恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 7-15


 ロサンゼルス郊外のマウント・グロリアの頂にひっそりとたたずむアガサの古城には、その夜は珍しく雪が降り積もっていた。
 愛車のストラダーレから降り立ったドラコは白い息を吐きながら、淡いオレンジ色の光が洩れる城を見上げた。

 元は廃墟だったこの場所は、ドラコが一人になれる秘密の隠れ家だった。
 当時のドラコには怖いものなど何もなかったが、孤独の痛みを一人で舐められる場所が必要だった。
 あの嵐の夜も、ドラコはただ休める場所を求めて――あるいは死に場所を求めて、この場所にやって来たのだ。あの夜、廃墟だと思っていたこの場所に明かりが灯っているのを目の当たりにして、ひどく絶望したのを覚えている。まるで世界の全てから拒絶されたような気分だった。

 暗い嵐の中に呆然と立ち尽くすドラコの手を掴んで、アガサは彼を光の中に引き入れてくれた。
 そして彼女はドラコに暖を与え、休ませてくれた。少々手荒で、強引でお節介な親切ではあったが……。彼は彼女からこの上ない安らぎを得た。

 今は、古城から漏れる明かりを見ると、そこに彼女がいることがわかって、体の奥底から生きる希望が湧き上がってくる。

――家族のいる家に私は帰る。なんという恵み、なんという喜び。
 誕生日プレゼントにもらったキーホルダーを大切に握りしめ、ドラコは古城の扉に手をかけた。
 やっとこの場所に帰って来られた。
 アガサと、モーレックと、マリオがいるこの場所に。家族のいるこの場所に――





「きゃああああ!! モーレック! 蓋を閉める前にミキサーのボタンを押しちゃダーメって言ったでしょう!」

「まちがっちゃったあ!」

 扉を開けて広間に入ると、キッチンからアガサの悲鳴と怒鳴り声が聞こえてきた。いつになく、すごい剣幕だ……。

 マリオが泣き出す。

「あ、こら、待ちなさい! モーレック!」

 上半身裸のモーレックが転がるようにキッチンから走り出てきた。頭には脱ぎ掛けの上着を引っ搔けて、顔を赤紫色にベットリ汚しているので、まるでインディアンのような様相だ。

 泣いているマリオを片腕に抱いたアガサが、体の前面を赤紫色に染めて、髪からもその赤紫色の何かを滴らせながらモーレックを追いかけて出てきた。

「ぱぱあ!」

「ドラコ!」

 二人はほとんど同時にドラコに気づいて、驚いた顔をした。
 ドラコは今日帰ってくることを彼女たちに知らせていなかったのだ。驚かせようと思ったから。
 モーレックとアガサが瞳を輝かせて、吸い寄せられるようにドラコに近づいてくる。

「あ、おい、ちょっ……、待った」

 咄嗟に、ドラコは後ずさりした。赤紫色に汚れている二人は、ドラコの制止にも耳を貸さずに腕を広げ、容赦なく真っすぐに迫って来た。

「うわああ!」
 
 アガサがドラコの腕の中に飛び込んでくるのと同時に、ドラコの足に、モーレックがしがみ付いて顔をうずめた。
 その瞬間、彼女たちについていた何か赤紫色のベトっとしたものが、ドラコの新しいスーツにもべったりとつく。

「会いたかったわ、ドラコ、おかえりなさい」
 アガサが顔を上げキスを求めてきたので、ドラコは躊躇いがちに彼女の唇にキスをした。
「ブルーベリージャムと、ヨーグルトの味がする……」
「スムージーを作ろうとしていたところなの」
「ぱぱあ、だっこ」

 足元でモーレックがばんざいをしたので、ドラコは条件反射で息子を抱き上げた。モーレックが頬にキスをしてきたので、ドラコの顔にもブルーベリージャムがつく。
 アガサも、彼女が抱いているマリオも、家族全員が赤紫色だ。

「ただいま」

 不意に愛しさが込み上げて、ドラコはスーツが汚れるのも構わずに顔を傾け、アガサを抱き寄せてもう一度キスをした。最初よりも深くて、長くて、ブルーベリー味の甘いキスを。

――ただいま。

 それから、家族四人はしばらく抱き合ったまま、離れなかった。


――愛の本質は、相手を大切に思うことだと、かつて彼女は言った。
 なんだかありきたりで、期待外れだと、彼は言った。
 彼は、本当の愛はもっと、深くて、強いものだと思ったのだ。
 彼女は言った。大きくても小さくても、愛は愛だ、と。

 今、ドラコは家族と抱き合いながら思った。愛は愛だ、と。
 日常の中にある大小は関係がない。愛は、愛で、そのために彼は恐れ、強くもなる。
「アガサ、愛してるよ」
「愛しているわ、ドラコ」

 愛する人のために生きること。ドラコはそのために、今日も明日も闘い、生きるのだ。
 命が尽きるそのときまでずっと、愛する家族とともに。

 しんしんと雪が降り積もる古城の外で、風もないのに粉雪が一斉に舞い上がった。
 まるで、家族の再会を祝福して天使たちが歌い踊っているかのように。

 これは神が計画されたこと。
 人は神の理のすべてを決して理解することができないように、この地上ではまだ、彼らはそれを知らないだけなのだ。
 もしかするとアナタにもそんな出会いがあるかもしれない。
 その時はどうか恐れないでほしい。彼のように愛することを。彼女のように正しさを貫き通すことを。

 そしてどうか、希望をもって明日を生きてほしい。





Fin