月夜にまたたく魔法の意思 第4話1
純潔という名をつけられた聖べラドンナ女学園の学生寮は、白百合の庭園に囲まれたレンガ造りの建物だ。
普段はこの辺りでカラスの姿はほとんど見ないのに、今日はやけに多くのカラスが、白百合の庭園や寮の屋上にとまっている。
学生寮は男性立ち入り禁止で、例え教師であっても男性は中に入れないことになっている。
朱雀から逃れて純潔寮に戻って来た優は、階段を上って、真っすぐに流和の部屋に向かった。
1階は食堂、2階は3年生の部屋で、階数が上がるごとに下級生の部屋になっていく。
「空ったら、こんなにカラスを見張らせるなんて、どうかしてるわ。何のつもりかしら」
「彼氏に見張られるってどんな気分? 守られているみたいで嬉しい? それとも、不気味?」
2階の廊下を進んで部屋の前まで来ると、中から流和と永久の話声が聞こえて来た。
「……、複雑な気持ちよ」
「優だけど、入るよ」
返事を待たずに流和の部屋に入った優は、すぐに後ろ手でドアを閉めた。
二人とも、もう荷造りを始めていて、ベッドや床の上に開かれたトランクケースが広がっていた。
「優、おかえり。朱雀にひどいことされなかった?」
流和が荷造りの手を止めて心配そうに優を迎え入れた。
「平気。でも酷い目にあったよ。悪い魔法使いが現れて、図書室はもうめちゃくちゃだよ」
足の踏み場がないくらい服や化粧品が部屋中に散らばっているので、優は壁際に寄りかかった。
「悪い魔法使いですって……? それって、朱雀くんのこと?」
永久が、手にしていた猫じゃらしをもてあそぶのを止めて、優の顔を覗きこんだ。
「優、顔色が悪いよ。滅茶苦茶って、一体、何があったの?」
「悪い魔法使いって何のことよ」
永久と流和に同時に問いただされて、優は図書室での一部始終をさっそく、二人に話して聞かせた。
図書室の鍵を壊したのは「闇の魔法使い」と呼ばれる悪い魔法使いの仕業であるらしいこと、そのせいで朱雀と吏紀が図書室に入るのに苦労したこと。それから、ゲイルの予言書を探している闇の魔法使い、コウモリ少年が図書室に侵入して暴れまわったこと。
「そのコウモリって子は、ただの下っ端だから今回は軽く済んだんだって、朱雀と吏紀は言ってた。でも、すごく寒かった。あれが下っ端だなんて、信じられないくらい恐い子だったよ。外見は私たちと同じくらいの、普通の男の子に見えるんだけど、目が合ったらすごく不気味なの……」
「じゃあ、ゲイルの予言書はひとまず、朱雀と吏紀が守ったのね」
流和が念を押して優に聞き返した。
「守った、と言えばそうなるかもね。でも、あの二人もコウモリ少年も、誰もゲイルの予言書を見つけられなかったんだよ。だからどちらにしても、ゲイルの予言書は無事だったと思う。アトス族の聖なる力が、あの図書館を守っているんだ、って、吏紀は言ってた」
「アトスの力が……、知らなかった……」
「アトスって、魔法史に出て来る、聖アトス族のこと? どうしてそんな力がベラドンナの図書館に? 解せないわね」
永久が人差し指を曲げて、顎の下にくっつけた。何かを頭の中で整理したり、過去の記憶を呼び起こそうとするときの、永久の癖だ。
「図書室にあった『アシュトン王の功績』っていう本が、すべてを明らかにしてくれたの。その本によると、聖ベラドンナ女学園の敷地全体が、大昔、聖アトス族の宮殿跡地だったらしい」
「信じられない、けどすごい! 聖アトス族については、魔法史の中で何度も読んだことがあるわ。私、憧れてるのよ! なるほど、こんな都会の中に魔法学校があるのは、そういうわけだったのね」
「驚きだわ、私もそんなこと、全然知らなかった。ねえ、優、考えてみて。とてもロマンチックじゃない? 伝説の炎の魔法使いシュコロボビッツとナジアスが初めて出会った場所で、その末裔である朱雀と優が出会ったのよ……なんだか、伝説が本当になっていくみたいで、ぞくぞくするわ」
