月夜にまたたく魔法の意思 第2話12





留学生用の特別寮は、聖ベラドンナ女学園の生徒が使用する一般寮から離れた所にある洋館だ。

その洋館の2階の談話室で、空は気持ちよく暖炉の火を見つめて座っていた。
ついさっき、放課後の部活を終えた流和に「おやすみ」を言ってきたばかりだ。
流和は、今でも空のことが好きだと言った。手紙を寄こさなくなったのは、空のことが嫌いになったからじゃなかったし、他に好きな男ができたのでもなかった。
その事実が分かった今、空の心につかえていた重荷がスーっと下りて、空は満ち足りた気持ちだった。

夜8時近くになった頃、吏紀が談話室に戻ってきた。
放課後、学内の見回りをすると言っていた吏紀だが、随分帰りが遅い。

「遅かったな、何してたんだ?」

談話室に入って来た吏紀に、空が訊ねた。
吏紀は冷蔵庫からミルクを取り出すと、それをグラスに注いでソファーに腰掛けた。

「別に」

 いつも、無表情で淡白な印象を与える吏紀が、その夜はなぜか機嫌が良さそうだった。
「何か、いいことでもあったような顔してるぜ」
 空はそう言いながら、暖炉の前の椅子から、吏紀の向かいのソファーに移動した。

「気のせいだろ。そう言うお前のほうが、ゆるい顔してる」
 吏紀は空を軽くあしらうと、「流和と仲直りできて良かったな」 と付け加えた。 

「ところで、朱雀は?」
吏紀はぐびぐびとミルクを飲みほしてから、談話室を見回した。
窓の外を見ていた美空が、振り返って言った。

「まだ帰って来てないのよ。何かあったのかしら……」

 美空は何か悪いことを想像して、朱雀の身を心配しているようだ。
 だが、空と吏紀は同時に首を振ってそれを否定した。
「アイツなら、何かあったくらいで死ぬことはないさ」
「多分、まだ図書室にいるんだろう」

「図書室?」
 窓際のテーブルで本を読んでいた聖羅が顔を上げた。

「朱雀の仕事は、図書室でゲイルの予言書を手に入れることだからな。放課後行ったときは閉館で中に入れなかったから、まだいるのかもしれない」
 吏紀が聖羅に説明した。
「そうだったの……。朱雀がゲイルの予言書を見つけたら、私たち、任務を完了してダイナモンに帰れるのよね」

「そう、サファイヤとダイヤモンドは見つけたから、あとは予言書が揃えば、この手の星が消えて、俺たちの任務は完了する」
 空は大きく欠伸をしながら、右拳の項に刻まれた猿飛 業校長の星をかざした。
それは、朱雀、吏紀、空、美空、聖羅の全員の手に刻まれた、任務の証だ。
星が消えたとき、5人はダイナモンに戻ることが許される。

「私、体の調子が悪いのよ。この土地の空気は、どうも私には合わないみたいだわ。魔力が弱くなっている気がするの。早く帰りたい」
 と、聖羅が言った。聖羅はいつも顔色が良いほうではないが、この日はさらに青ざめた顔をしていた。

「おいおい、ヤワなこと言うなよ。確かに、都会の空気は魔法使いには毒だけど、まだここに来て1日だぞ」
「悪いけど、先に休ませてもらうわ」

 聖羅はテーブルの上の本を閉じ、ふらふらと談話室を出て行った。

 吏紀、空、美空の3人は、少し驚いた顔を見合わせながら、無言で聖羅を見送った。

「……こういうのって、個人差があるっていうけど、聖羅は特別に敏感なのかな。美空、お前はどうだ?」
「私は全然平気よ。鈍感なのかもしれないわ」
「驚いたことに、俺も全然平気なんだ。最初はもっと、体調を崩すかと思ったんだけどな。 吏紀、お前は?」
「平気だ。むしろいつもより調子がいいくらいだ。ベラドンナの生徒は別としても、この土地には何か特別な力があるのかもしれない。さすが、初代ゲイルが予言書を隠すと決めただけのことはある」
「でも、聖羅は本当に体調を崩しているのよ。さっきも、水晶が使えないって言ってたし」
「マジかよ、水晶で覗き見するのは聖羅の得意な光魔法なのに、それは変だな。もしかして、生理なんじゃないか」
「空、男子がそういうこと言わないで」
「だって、そうじゃなきゃ変だろ、聖羅だけがここで体調を崩すなんて」
「何かマズイ物でも食ったのかもしれない」

 空、吏紀、美空の3人が聖羅のことについて話し合っていると、談話室のドアが音をたてて勢いよく開き、朱雀が入って来た。
朱雀は談話室にいる他の3人には目もくれず、重たい沈黙を守って真っすぐに暖炉の前まで行くと、一人掛けのロッキングチェアに深々と沈みこんだ。
ついさっきまで穏やかに燃えていた暖炉の炎が、今は火花を散らしながらメラメラと揺らめいている。

