恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 4-13


 半面をぐるりと観覧席に覆われた広間に5台のダーツボードがセットされ、スローイングポジションを示すラインが引かれた。
 それぞれのダーツボードの前に丸いハイテーブルがあって、プレイヤーに新品のハードダーツが配られた。
 アガサは手にしたダーツの先端の、金属製のチップ部分をしげしげと眺めた。武器が禁止されているインコントロでは、てっきりプラスチック製のチップのついたソフトダーツが使われると思ったので意外だった。

「どうかしたのか?」
 ドラコがアガサの手元を覗いて聞いてきた。
「危なくないのかしら、ハードダーツは武器にもなるでしょ?」
 なんだそんなことか、とでも言いたげにドラコは肩をすくめた。
「ナイフやフォーク、ネクタイ、靴ひも、グラスや皿、使いようによっては何だって武器になり得る。君は聖書で俺を土に還そうとしたこともあったよな。つまり聖書でさえ武器になるんだ。それでいうとダーツはそこまで殺傷力の高い武器とは言えないよ。せいぜい、目を潰す程度だ」
 恐ろしいことを考えるものだな、とアガサは思ったが、ドラコが言わんとしていることは理解する。

「ボス、ちょっとこっちに来てもらえますか」
 ジョーイがドラコを呼んだ。
 見ると、エマとジョーイがノストラ―ドのルイ―ジオを含む4人の男たちに取り囲まれている。
 ドラコはアガサの背中に手を回して「俺から離れるなよ」、と耳打ちしてから男たちの方へ歩いて行った。
 ジョーイが困惑した表情を浮かべてドラコに説明する。
「こちらのルイ―ジオさんが、ノストラ―ドとアルテミッズの頂上決戦をしようと言うんです。残金オールインで。ウーゾにはもう話を通してあるそうです」
「そんな申し出を受ける筋合いは無いはずだが」
 ドラコは努めて紳士的にルイ―ジオと向き合った。だが、ドラコから滲み出る目に見えない敵意がその場の空気をジリジリと張り詰めさせていくのを周囲の者は感じ取った。

 凍り付く雰囲気の中、ルイ―ジオだけが気さくな笑みを浮かべてドラコに言った。
「せっかくだから、愉しもうよ。南側が結託してノストラ―ドを担いでいるという噂がたっているらしくてね。僕らとしては、その不名誉を挽回したいんだ」
「事実だろ?」
 ドラコがバッサリと切り捨てると、ルイ―ジオは大袈裟とも言える素振りでそれを否定した。

「とんでもない。君たちと勝負して僕らの実力を証明してみせるよ。ところで、君たちは結婚してまだ1年なのに、子どもが3人もいるらしいね、アガサ」
 ルイ―ジオは意味深にアガサを見つめた。
 子どもたちの出生について、何かを怪しみ、秘密を暴こうとするかのように、ルイ―ジオのグレイの瞳が鋭く光っている。
 ドラコとエマとジョーイは、子どもたちを引き合いに出してオールインのゲームを受けるように間接的な脅しをかけられていることに気づいた。
 ここでアガサが動揺したり、ブラトヴァやアナトリアに繋がる発言をすれば、大きな危険に繋がる可能性があった。怪しまれないように話題を変えなければまずい、と他の3人が思考をフル回転する中、アガサは寸分もたじろぐことなく言ってのけた。

「ええ。私たちに似た、とても可愛い子たちなのよ。3人も、と言うけれど、そうね、確かに今が一番手のかかる時期で大変ではあるけれど、私としては、もう一人くらい欲しいと思っているくらいなのよ」
 ドラコは一瞬、ルイ―ジオのことを忘れて驚いてアガサを見下ろした。
「え、本当にもう一人欲しいのか……?」
「ええ、そう。あなたは多すぎると思う?」
「いや、別に俺は何人いてもいいけど……」
「良かった。それなら、きっと神様がまた【与えて】くださるはずだわ」
 アガサはトロンとした目でドラコを見上げた。
 敬虔なキリスト教徒のアガサが、子どもは神からの授かりものだと考えるのは不思議ではなかった。
 彼女が妊娠できない体であることは、エマとドラコとフェデリコしか知らない。だからこの時ジョーイを含め、ルイ―ジオたちは、新婚の夫婦がもう一人子どもを欲しがってノロけているだけだと思った。

