月夜にまたたく魔法の意思 第2話1





 聖ベラドンナ女学園、放課後の図書室。
 やがてこの場所に、ダイナモン魔法学校の生徒がやって来るなどとは夢にも思わず、優は図書委員の仕事に精を出していた。
 ドーム状の巨大な図書館にはすでに「閉館」の札が出され、部外者が入って来ないようにカギがかけられている。
 今、図書室にいるのは、図書委員の優と、その親友、山口永久(やまぐち トワ)と、龍崎流和(りゅうざき ルワ)だけだ。



「優、まだなのー!? もう6時過ぎてるよーお腹すいて死にそうー」
「優は本当、本の虫よね。泣き虫、弱虫、本の虫、ぷぷッ」

図書館の広間で、さっきから永久と流和の2人が優の仕事が終わるのを待っている。

「ちょっと待ってよーもう終わるとこ! っていうか流和、聞こえたよー? 私のこと今、弱虫って言ったでしょ!」
「言ってないわよそんなことぉ」

「もう、あったまきた」
 優はそう言いながら、梯子からあぶなっかしく飛び降りて古い予言書の棚を見上げた。
 今朝方あれだけ騒いで文句を言っていた予言の書は、優に保管場所を変えてもらってからはすっかりおとなしくなった。
 よほど安心したのか、今はグッスリ眠って、いびきをかいている。
 不吉な予感の真偽を確かめるため、せっかく流和と永久が集まってくれたのに、ゲイルの予言書が寝ているんじゃ話しは進まなかった。
 二人とも今じゃ図書館にいることにすっかり飽きてしまって、手を伸ばせば貴重な蔵書が簡単に取れるのに、目の前に並ぶおびただしい蔵書には、目もくれようとしない。

 ここは魔法の図書館で、本は意思を持ち、喋ることができる。
 ベラドンナ女学園に入学して、優が初めて図書室に足を踏み入れた当初は、まさか喋っているのが【本】だとは気付きもしなかった。だから、初めて手にした本が『ひゃあ! 冷たいッ』と言って優の手の中で震えた時、小さく悲鳴を上げて床に落としてしまったくらい驚いた。春先の寒い日だった。

 吹きぬけで5階分の高さがある図書室には、壁にも、屋内テラスにも、ビッシリと本棚が造り込まれ、その全てが魔法の本で隙間なく埋め尽くされている。
 どの棚も、上の方は梯子を使わなくては届かない高さだ。
 これだけの本がありながら、図書委員が優1人なのは不自然だが、断言しよう。図書委員になるには特別な才能が必要なので、仕方ない。

 聖ベラドンナ女学園の図書室に置かれている魔法の本はどれも、ふさわしい者が読むことができるように何か強い力で守られている。
 図書室に来た人が、自分の探している本を見つけられなかったり、読みたいと思って手にとった本を読むことができないのは、そのせいだ。
 だから、ここで図書委員になるには、どんな本でも読めて、図書室に来て困っている人を手助けできる才能が必要なのだ。

「この辺りにある本も、だいぶ傷んできてるわね。明日にでも、修復しないと」
 優はそう言って、スカートについた埃をはらった。不意に、何かが光ったような気がした。
 顔を上げると……何のことはない。予言書の棚の通りに大きな姿鏡が置かれていて、それに映った優の黄色いゴーグルが光ったのだった。
 賢者の鏡と呼ばれるその鏡には、アルテミスの葉が彫刻されている。

 優はその鏡に近づいて行き、それに映った自分をまじまじと見つめた。
 白いブレザーに濃紺のリボンと、濃紺のプリーツスカート。聖べラドンナ女学園の制服は可愛いが、残念ながら自分には似合っていない、と、優は思った。

 黄色のスキーゴーグルをはずせばいいのだ、と流和と永久は言うけど、優は自分の赤茶色の目がイヤだった。普段から赤茶色の優の目は、少しでも魔法を使うと真っ赤になる。優はそれを人に知られるのがイヤで、聖ベラドンナ女学園に入学したときからずっと、黄色のゴーグルをつけて自分の魔力を隠している。

 優の目のことを知っているのは、流和と永久だけだ。


 さっきまでうるさく騒いでいた流和と永久が、急に静かになったことに気づいた優は、足早に鏡から離れた。もしかしたら親友たちは、優がなかなか戻ってこないので何か悪だくみを始めたのかもしれない。静かすぎる。
 優は梯子をそのままにして、2人が待っている図書室中央の広間に向かおうとした。
 と、そのとき。今度はさっきよりも強く鏡が光ったので、優はハタと立ち止った。何だろう、月の光が反射したのかしら……?
 でも今は下弦の月の頃。優は天窓を見上げたが、群青色がかすかに残って、まだ月が昇る時間には早いと見分けがつく。

