月夜にまたたく魔法の意思 第1話2
確かに、文明は人類を豊かにしたかもしれないが、魔法使いにとっては害毒をもたらすことの方が多かった。
夜の静けさと闇が奪われ、電子機器が蔓延することで、魔力は衰退した。
今や魔法使いの数は減り、その力も衰えている。
しかし、ここオロオロ山の頂(いただき)には、そんな文明社会からのがれたダイナモン魔法学校の巨大な校舎が荘厳にそびえ建っていた。
都会のベラドンナ女学園とは違う、由緒ある本物の魔法使いたちが通う学校だ。
一見して城のようにも見えるダイナモン魔法学校の巨大な校舎は、城全体をオロオロ山の強力な魔力が守っているので、飛行機にも衛星にも見つかることはない。
今、そんなダイナモン魔法学校にも朝が訪れようとしていた。
――空を飛べなくなる夢を見た。
高円寺朱雀(こうえんじ スザク)は、ダイナモン魔法学校の尖った塔の先端に立ち、数百メートル下の地面をじっと見下ろしていた。
とんでもない高さと、山肌を吹き抜ける強い風が、容赦なく朱雀に吹きすさんでいる。
日の出前のうす暗い中、こんな危なっかしい所に人が立っているのは、なんとも不気味で、正気の沙汰とは思えない光景だ。まさしくそれは、崖の先端から飛び降り自殺をしようとしている人を思わせる光景だった。
もしも足を踏み外そうものなら、肉体は重力に逆らえずに岩肌にぶち当たり、粉々だろう。
雨でもないのに、朱雀の頬は濡れていた。
夢を見た日の朝は、人目を避けて決まってこの場所で泣いている。
朱雀の漆黒の髪が風に巻きあげられて、ルビーのピアスが燃えるように赤く光った。
ルビーは火の魔法使いの石。その輝きは、彼の命の輝きそのものだ。しかし、風はまるで谷底へと朱雀を誘うかのように吹きすさぶ。
やがて朱雀はうつろな目を閉じて、自分の人生に終止符を打つべく、両手を広げて体勢を傾けた。
さらば、わが人生……。
「おいおい、また自殺ごっこか? 死ぬ気もないくせに、よくやるねぇ、まったく」
突然、背後から声をかけられて、塔から飛び降りようとしていた朱雀は、ハっと我に返った。
「またお前か……。邪魔するな」
朱雀が不機嫌に声の主を振り返ると、ダイナモン魔法学校の灰色のブレザーに身を包んだハンサムな青年が、屋上から朱雀を見上げている。
東雲 空(しののめ ソラ)。彼は、高円寺朱雀の親友だ。
空はニヤニヤしながら小さく肩をすくめて、曇った空を見上げた。
「それにしても、うるせー風だ。朱雀が何を言ってるのか、全く聞こえないじゃないか」
そう言って、空は吹きすさぶ風にパっと手をかざした。
すると、それまでの強風はピタリと止まって、辺りが一変静かになった。
「お前の自殺願望は、心の病気だな。一度、保険医のマリー先生にみてもらったほうがいいんじゃないの?」
静かになった屋上に、親友の東雲 空(しののめ ソラ)の言葉が響く。
だが朱雀はゆっくりと首を横に振る。
「世界は破滅に向かっている。魔法使いももうじき全滅だ。この先、生きていても何もいいことがないのさ」
朱雀は塔の先端から滑り降り、空のいる屋上に飛び降りた。
そうは言っても、例えどんなに高い所から飛び降りても、朱雀は死なないだろう。親友の空もそのことを知っていた。
だが、――空を飛べなくなる夢を見た。
その夢が妙にリアルで、予言的であったことを、朱雀はまだ誰にも言っていない。
「で、こんな朝早くに。何の用だ、空」
「校長がお呼びだ」
「校長が? なんで」
「さあ、知らないね。だが、急ごう、緊急の要件みたいなんだ」
空はそれ以上は何も語らず、また朱雀も余計な憶測をすることなく、二人は並んで屋上を後にした。
校長からの緊急招集命令は、『絶対』だ。
ダイナモン魔法学校は、二つの目的のために生徒たちを厳しく教育している。
その一、魔法界を文明社会から守る優れた人材、『モアブの守護者』を育成すること。
その二、邪悪な魔法使いと闘う優れた人材、『モアブの戦士』を育成すること。
