んだ。
「よくもそんな風に、人の命のことを軽く言えるね。最低だよ、仲間の命が危ないかもしれないのに、みんな、心配そうな顔もしないなんて……本当に最低!」

「優……」
流和が申し訳なさそうに言葉をつまらせた。
だが、朱雀、空、吏紀はちらりと優を一瞥しただけで、優の言った言葉には何も触れなかった。

狼の遠吠えが辺りに響き渡った。どうやら、あまり遠くない所にいるようだ。
朱雀が低い声で言った。
「魔女が復活した。はっきり見たわけじゃないが、間違いない」
「そうか」
吏紀が頷く。

「驚かないんだな。まあ、泣き喚かれるよりはましだけど」
「予想はついたさ。鏡の中に閉じ込められて、ここに落ちて来たときから、なんとなくそうなる気がしてたよ」
「それにこの赤い月。予言と同じだぜ」
空が血のように光る不気味な満月を見上げて、不敵な笑みを浮かべた。

「美空と聖羅を見つけて、ダイナモンに帰ろう。今、俺たちにできるのはそれだけだ」
吏紀が静かな口調で言った。

狼の唸り声がすぐ近く、闇の中で轟いた。
朱雀が、いまだ血の滴る空の右手に目を止めた。

「お前、まさかナイアードに噛まれたのか? 馬鹿だな」
「恋の勲章だと言ってくれ」
空が右手をかざし満足そうにほほ笑んだが、その顔はすぐに苦痛に歪むことになった。
朱雀がいきなり、空の手を握り締めたのだ。青い炎がまたたき、ジューという音が漏れた。

「もう少し優しくできないのか……イッてーな」
「血は止められても熱は止められない。ダイナモンに戻ったら、マリー先生にたっぷり苦いお薬を処方してもらえよ」
「マリー先生なんか怖くないぞ、流和も一緒だから平気さ」
「流和も怪我してるの!?」

永久と優がぎょっとして流和に駆け寄った。

「私は平気よ。ちょっと引っ掻いただけだから、全然、大丈夫」
「熱があるみたい!」
「本当だ、流和、熱いよ!?」

「これだから、女子は大袈裟……」

空がそう言いかけた時、突然、周りの雰囲気がガラリと変わったことに、その場にいた誰もが全身で感じ取った。
それまで立っていた地面が、突如、不安定になるあの感じ……。
足に上手く力が入らなくて、強制的に呼吸が浅く、早くなっていくあの感じだ。

――寒い!

一瞬で、吐きだす息が、真冬のように真っ白になっていた。優は、図書室でコウモリ少年に出会ったときのことを思い出して、震えあがった。

それまで静かだった夜の闇に、飛行機が飛ぶような轟音が近付いてきた。
そうかと思うと、上空を、いくつもの黒い雲がロケットのように飛び抜けて行った。

「ヒーッヒッヒ! 復活だ! ついに復活した! 女王が復活された!」
「血を集めろ! 血を集めろ! 魔法使いを殺せえ!」
「初めに生贄にするのは、龍崎家の者がいい……我らを地の果てに追いやった報いを受けさせるのだ!」
「高円寺家の息子は生け捕りにしろ。阿魏戸の命令だよ!」

優には、上空を飛び抜けて行く闇の魔法使いたちが、何を言っているのか分からなかった。
気が狂っているとしか思いようがない。
聞いたことのある名前がいくつか出て来たが、それが本当なのかは信じがたいことばかりだ。
奴らは一体、何を言っているのだろう……!?

空が舌打ちした。
「烏森一族の連中だな。奴らが居るってことは、他にも性悪な連中が居るぞ」
「おそらく、魔女の復活で、闇の魔法使いたちが集まって来たんだ。これは非常にまずい」
「向こうはまだ俺たちに気づいてない。だが、気づかれるのも時間の問題だ。空、カラスで美空たちを探してくれ」
「わかった」
「ここは見晴らしが良すぎる。森の中に移動するぞ」
「でも、森には黒狼が」
「狼と闇の魔法使い、どちらが恐い?」

どうやら他に、選択の余地はないようだ。
魔法を使えば敵に気づかれるリスクを負うことになりかねないので、吏紀が、浮力を使わずに足で走ることをみんなに勧めた。

月明かりの届かない森の中は、恐ろしく真っ暗だ。足もとがおぼつかないので、優は何度も転びそうになった。

ダイナモンの生徒たちは、何故か森の中で走るのも早かった。
普段、空を飛んでばかりいる魔法使いは絶対に運動不足で、走りは苦手だろうと思っていた優の予測ははずれた。

草木も眠る時間帯。
優たちのすぐ近くを、狼たちがジっとこちらの様子を伺っているような、不気味な気配がしていた。

「きゃああッ!」
木の根に足を引っ掛けて、永久が優の目の前で激しく転んだ。
「永久ったら、すごい転び方、パンツ見えたよ」
息を切らしながら、優が笑った。
だが、その刹那、永久の転んだ先の茂みの中から、獣の唸り声がしたのを、優は確かに聞きとった。
姿は見えないが、狼が、間違いなく襲ってくると思った。

永久も、茂みの中から発する、ただならぬ殺気に気が付き、凍りついた。
細かいことを考えている余裕はなかった。今の優には魔法は使えない。もちろん永久も、こんな一瞬で魔法を使おうなんて思いつかないだろう。
優は、地面に転がっている太い枝を拾い上げて、倒れている永久と、茂みの間に立った。
次の瞬間、茂みの中から黒くて大きな影が本当に飛び出して来た。

「優!」

飛びだしてきた獣を、枝で殴り倒す予定だった。なのに、優の運動神経が獣の素早さに追いつかなかったのだ。
優は一瞬にして、獣の下に組み敷かれて地面に倒れ込んだ。

「助けて!」
永久が悲鳴を上げる。
優は声を上げることもできずに、狼に噛みつかれないように枝を振りまわした。
黒狼は、優が思っていたよりもずっと大きい。
狼の太い前脚で抑えつけられた優の胸に、ブレザーを貫通した爪が食い込んで鋭い痛みが走った。

流和が魔法で狼を追い払おうと、杖を構えた。だが、それを空が止めた。
「魔法はダメだ、奴らに気づかれる」

――もうダメだ!
全てが一瞬だった。
優が恐怖に気絶しかかった時、朱雀の足が見えた。

キャンキャンキャンキャン!

黒狼の悲しそうな鳴き声と共に、優の身体の上から狼が吹き飛んで行った。
朱雀が狼を蹴り飛ばしたのだ。
黒狼の巨体は骨の砕けるような衝撃音と共に、近くにあった木に打ちつけられ、地面に倒れた。

朱雀が狼さながらに唸り声を上げると、黒狼は尻尾を巻いて暗闇の中に消えて行った。

誰もが唖然としてその光景を見守っていた。
「今のは、何て言う魔法?」
優が、血の滲むブレザーの胸元を抑えて、ヨロヨロと上体を起こした。

「手を焼かせるな」
朱雀は優の質問には応えず、すぐにまた走り出した。どうやら、空の探索カラスが美空の位置を確認したらしい。
吏紀が、代わりに優が立ち上がるのを手伝ってくれた。





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