 優は前に一度、図書室の本で、この鏡は、賢者ゲイルの魔法の鏡だと読んだことがあった。それによると、べラドンナ女学園の図書室の西側の一番奥にある「賢者の鏡」は、同じく図書室の東側の一番奥にある「真理の鏡」と対になっていて、これら二つの鏡はちょうど向き合うように置かれ、図書室を守っているのだという。
 今、優がいる予言書の棚の列はちょうど、西側の賢者の鏡と、東側の真理の鏡にはさまれた位置にある。鏡が向きあう場所にある棚は予言書の棚だけなので、優はそのことを少し不思議に思ったりもした。


 6時30分。
 優は肩をすくめて、流和と永久の待つ図書室中央に向かった。

 優が本棚の隙間から広間に出ると、流和と永久は、何やら深刻な顔でテーブルの上に並べられたカードを覗きこんでいた。

「何やってるの?」
 優が聞くと、流和が人差し指を口にあてて言った。

「ムーンカードよ。今朝、不吉な予感がするって言ってたでしょ。そのことを永久に話したら、ムーンカードで占ってみるって」
「占い?? くだらない。私、占いは信じない主義なんだよね」

 優がそう言いながら永久の隣に腰かけると、「これは占いじゃない、魔法よ」と、永久が不満げに訂正した。

 色白で、つぶらな瞳をした永久は、おとなしそうに見えるけど実はとっても負けず嫌いだ。そして誰よりも勤勉で、努力家。
 歴史的にも、偉大な魔法使いと呼ばれるのはダイヤモンドの魔法使いが一番多いのだが、その例にもれず、ダイヤモンドを持つ永久は、すごい力を秘めている、と優は感じていた。
 だけど、永久の両親はどちらも人間で、聖ベラドンナ女学園に入学するまで永久はずっと普通の学校に通っていた。
 そのため、自分が魔法使いだと知ったのが遅い永久は、まだ魔法に慣れていないところがある。

 今はまだ未熟な魔法使いだけど、きっと永久は、いつか素晴らしい魔法使いになれるだろう。
 優は魔法使いが嫌いだけど、魔法に対して純粋に夢や希望を抱いてる永久には、素敵な魔法使いになってもらいたいと思っていた。



「それで、ムーンカードは何だって?」

 しばらくカードとにらめっこしていた永久に、優が聞いた。

「私たちに予期せぬ来訪者がある、って出てる。これを見て、魔法使いが扉をたたいてるカードが出てるでしょ」
 永久が指差したカードを、優と流和が見つめた。

「ふーん。その魔法使いはいい人なの?」
「わからない。このカードによると、1人じゃないみたい。5つの星のカードが出てるから、つまり……」
「来訪者は5人、てこと?」
「多分ね」

「このカードは何? 水辺でビーナスが、空の鳥と見つめあってる。なんだか、とってもロマンチックなカードだね」
 優が指さしたカードを見て、永久も頷いた。

「ビーナスは、誰かに愛されている女性を示してる。この場合、ビーナスは水辺にいるから、その女性には水が関係してるってこと」
「じゃあ、それは流和? 流和は、水の魔法使いだわ」
「多分ね」
「じゃあ、流和が鳥と再会するのね」

「よく見て、この鳥は普通の鳥じゃないわ。目にエメラルドの石がはめこんであるでしょ。つまりこの鳥は、風の魔法使いを象徴してるのよ」
「じゃあ、流和は愛する風の魔法使いと再会する、ってこと?」
「多分」
 と、永久がまた言った。


「ちょっと永久、さっきから多分、多分って、適当すぎな感じがするんだけど」
「だってしょうがないわよ、私はまだ初心者なんだから。でも流和、心当たりはあるの? この、風の魔法使いに」
「さあ……」
流和はかぶりを振って、話をそらそうとした。
そこで優が口をはさむ。

「流和には、文通をしてる人がいたよね。前から思ってたんだけど、その人ってもしかして、流和の恋人とか?」
「もう、優ったら、やっぱり私の部屋勝手に見たんでしょう。確かに、彼は風の魔法使いだけど……、でも最近は手紙も書いてないのよ。それにアイツが私を訪ねて来るなんて、ありえない話だわ。人間や、都会暮らしの魔法使いを嫌っててね、とっても差別的なの……。きっと、私のことも、もう嫌いになったに違いないわ」