 朱雀がひどく機嫌を損ねているらしいということが、周りを漂う空気だけで伝わってくる……。
 空、吏紀、美空の3人は、たった今まで聖羅のことを心配していたことも忘れて、何も言わずにこっそりと、互いに目配せした。
 触らずにいるか、触るか。触るとしたら、誰が最初にヘビに噛まれる役をするか。

 空が首を振った。朱雀との親友歴が一番長い空は、こういう場合、一番とばっちりを受けやすい存在でもある。
こういうときは、話しかけないのが一番いいことを、空はよく心得ていた。
美空にしてもそれは同じだった。

 仕方なく、吏紀が暗黙の了解で損な役回りを引き受けた。

「何があった?」
 吏紀の問いかけに、朱雀はすぐには応えなかった。
 暖炉の中で薪が弾けて、パチンと鳴った。

「朱雀、何かあったのか」
 吏紀に再び訊ねられて、朱雀は重たい口を開いて言った。

「別に、何もないさ」

 そうして朱雀は小さく溜め息をつくと、大きな薪を3本、暖炉に投げ入れた。火の粉が飛び、それが朱雀に降りかかる。
 普通の人間なら火傷を恐れて火の粉を避けるところだが、朱雀は粉雪でも扱うように、火の粉に息を吹きかけた。すると火の粉は線香花火のようにパッと弾け、暖炉の中では炎が煽りを受けて大きく膨らんだ。その瞬間、部屋中に炎の熱気が広がり、吏紀、空、美空は後ずさりした。

「いい炎だ」

 朱雀はロッキングチェアにまた深々と身を沈め、黙り込んだ。

 ちょっと勢いよく燃えすぎな炎を、吏紀たちは心配そうに見つめている。

「朱雀、予言書は見つかりそうか」
 吏紀の問いかけに、朱雀は今度はすぐに応える。
「今日はダメだ、図書室はあれからずっと閉館だった。だが、この土地には何かがある。じゃなきゃ、炎がこんなふうに燃えたりしない。勢いがあって、力強く、とても聖い感じ、それに……」
 朱雀は暖炉の炎を見つめて考え込んだ。
 放課後に感じた、炎の力のことだ。本当は予言書よりも、炎の力を持つ魔法使いがすぐ近くに居るかもしれない、と、そればかりが朱雀の頭に引っかかっている。
 あれは単なる気のせいだったのだろうか。いや、そんなはずはない。
 でも、それならどうして、彼もしくは彼女は正体を隠すのだろう。どうやって、正体を隠しているのだろう。

「朱雀、聖羅がここに来て体調を崩しているの。魔力も弱くなってきてるみたいだし……。あまり時間はないわ」
「聖羅が? どうして」
「きっと、都会の風にあてられたのさ」
 空が脳天気に欠伸をした。
 だが、朱雀は両手を組むと、しばらく思案してから、やがて顔を上げた。
「吏紀、この学校について調べてみてくれないか。初代ゲイルがここに予言書を隠した理由が知りたい。この土地の力や、あの図書室の仕掛け……、何か引っかかる」
「ああ、俺もそれは気になっていたんだ。すぐに調べてみるよ。大抵は、その学校の創設に関わる資料は図書室で保管されてるはずだ。全ての謎は、図書室で明らかになるって気がするよ」
 吏紀がそう言うと、美空が突然思い出したように言った。
「そうだ、今日、聖羅と一緒にベラドンナの生徒に聞いたんだけど、この学校には図書委員が一人しかいないらしいのよ」
「たった一人? なんでまた」
「理由は知らないけど、とにかく、図書室のカギはその子が管理してるらしい。その図書委員ていうのが、さっき吏紀が写真で見せてくれた黄色いゴーグルの」
「明王児 優か!? さっき会ったよ」
「どこで?」
「大空の広間で」
「そいつなら俺も今日、会ったぜ。流和の友だちなんだけど、すごく嫌な奴だ」
「へー、それで、どうだった?」
 朱雀が両手を組んで頬づえをつき、吏紀と空を見つめた。

「どうだった、って?」
「魔力は感じたのか」
「まったく感じなかったね」
 即座に空が答えると、吏紀も頷いた。
「ああ、不自然なくらい、まったく魔力の感じられない子だったな。でも不思議なことに、まるで空を飛んだことがあるみたいに、教えるのが上手い」

 朱雀は空と吏紀の話を聞くと、くるりと手首を返した。
 音もなく朱雀の手の中に現れた一枚の写真には、黄色いゴーグルで顔半分を覆い、口元だけが笑っている女の子が写っている。

「それは、面白い」
 朱雀が不敵に微笑むと、写真はその手の中で燃え上がり跡形もなく消え去った。





第2話 END (3話に続く)