スラムダンク3話4



 湘北女子は早めに昼食をとってから、ダウンをすませた男子と合流すると、午後の海南女子の試合が行われるコートに誰より早く席を取りに行った。
 海南女子のベンチの真上、最前列の席を恭と唯が素早く確保して先輩たちを呼び寄せた。
 スタンド席は4レーンが1ブロックになっていて、1レーンには6つの席がある。
 最前列に奥から三木、エリカ、城岡華雅里、皐月、亜紀、恭が座ると、2列目に奥から神崎、宮内、八島、藤沢、百合と聖が並んで座った。
 3列目と4列目に赤木率いる湘北男子が座り、湘北バスケ部の男女だけで1ブロックを埋めつくした。

 唯だけがブロックからはみ出て、隣のブロックの最前列に通路を隔てて座ることになった。
 男バス部マネージャーの彩子は、安西先生に付き添って監督特別室から試合を観戦している。

「百合、ビデオ撮るの手伝って」
 聖がドラムバッグから二つのビデオカメラを取り出して、その一つを隣に座る百合に差し出した。
「俺は各選手ごとの近景を撮るから、百合は遠景ね」
「わかった」
 慣れた手つきでビデオカメラをセットする聖と百合を、後ろから三井が覗きこんだ。

「なんだよ、女バスはカメラ持参なのか? ハイテクだな」
「貴重なデータになるから」

 唯がピースをして聖のカメラを覗きこんできた。
「桜野、座れ」
 
 聖に一喝されて、プイッと唯が席に着くと、ぞろぞろと大きな男子生徒たちが、唯の列と、そのすぐ後ろの席に流れ込んできた。
 みんな黒地に青いラインの入った制服をきている。

「おお、湘北のみなさんじゃありまへんか! 男女そろって仲良く早いですなあ! 海南女子の試合狙いですね」
 綾南の彦一が、いつものごとく極秘ノートを片手に唯の後列に入って来た。

 唯の真後ろに腰野、その横を一つあけて、彦一が座る。唯の隣には魚住。その他の席も綾南生が隙間なく埋めて、唯のいるブロックは一気に暑苦しくなった。
 あの、仙道という人はいないみたいだけど……。
 唯は苦い顔で通路向こうにいる恭に視線を送った。
「恭、席代わってッ」
「絶対無理」
 即答だ。唯の方を見ようともしないで。恭はこういうとき、本当に冷たいと思う。

 唯は藁にもすがる思いで、今度は恭の後ろでビデオを構えている聖に懇願した。
「聖先輩、席、代わって下さい」
 けれど、聖はチラリと横目で優を見下ろしただけで、すぐにビデオの撮影用画面に視線を戻した。
「やだ、ここがいい」
 唯にはそれが、「百合の隣がいい」、と言ったように聞こえた。結局、そういうことなんだろうけれど……。
「そんなあ! 先輩じゃないですか。代わってくださいよう」
「そこにいろよ桜野、前の方がよく見えるんだから」
「そんなあ!」
「仕方ないわねえ、私が代わってあげるわよ」
 聖の隣に座っていた百合が、溜め息混じりに席を立とうとすると、聖がガンッ、と自分の足を前の席の背もたれにかけて百合の進路を塞いだ。
「ダメに決まってるだろ。百合はここにいろよ」
 再び、唯にはそれが、「百合は俺の隣にいろ」、と言ったように聞こえた。

 百合は小さく肩をすくめると、憐みの表情を唯に向けてきただけで、黙って元の席に座りこんだ。

 それを見て唯はがっくりとうなだれる。
 海南女子の試合をよく見るためには前の方の席がいいが、体の大きい綾南男子バスケ部員に囲まれた席はあまりにも居心地が悪い。
 かといって、すでに観客で埋め尽くされた会場に、他に空きを見つけるのは難しそうだった。
 仕方ないか。
 綾南男子が横にも後ろにもいるのは、山に囲まれているみたいで唯にはとっても落ちつかないけれど。
 どうせ試合が始まれば、誰が隣に座っているかなんて気にならくなるはずだ。あの奇妙な仙道とかいう人も、今日はいないみたいだし。

 唯がそう思った時、会場に歓声が上がって、緑色のジャージに身を包んだ海南女子がコートに入ってきた。

 唯の視線がたちどころに惹きつけられる。みんな、そんなに大きくはない。中には唯と同じくらいのサイズの選手もいる。それなのに、なんだろう、彼女たちがもつ雰囲気は。
 ボールバッグやタオルを肩にかけて入ってきただけなのに、彼女たちが『強い』ことが分かる。
 ベンチに座り、ジャージを脱いでユニホーム姿になった彼女たちが、バスケが大好きなのが伝わってくる。