「冗談やめてよ流和……私はナジアスではないし、それに本で読んだシュコロボビッツは、もっと紳士的だった。私なんて、アイツのせいで死ぬ目に合わされてるんだからね!」
話を終えて、優が永久の持つ猫じゃらしを指差した。それは、優が流和の誕生日にプレゼントした高級猫じゃらしで、魔法で猫に変身した流和をからかうための物だ。
「で、その猫じゃらし、ダイナモンに持って行くつもり?」
「話をそらさないで。闇の魔法使いが現れたんでしょ? その話をもっと聞かせて」
流和が、今度は深刻な顔で優を凝視した。
「相手は私たちとほとんど変わらない年頃だったよ、話し方が幼稚な感じがした。上から下まで真っ黒の燕尾服を着てたよ」
「歳なんて問題じゃない! 相反する力がぶつかり合えば、どちらかが滅びる……優、もしかして闇の魔法使いに攻撃されたんじゃないの?」
「平気。上手くかわしたからね」
実際には朱雀と吏紀が優を守ってくれたのだが、優はそのことを自分からは言いたくなかった。
本当は怖くて、震えが止まらなかったことも話さない。
「朱雀と吏紀は、ちゃんと優のことを守ってくれた? でなきゃ、後で私があいつらの鼻っ柱をへし折ってやるわ」
流和が鼻息あらく、パジャマ用のTシャツをトランクケースの中に投げ入れた。
「大丈夫だよ、紳士的ではなかったけど、私が怪我をしないようにちゃんとやってくれた」
「それならいいんだけど……そのコウモリって子、燕尾服を着てたって?」
「うん。魔法使いっていつもあんな感じなの? 着ているものが古風で、ビックリしちゃうね」
「確かに魔法使いの服装は、少し古風なところがあるかもしれないけど、でもその子はもしかしたら、烏森一族の子かもね。烏森一族はいつも、漆黒の礼服を着ているって、父から聞いたことがあるの」
「流和のお父さん、烏森さんと知り合いなの?」
「知り合い、といえばそうなるけど、いい意味での知り合いではないわ。一族全員が闇に堕ちた烏森一族は、魔法界ではそれなりに名前が知られてる。父は烏森一族が魔法界に反逆したときに、魔法界から彼らの抹殺を命じられ、それを行ったの……。でも、父の追撃を逃れ、生き延びた者がいるという噂は前から囁かれていたから、もしかするとその、コウモリって子……」
魔法界のことを語る流和の目は、うつろだ。流和は、自分の父親が反逆者を抹殺したことを、どう思っているのだろうか。
優には聞けなかった。
「烏森一族って、そんなに悪い人たちなの?」
永久が、曇りのない眼差しで、流和に問いかけた。
「私は直接会ったことがあるわけじゃないから、実際のところは分からない。でも、聞いた話では、烏森一族は悪魔的な儀式を行い、自分たちの命を永らえさせるために人の生き血をすするそうよ。かつての魔女アストラがそうしたようにね。本当かどうかは、わからないけど……」
ゾッとする沈黙が、部屋の中に流れた。
人の生き血を吸って長生きするなんて、映画で観るヴァンパイアのような話だ。
ヴァンパイアを取り扱ったロマンチックな物語もあるが、実際にヴァンパイアのようなものが居るとするならば、それは不気味な存在に違いない、と優は思った。
「優、荷造りはもうすんだの?」
「まだ、これから。あー、……行きたくないよ。そんな恐い所に行けるはずがないよ。どうしても行かなきゃダメなの? 流和と永久はもう行く決意を固めたんだね」
優が、先に荷造りを始めている流和と永久を恨めしそうに見つめて、しゃがみこんだ。
「優、気持ちは分かるけど……、私たちはちょっと行って、帰って来るだけよ。悔しいけど魔法界の決めたことには逆らえないわ」
「そうだよ。吏紀くんが言ってたでしょ、試しの門のテストを受けるだけだ、って。私たちは予言の魔法使いには該当しないはずだもの。特に私なんて、魔法使いとしては、やっと空を飛べるようになったばかりのレベルだし。きっと試しの門とやらで門前払いされるにきまってる。社会見学だと思って、ダイナモン魔法学校に少しお邪魔するだけだと思えばいいんだよ、優」
「うん……」