「まいったな。それって、本当に君たちの子どもなのかい?」
「ええ、私たちの子よ」
 ルイ―ジオは尚も怪しむように、もう一度問う。
「本当に?」
「ええ」
 即答だった。
 エマとドラコは内心ヒヤヒヤしたが、アガサは嘘をついていなかった。心から子どもたちを愛していて、自分の子どもだと思っているのだ。
 ルイ―ジオにも、アガサが嘘をついていないことがわかった。

「実は、僕の従妹が産んだ赤ん坊が行方知らずになっていてね。アナトリアはアルテミッズの元幹部だった男と結ばれて、男の子を生んだらしいんだ。亡きサルバトーレ叔父さんは、その赤ん坊をファミリーの不安因子と考えて始末したがっていた。でも、僕自身は、この件に関しては叔父さんとは違った意見を持っている。もう水に流して、子どもを探して殺そうとするのは止めるべきじゃないかと思っているんだ」
「良い考えだと思うわ。赤ん坊を殺すなんて間違ってる」
「そうだよね。でも僕としては、部下たちを納得させなければいけないんだ。なぜって、ノストラ―ドは君たちの3人の子どものうちの一人が、アナトリアの産んだ子ではないかと疑っているから」

 沈黙が訪れた。
 アガサは肯定も否定もせず、黙ってルイ―ジオを見つめ返した。
 代わりにドラコが無表情に、完璧な嘘をついた。
「身に覚えのない話だ」

「僕もそう思うけど、部下たちは疑っている。そこで提案なんだけれど、もし君たちがダーツでオールインの勝負にのってくれるなら、アナトリアの産んだ子どもを探すことを、金輪際やめさせると僕が言ったら」

「そんな取引に応じる理由がそもそもない」

 だが、ルイ―ジオは引かない。
「たとえ身に覚えのない話だったとしても、僕の部下たちは君たちの周りを嗅ぎまわり、子どもたちのサンプルをとってDNA鑑定をするまで諦めないだろう。学校や保育園や教会のイベントに参加しているときに、見知らぬ男が近づいて髪の毛や、血液や、爪を強引に取ろうとしたら、子どもたちはさぞや怖がるだろうね」

「脅しているつもりか」
「危害を加えるつもりはないよ。ただ、アナトリアから出たものはノストラ―ドのものでもあるのだから、疑わしきを調べさせてもらうのは当然の権利だ。子どもたちに無用な恐怖を与えないために、僕の提案をのむべきだと思うけど、どうかな」

 エマが不安そうな顔をした。ラルフはエマが産んだ子どもだからだ。DNAのサンプルを採取するときに、ノストラ―ドが子どもたちに手荒な真似をしないとは限らない。何かの間違いで、ラルフがマリオと取り違えられることだってあるかもしれない。
 ドラコとアガサにとっては、3人の子どもたちの周りをノストラ―ドにうろつかれることはどうあっても遠慮願いたかった。マリオがアナトリアの子だと暴かれるのもまずいが、モーレックがブラトヴァの子だと知られる危険もある。何より、見知らぬ男に近寄られれば子どもたちが怖がるだろう。

 ドラコはアガサをちらりと見た。勝てる見込みがあるなら、オールインの勝負に応じる価値がある。けれど、もし負ければ、アルテミッズの本部と土地の全てを失う。エマとジョーイの腕前は知っている。もしドラコと3人だけなら、十分に勝算がある。だが、今夜はアガサがいる。ドラコにも、アガサがどれくらいダーツを投げられるのかは全く想像がつかなかった。
 ドラコが判断に窮していると、今度はアガサが口を開いた。

「一つ疑問なんだけど、オールインの賭けまでしてあなたたちに何のメリットがあるの? 負けたら掛け金を全額失って最下位になるし、アナトリアの子どもを探す権利も放棄するんでしょう? そんなリスクを負う理由が、結託の名誉を挽回するためだけなんて、理解できないんだけど」
「小耳に挟んだんだよ。最初のカードゲームのベットで、アルテミッズは総合1位をとらなければカモッラに全てを与えると約束したんだろ? なら、南を代表する僕たちも同じくらいリスクを負わなきゃつまらないよ。それだけだよ」
「もし私たちが勝っても、あなたの立場が危うくなることはないのね、ルイ?」
「危うくなったってかまわないよ、僕は、今夜を楽しめさえすればそれでいいんだ」
 そんな自虐的な発言をしても、ルイ―ジオは不意に愛おしそうにアガサを見つめた。
「だけど、君のためにあえて言わせてもらえば、――そんなことで僕の立場が危うくなることはない。だから、本気でやろう」