文明は魔法使いにとって好ましくないもので、魔力を減退させる危険な毒のような存在だ。
しかし時に、魔力に溺れ、闇に心を支配された魔法犯罪者は、魔法使いにとって、文明よりも恐ろしい敵となる。
朱雀と空は、邪悪な魔法使いと闘うスペシャリストとして、来年の春ダイナモン魔法学校を卒業して『戦士』になる予定だ。
ダイナモン魔法学校の生徒のほとんどが、魔法界を担う戦士として育成される。
文明社会でのらりくらりと暮らす、そんじょそこらの近代魔法使いとは違うのだ。――『正統な魔法後継者たち』。
ここには、他の魔法学校を凌ぐプライドの高い優秀な生徒が集まって来て、朱雀と空は、その中でも頂点に君臨する、力のある魔法使いだ。
彼らは、魔法を使えないデキソコナイや、魔力を持たない人間を忌み嫌い、見下してもいた。
弱い者は死ぬ。闘わなければ生き残れない。それが、ダイナモン魔法学校の教えだ。
校長に呼ばれるってことは、おそらくまた何かの仕事だろう。
優秀な生徒は、校長から直々に指令を受けるのがダイナモンのならわしなのだ。
朱雀はついこの前、ポルターガイスト現象が激しいという空き家に派遣されたばかりだった。と、言っても、実際は、イタズラ好きの悪い妖精が人間をおどかしていただけだったんだけど……。
まったくあれは、退屈な仕事だった。妖精の悪事なんか、放っておけばよかった、と朱雀は思った。
もしかして、その腹いせに学校の庭妖精を木に吊るしたことがバレたのか……? 忌々しい妖精たちめ、まさか、校長にチクったのか。
朱雀はなんだか嫌な予感がした。
悪夢にうなされて目覚めるのはいつものことだが、今朝はいつもより悪いようだ。気分のすぐれない朱雀は重たい足取りで、つい先ほど自殺未遂を行ったばかりの西の塔の階段を下った。
ダイナモン魔法学校の校長室はこの塔とは反対の東の塔のてっぺんにある。
朱雀と空が東の塔に続く渡り廊下を歩いて行くと、ちょうど階下の広間で、中級生たちが属性魔法の早朝練習をしているところだった。
真夜中と早朝は、魔力が高まる時間帯だから、難しい魔法はその時間帯に行われるのが普通だ。
「お、やってるねー。今年は、何人、最上位の石が出るかな」
朱雀の前を歩いていた空が、廊下の真ん中で足をとめ、大広間を見下ろした。
朱雀にも、広間で一人の女の子が両手を広げて宙に浮かびあがっているのが見えた。
自分の属性にあった石を手に入れようと魔力を集中しているのだ。まずは自分の魔法属性を見抜き、自分の力でマジックストーンを生成することが、一人前の魔法使いになるための条件だ。
――石は、内なる力を開くとき、光を伴って現れる。
やがて、階下の女の子の手の中にも赤い光が凝縮し、それが強く波打って広がった。瞬間、空間に、血のように真っ赤な石が回転しながら飛び出した。
それを見ていた空が、驚いて声をあげる。
「あれって、ルビーじゃないのか!?」
というのも、ルビーは火の魔法使いだけが持つ最上位の石で、とても珍しいからだ。ダイナモン魔法学校には、ルビーを持つ火の魔法使いは朱雀1人しかいない。
だが、空の隣でそれを見ていた朱雀は、溜め息交じりに首を振った。
「あれはブラッドストーンだ。宝石の色はルビーに似てるけど、あの石からすると彼女は水の魔法使いだな」
朱雀の言葉に、空も目をこらして見て、すぐに顔を曇らせた。
「あ、本当だ、つまんねー……。なんだよ、今年も空振りか。一人くらい出てもいいのになあ」
「簡単に言うけど、火の魔法使いは、百年に1人の逸材だ。こんなヤワな時代に、そう簡単に出るわけないだろうが」
「はいはい、それだけ自分がスゴイって言いたいわけだ。神よ、火の魔法使いの性格の悪さをじっくり検証できる機会を、我に与えたまえ! そのためにはやっぱりまず、比較対象になるもう一人の火の魔法使の存在が不可欠なんだけどな」
空の言葉に、朱雀が眉をしかめてジロリと見返した。
その視線に気づいて空がビクっとする。