 唯は全身に鳥肌が立って、海南女子の一人一人から目が離せなくなった。
 コートに海南女子と成徳学園が整列し、審判が笛を咥える。
「桜野、6番が沢喜多のぞみ、お前と同じポイントガードだ。よく見とけよ」
「はい」
 唯が振り返って、聖に返事した。
 と、通路に立ちはだかる大男が優の視界を塞いだ。
「唯ちゃん」
「ヒイ!……あ、あなたは」
 それは昨日初めて会ったばかりの、ツンツン頭の仙道だった。
 仙道は腰野の膝の上をまたぐと、唯の右後ろに空けられていた席に座った。
「遅いぞ仙道」
「すみません、魚住さん」
 唯の隣の巨大な男に会釈をした仙道は、すぐにその男の肩越しに前に乗り出し、唯の顔を覗きこんできた。

「自己紹介がまだだったね、俺は仙道。仙道彰」

 そのとき、ティップオフのホイッスルが鳴ったので、唯はコートに視線を奪われる。

「はは、俺にかまってる暇はないって感じだな」
 ジャンプボールを制したのは海南の5番だ。成徳学園のジャンパーより背が低いが、海南の5番にはテクニックがある。上手い!
 あえて相手とボールを押し合うことをせず、相手の力を利用して自らの背後にいる仲間にジャンプボールを送り出す手さばきだった。
 唯はコートから目を放さずに、仙道に応えた。
「来週、海南と当たるかもしれないんです」
「知ってる。さっき、トーナメント表を見てきたから。実は俺たちも来週、試合なんだ。よければ見に来て。そうしたら俺の名前、きっと忘れられなくなると思うから」
「……へ?」
 唯はまたチラと仙道を振り返った。
「お名前なら存じ上げてましたよ。ここにいると、自然と耳に入って来るので」
「へえ、それは嬉しいな」

 コートから歓声が上がり、緑色のユニフォームが円陣を組んでロウからハイに手を流してタッチし合っているのが見えた。
 それは、「ハイ! ファイ! ハイ!」と、叫びながら高低の二か所でタッチする湘北女子の円陣の組み方に似ていた。互いの目線の位置や高さを、常に仲間同士が意識し合っているんだ。そうして何度も円陣を組むうちに、身体が自然と仲間の高さや、仲間の視線の位置を覚える。パスを通すのに調度いい高さと、合図を送るのに適した視線の在り場を身体が覚える。チーム全員で一人の体を形勢するみたいに、一つになるような感覚。思いが繋がる。神経が繋がる感覚。

 唯は身を乗り出して、コートを見下ろした。
 今、6番のポイントガード、沢喜多がボールをドリブルしながら、ゆっくりとセンターラインを越えながら仲間に合図を送っているところだ。
 まだ攻撃を開始する前なのに、成徳学園の選手がたった一人のポイントガードに圧倒されているのが分かる。
 その沢喜多が、右手の人差指を高く上げた、瞬間、チームが一斉にゴール下目指して走り出した。
 早い!
 けれど、それよりも唯が感動したのは、チームの誰もが楽しそうに走っていたこと。
 あれじゃ、誰にパスが出るのか分からない。どんな攻撃がくるのか予想もできない。
 成徳学園は、押し寄せる海南女子の大波のような攻撃に、なすすべもなくゴールを決められた。あれだけ仲間を走らせておいて、最後にゴールを決めたのはなんと、沢喜多本人だった。
「すごい!」
 大きくないのに。
 ポイントガードなのに。
 仲間全員をおとりにして、自分で点を決めに行った。どんだけ図太い神経なんだろう、あの沢喜多って人。

 ゴールを決めた6番沢喜多は、次も一本決めるぞと言わんばかりに手を叩き、仲間たちとタッチしながらコートの中を駆け回っている。すごい存在感だ。

 そんな沢喜多を見つめて、意図せず、唯の口は笑っていた。
――楽しそうだ。私もあんな風に、バスケがしたい。

 唯の横顔を見ていた仙道も、不意に微かな笑みを零した。
「唯ちゃんて、バスケが好きだろう」
 けれど、試合に夢中になっている唯は仙道に気づかない。
 仙道は退屈そうに前の椅子の背もたれに頬肘をつくと、唯がしっかり聞いていないのをいいことに好き勝手に言った。
「次の俺たちの試合も金曜日なんだ。俺も唯ちゃんたちの試合を見に行くから。だから、さっきも言ったけど、俺たちの試合も見に来てくれよな。
――そうしたら次は、俺から目が離せなくなると思うから」

 仙道の左隣では腰野が眉をひそめ、右隣では彦一が少しだけ頬を赤らめていた。
(せ、仙道さんて意外にアグレッシブや! アンビリーバブルや! 要チェックやああ!)




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