 アガサはニコリと微笑んで、ドラコを見上げた。その目を見ただけで、ドラコにはアガサの考えていることが分かった。絶対に勝つから、ゲームをやらせろと言っている。
 ドラコは大きな賭けに出ることにした。

「どのゲームで勝負する?」
「無理を言って付き合ってもらうわけだからね、そっちが決めていいよ」
 ドラコ、エマ、ジョーイが瞬時に視線を交わし、最後にみんながアガサを見た。
「一番自信のあるゲームはなに?」
 ジョーイに訊かれて、アガサは瞬時に答えた。
「ゼロワンの501、ダブルアウトで」

 いい答えだ、と、仲間たちは思った。501なら、4対4の団体戦でアガサを他のメンバーでカバーすることもできる。

「決まりだな」
「いいだろう」
 ルイ―ジオが指を上げると、直後にウーゾのレフリーがノストラ―ドとアルテミッズの頂上決戦を宣言し、会場内にどよめきが起こった。
 掛け金がオールインなので、この時点で総合1位はノストラ―ドかアルテミッズのどちからになることが確定した。

 他のファミリーは早々に試合を放棄して、観戦エリアに戻って行った。





 アルテミッズのボックス席では幹部たちが唸っていた。
「ドラコの奴、なんて馬鹿な真似をしたんだ、何もオールインに応じること無いだろうに……」
「ノストラ―ドは暗殺集団だ。きっとダーツの腕前は確かだぞ」
「ジョーイとエマがいて、どうしてドラコを止めなかったんだろう」
「アナトリアの子を引き合いに出して、オールインの勝負に応じさせられたんだよ。あのノストラ―ドの新しい首領は、ちょっとイカれているみたいだね。ただ、楽しみたいからだと言っていた」
「まじかよニコライ、この距離から唇を読んだのか?」
「僕は視力がいいからね。それより、ドラコが勝算のない賭けに出るとは思えないんだよねえ」

 プレイヤーたちが3投ずつダーツを試し投げするのを、幹部たちは食い入るように見つめた。
 始めにエマが投げ、ど真中のブル、トリプルの20、ダブルの20に命中させた。
 次にジョーイが、3投ともトリプルの20に命中すると、続いてドラコがトリプルの20、トリプルの19、ダブルの12に命中させた。
 最後にアガサが投げたが、足元が不安定なのか体の軸がふら付いて、ダーツはいずれもサークルの外側に刺さった。

「ああ、ダメだなありゃ……」
 イデリコが絶望の悲鳴を上げた。
「サークルの中に当てなきゃ1点にもならないって、知っているんだよね?」
 チャンが最も基本的なことを疑い始めた。
「多分知っていると思うよ、兄さん。彼女は、教会のチャリティーでダーツの大会に出場したと言っていたからね」
「教会の、チャリティー……」
 果たしてそれはどんなレベルの大会なのか、チャンにはおよそ想像もつかなかった。

 ゼロワンの501は、それぞれのチームが501の数字からダーツを当てた的の数だけ差し引いて行き、最後にピッタリ0にした方が勝ちとなる。今回はダブルアウトなので、0にするラストショットでは必ずサークルの一番外側にあるダブルの的を狙わなければならないルールだ。
 敵、味方交互に、各プレイヤーは3投ずつ交代でショットする。
 団体戦においては通常、一人目と二人目がトリプルの20を3投、三人目がトリプルの20、トリプルの19、ダブルの12に命中させれば、最短で0にすることができるので、4対4のチーム戦では4人目はショットしなくて済む場合がある。

 案の定、アガサの順番は4人目に回されたので、アルテミッズのボックス席から少なからず安堵の声が上がった。

「いい判断だ。少なくともあの3人なら、勝ち目は十分にある」
「だが、ダーツはそう簡単じゃないぞ。7レグ先取りするまでには、途中で乱れることは、よくあることだ。前の3人が1投でもミスすれば4人目は絶対に回ってくる」
「エマはそう長く集中力が続かないし、ジョーイはドラコほどは神経が図太くないから、重要な局面でミスをしがちだ」
 一方、ノストラ―ドはちゃんと4人目まで上手だった。

 かくして、インコントロのゲームナイト最終種目、ダーツにおいてアルテミッズとノストラ―ドの頂上決戦が幕を開けた。
 勝負は4対4の団体戦、ゼロワンの501、ダブルアウト。7ゲーム先取りしたファミリーの勝ちとなる。





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