「それに、ビッグニュース。さっき流和から聞いたんだけど、ちょうどこの時期には、ダイナモン魔法学校で恒例のダンスパーティーがあるんだって!」
突然、永久が目を輝かせ始めた。足の踏み場もないのに、器用につま先立ちで、ダンスの真似をする。よくやるものだ。
「あ、そうそう、さっき服部学長がこれを持って来たよ。優の分ももらっておいたからね」
そう言って流和が差し出したのは、1枚の紙だ。
優はその紙を受け取って、書面を読み上げた。
――外出許可証……ダイナモン魔術魔法学校への無期限留学を許可する候。
「何よこれ」
「ダイナモン魔法学校の猿飛校長から、ベラドンナの服部学長に通達があったらしいの。先生たちはもう事情を知って、私たち3人がダイナモンに行くことを承認してる。つまり、私たちがダイナモンに行くことに、学校全体が正式に許可を出したってことね」
「なんて手回しが早い! ベラドンナの先生たちは、私たちがダイナモンに連れて行かれないように守ってくれると思ったのに……ダイナモンの奴ら、蛇のように狡猾だね、うんざりする。ああ、ダイナモンになんか行きたくない!」
優は外出届けをぐしゃぐしゃに丸めこむと、大股に部屋の中を横ぎった。
そして、乱暴に窓を開けると、それを外に放り投げた。
庭にいたカラスたちが驚いて飛びあがり、けたたましい鳴き声を上げた。
「うるさい! カラスたち、あっちへ行きなさい! 目ざわりよ」
優の癇癪に慣れっこになっている流和と永久は、何も言わずに荷造りを再開し始めた。
好きなだけやらせておけば、優はすぐにおとなしくなる。
「あっちへ行きなさい、しッ、しッ!」
ひとしきりカラスたちに八つ当たりすると、やがて、優は静かに窓を閉めた。
「カラスを追い払ってくれてありがとう」
ランジェリーの上下をセットにしてトランクにしまいながら、流和が丁寧にお礼を言った。
「どういたしまして」
優は、流和と永久が荷物を選別しながら、慎重にトランクに詰め込んで行くのを見つめながら、自分も荷造りをしなければいけないことを考えた。
朱雀は、魔法の杖とブック、それにローブやドレスが必要だと言った。
ローブとドレスなら、優にもすぐに準備ができそうだった。
ドレスはおそらく、ダンスパーティー用のものだろう。これは、結婚式用のゲストドレスとして、優の母親が昔買ってくれたものがある。
ローブは、聖ベラドンナ女学園指定のものがあるから、それでいいはずだ。濃紺色のロングローブは、胸元にユリの花が刺繍されていてエレガントだが、普段は暑苦しいので、卒業式や入学式以外ではめったに着られない。
優にとって問題なのは、魔法の杖とブックだった。
ブックとは個人専用の魔法書のことで、はじめは何も書かれていないノートみたいなものだ。
全ての魔法使いが自分で作る、羊皮紙でできた本なのだが、魔法使いがブックに自分の名前を書き込んだ時点で、そのブックは生涯に渡りその魔法使いの専用魔法書となる。
やがてブックに持ち主の魔力が宿ると、その魔法使いだけのオリジナル魔法がブックに現れるようになる。
つまり、個人専用の魔法書であるブックは、持ち主の成長に応じて共に成長する、特別な本なのだ。
ブックは持ち主だけが開き、利用することができる。
13歳のときに属性魔法を習得した優は、もちろん自分の力でマジックストーンを生成した魔法の杖とブックを持っている。だが、両親が殺されて以来、魔法使いにならないことを決めた優は、魔法の杖とブックを、山形の実家の秘密基地に封印してしまったのだった。
今、午後3時過ぎ。東京から山形まで、今夜までに魔法の杖とブックを取りに戻るのは無理っぽい。
まあ、どちらにしても自分は魔法使いにはならないと決めた身だから、今さら杖とブックを取りに行く気もさらさらない。
優は、杖とブックをダイナモンに持って行かないことを瞬時に結論した。
これが後に、どれだけ朱雀の怒りを買うことになるか、今はまだ語れない……。
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