「なんだよ、怒ったのか?」
「いや、別に。ただ、馬鹿みたいに当たり前のことを言う奴だなと思って。俺がスゴイことなんて今に始まったことじゃないだろ。比較対象なんて、現れるはずないさ。だいいち、天才は凡人と比較されることを嫌うんだ。もう少しデリケートに扱ってくれよ、俺さまのことを」
「そういうとこだぞ、俺が言ってるのは」
空が苦笑いする。
比較対象なんて現れるはずがない。
自分と同じ火の魔法使いが現れるはずなんてない。それが朱雀の口癖だ。だがそれでも、朱雀は注意深く広間全体を見渡し、そこにいる生徒たちの属性魔法を一人残らず明らかにしていった。
口では、自分以外の火の魔法使いなんているわけないと言っていても、本当はどこかで、自分と同じ力を持つ魔法使いが現れることを、期待しているのだ。
火の魔法使い同士は互いに共鳴し、力を高め合う最高のパートナーになれるという。
もしこの世界のどこかにそんな魔法使いがいるなら、何を代償にしても見つけ出したい、と朱雀は思った。
だけど、どうやら今年も空の言うように、空振りのようだ。
5年間ダイナモン魔法学校に通って、今年で6年目だが、火の魔法使いは今年も朱雀一人だけみたいだ。
再び歩き出しながら、前を行く空が朱雀をからかう。
「火の魔法使いは昔から少ない、って聞くけどさ、それって、どうなの? "火弱(ひよわ)″ってことかな? 五大属性の中で最も強力な魔法使いと言われておきながら、今や絶滅危惧種なんだから、皮肉だよなぁ」
「能力は選べない。強いて言うなら時代が悪いのさ」
朱雀が不機嫌に答える。
するとその時、別の廊下からやってきたスラリと背の高い男子生徒が、二人に並んで会話に加わって来た。
「おはよう、二人とも。朝から何を揉めてるんだ? 廊下の向こう側からもお前たちの会話が聞こえて来たぞ。うるさいなあ」
清潔に切りそろえられた髪。しゃんと伸びた背中。賢そうな瞳。
いかにも優等生に見える彼は、品行方正で正義感に溢れ、まさしく絵に描いたような総代タイプ。
その青年は途切れることなく流暢に話し続ける。
「だが実際、火の魔法使いは少ないだけじゃなく、痛ましいことにその存続も難しいからな。魔法界の長い歴史を紐解けば見えてくるように、火の魔法使いは早死にするか、あるいは、光を失って邪悪な闇の魔法使いとなるか……。そのどちらかだ」
そうきっぱりと断言されて、朱雀が心底イヤな顔を返した。
「吏紀(リキ)、黙ってくれ。どうしてくれるんだ? 今ので生きる気力がなくなったじゃないか」
九門吏紀(くもん リキ)。頭脳明晰、冷静沈着。朱雀や空とは少し毛色が違って、真面目すぎるきらいがあるが、落とし所が合うので彼もまた朱雀と空の親友だ。
例えば、城の中を飛んではいけない、という校則がある。
朱雀と空は、そんなの面倒くさくて守ってらんねーよ、と言って、飛ぶタイプ。
対して吏紀は校則を守るタイプだが、怪我をしたクラスメートを医務室に運ぶため、などという合理的な理由があるときには、迷わずに飛ぶという選択ができる。
つまりは両者とも結論としては禁止されていようが「飛ぶ」わけで、思考過程は違っても最終的な落とし所が同じなので意気投合するわけだ。
ごねる朱雀に、「いつも、大してあるわけじゃないだろ? その、気力」 と、空が口をはさむ。
実際、今朝も死ねるかどうか試そうとしていたんだし。
「ところで吏紀、お前も校長に呼ばれてるのか?」
空が聞くと、吏紀が頷いた。
「俺たちだけじゃない。 美空と、聖羅も呼ばれている」
「美空と聖羅も? なんで」
「さあ、わからない。でも、イヤな予感がするよ。よりによって俺たち5人を校長が同時に呼びつけるなんて……」
「さては、魔法界で何か大事があったな」
吏紀、朱雀、空の3人は顔を見合わせ、歩調を速めて東の塔の階段を上って行った。
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