「そんなことないわよ! 流和は、素晴らしい魔法使いじゃないの」
 と、永久が言い、優も頷く。

「それにね、魔力いかんで流和のことを嫌いになるとしたら、そんな男は最低だよ」

「そうなんだけどね。でも、私たちダイナモンの生徒はみんな、そういう風に育てられてきたから。仕方ないのかもしれない。そんな世界がイヤで逃げ出した私は、もっと最低の卑怯者よ」

 流和が悲しそうに言うので、永久と優は顔を見合わせた。

「まだ、好きなの? 彼のこと」
 永久が尋ねると、流和はためらいがちに、小さく頷いた。
「うん」
 そして流和は恥ずかしそうに笑った。

 流和の家庭には複雑な事情がある。流和は由緒正しい魔法一族の出身で、流和自身はとても優秀な魔法使いだ。
 だけど流和は、同じ一族で蹴落とし合いをしてまで地位や名誉にこだわる魔法界の在り方が嫌で、自らドロップアウトする道を選んだのだ。
 流和は大切なものをすべて捨てて、たった一人で魔法界から隔絶された聖ベラドンナ女学園にやって来たのだ。

 流和は自分のことを卑怯者だと言うけれど、そんなことは決してない、と優は思った。

 優は、流和みたいに誰かのことを好きになったことがないから、流和の気持ちはよく分からない。それでも、好きな人をずっと思い続けている流和は素敵だと、優は思った。
 優の目には、流和はいつも、とっても綺麗で、強くて、気高い。人が傷つくくらいなら、流和は自分が損をする道を選ぶような人なのだ。



「ねえ、もしかしたら永久も、運命の人と巡り会うんじゃない? このカードを見てよ」
 流和が指差した先には、光る星のネックレスを首にかけた女の子が描かれていた。その女の子の小指に赤い糸が繋がれている。

「あ、本当だ、光るネックレスは、光の魔法使いの永久のことだよ。でもこの赤い糸、どこに伸びてるんだろう」
「ちょっと待ってよ、赤い糸は運命をさすけど、必ずしも恋愛の対象をさすわけじゃないんだから。案外、試練とか苦難とか災いとかの、避けられない未来をさすこともあるのよ。次のカードをめくってみれば、それが分かるはずだわ」
 そう言いながら、永久が次のカードをめくった。

「あッ」
「あ……」
「アメジストの宝石? 何これ」

 永久がめくったカードは、アメジストの宝石だった。

「アメジストって確か、大地の魔法使いが持つ最上位の石よね。それって、単純にアメジストの魔法使いを指しているんじゃないの」
「ちょ、ちょっとやめてよ、アメジストの魔法使い……?」
「永久にもついに、恋の季節か〜、グふ、ふはははは!」

優がゲラゲラと笑った。

「笑わないでよ優、私たちこれでも、結構深刻なのよ?」

「ねーねー、流和と永久にばっかりロマンティックなカードが出てズルいよ。私には何が出てる?」

「はいはい、今やってみるね。見てて」


 永久がそう言って、新しく3枚のカードをめくった。めくってみてから、永久、流和、優の3人は、予想外のカードの出現に閉口した。

 最初のカードは、稲妻を発しているコウモリの絵だった。
「コウモリは欺きを意味するの。嘘や、偽物の姿とか、とにかくこれは不吉ね」

 2枚目のカードは、粉々に砕けた陶器だ。
「これは、どういう意味?」
「壊れた陶器は、破壊を意味するカードよ。つまり、何かが壊される……」
「壊されるって、何が?」
「わからないわ……」

 そして極めつけは3枚目のカードだ。女の子が炎に焼かれて泣いている姿が描かれている。

「これって、もしかして私のこと?」
「分からない、けど、多分……」
「あー、もう! どうして私にだけこんな不吉なカードが出るのよ。恋愛カードは1枚もなし?」
「うん、1枚もない」
「不平等すぎるよ!」

 優が地団太を踏んで怒った。


「確かに、こんなの当てにならないわね。もう辞めましょう」
「そうね、辞めましょう。っというか、もう7時になるじゃない! 急がないと夕飯に遅れちゃう!」
「嘘、もうそんな時間!?」

 ベラドンナの学生寮での夕食は、5時半から7時半までの間にすませなければいけない。
 流和、永久、優の3人は慌てて椅子から立ち上がると、ムーンカードはそのままに、図書室から飛び出して行った。


 やがて夜中、月明かりが静かにさしこむ誰もいなくなった図書室で、――賢者の鏡がまたキラリと光った。





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