恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 6-15
白雄鶏の館に戻ると、ドラコは真っすぐにフェデリコの元に向かった。
書斎にいる他の幹部連を押しのけて、ドラコはデスクを叩き、ドンの顔を覗き込んだ。
「アガサと子どもたちをどこにやったんですか」
「さて、なんのことだ」
デスク越しに、フェデリコとドラコの視線がぶつかり合った。
フェデリコの透き通る目を見つめて、ドラコは初めてドンに失望を感じた。父親のように慕い、忠誠を誓って、これまでずっとドンを信じて来たのに。
ドンは嘘をついている、と、ドラコは見抜いた。
その瞬間に、ファミリーの信頼の元に成り立っていた彼の忠誠心は消え去った。ドラコは躊躇うことなく、ドンに取引をもちかけた。
「アガサと子どもたちの、モーレックとマリオの身の安全を保証してください」
――何でもしますから。
と、ドラコは他の幹部たちが見ている前で懇願した。
「彼女と話をしたんじゃなかったのか」
「アガサはホテルにはいませんでした。街を探しましたが、見つけることができませんでした」
「わかった、彼女と子どもたちを探そう。ただし【何でも】するというのなら、今すぐエマの所に行きなさい。我が娘の求めに応じ、私に【孫の顔】を見せておくれ。エマ以外にお前に相応しい妻はない」
ドラコは表情を変えずに、すぐにエマの部屋に向かった。
そしてエマにキスをして、エマを抱いた。
嵐の夜にアガサと出会って以来、ドラコは女を抱いていなかった。ずっとアガサと愛を交わし合うことを夢見ていたからだ。
――俺には、愛のないセックスがお似合いだな。
と、ドラコは自嘲した。官能的で、激しいだけのセックスに体は反応したが、心は何も感じなかった。
行為を終えると、エマの腕をほどいてドラコはすぐにベッドから出た。虚しさが全身に重だるくのしかかったが、それでアガサと子どもたちが無事に見つかるなら構わない。
今はただ、彼女たちの無事を確かめたかった。
アガサが恋しい。
体はとても疲れているのに、ドラコは一睡もできなかった。
◇
その日の夕方早くに緊急会合が開かれた。
幹部たち12人とフェデリコが、会合のためにいつも使われる白雄鶏の館の円卓の部屋に集まった。
「ノストラ―ドの奴らがサヴォナに集結している。早ければ明日にも全面戦争となるだろう」
ジョバンニとアレサンドロが、現況を説明した。
ノストラ―ドファミリーのサルヴァトーレが直々に本土に上陸していることからも、敵は本気だ、ということを幹部たちの誰もが悟った。
アルテミッズファミリーの元幹部のマリオが、サルヴァトーレの一人娘アナトリアをかどわかし、一族の血を汚したとして、『沈黙の掟』を破った廉はすべてアルテミッズにあると、サルヴァトーレは主張していた。
長らく両者の均衡を保っていた『沈黙の掟』の効力は絶大で、だからこそ、それを破られたときの反動も大きい。
掟の取り決めにあるように、どちらかのファミリーが滅び尽くされるまで、殺し合いは止まらないだろう。
イタリア最古のマフィアといわれるノストラ―ドは、いつもアルテミッズのことを下に見て憎んでいる。フェデリコが必要以上に力を鼓舞することがないので、尚更だ。
ノストラ―ドはまた、アルテミッズさえいなければ、アルプスを越えてヨーロッパ全土に進出しやすくなると考えている。彼らにとってアルテミッズはいつも邪魔でしかないのだ。
会合では、ノストラ―ドの襲撃を白雄鶏の館で迎え撃つことが決まった。
会合の終わりに、シンガポール支部のアリが報告しなければならないことがある、と言って、皆が席を立つのをとどめた。
アリはフェデリコから命じられて、今朝からずっとアガサの行方を捜索していたのだ。
皆の注意が向けられると、アリは言いづらそうに一呼吸おいてから、彼のために特別にあつらえられた大きな椅子の中で、巨人のような体を前に傾けた。
やがてアリの太くてはっきりとした低音域の声が、静かに言った。
「昨夕、サヴォナの崖下に黒のマセラティが落下したという情報を掴んだんだ。それが、白雄鶏の館の車に間違いないことを、さっきこの目で確認してきたところだ」
「車には誰が乗っていたんだ?」
アーベイが尋ねた。
「近くを通りがかった観光客の話によれば、アジア系の女が、1歳くらいの小さな子どもと、まだ首もすわっていないような赤ん坊を連れてマセラティから降りるのを見たらしい。車が崖下に落ちる少し前に、三発の銃声がしたと、複数の者が警察に証言している」
円卓を囲む幹部たちの空気が張り詰めた。
「アガサと子どもたちは見つかったのかい?」
ニコライが問うと、アリが答える前にアーベイが口を挟んだ。
「そこにいたのが、アガサたちだったとは限らないだろ!」
「いや、あの辺りでアジア系の女性が、しかも二人の幼児を連れているというのは、よほど珍しいよ」
と、上海支部の双子の兄のチェンが言った。
「邸のマセラティが崖下で見つかったことからも、彼女たちだと考えるのが自然だよ」
弟のフォンも冷静にそう言ったが、他の幹部連たちと同様、二人とも現実を受け止めきれずに辛い表情を浮かべた。
「遺体は見つかっていない」
重く沈んだアリの声が、円卓の部屋にそっと落ちた。
「ただ、車は大破していて、まだ一部しか引き上げられていないし、あの辺りは潮の流れが早いから……」
アリは体が大きく強面だが、心根の優しい男だったので、その先はあえて口にしなかった。
「どうして、あの娘はこの邸を出ていったのだろうか。ここが一番安全な場所だと、レオナルドが伝えていたはずだ」
イギリスの老紳士、ベドウィルが囁いた。
「そうとも言えないですよ。もうじきノストラ―ドが大挙してここに攻めてくる。そうなれば、ここは戦場になります」
と、ジョーイが言った。ちらりとうかがって見たドラコは無表情だった。これで良かったんだ、と、ジョーイは思った。
フェデリコが口を開いた。
「私が、この場所から離れる様に彼女にすすめたのだ。彼女も、子どもたちの安全のためにここを離れるのが良いと考えたようだった」
「でも、どうしてサヴォナへ? あそこはノストラ―ドの領域ですよね」
と、ルイスが問うと、フェデリコはすぐに答えた。
「ノストラ―ドの領域だからだよ。奴らも、まさか探しているものが自分たちの目と鼻の先にあるとは思うまい、と、そう考えたのだ。私が悪かった、ドラコ……」
「彼女を一人で行かせたのですか?」
それまでずっと黙っていたドラコが、感情のない声で問いかけた。
フェデリコは、そうだ、と答え、アルテミッズの人間と共に行動しない方が安全だと考えたからだと説明して、さらに重ねてドラコに詫びた。
合理的でもっともな回答をしたことで、幹部連たちは納得したようだった。
だがドラコだけは、その目だけは、フェデリコの内なる悪魔の企みを全て見抜いているかのように、彼を見つめていた。フェデリコは、その真っすぐな青い瞳に見つめられることに恐怖を覚えた。
「報告は以上なのか、アリ」
ドラコに聞かれて、アリは力なくうなずいた。
「力になれず、本当に申し訳ない」
「いいんだ、ありがとう」
会合はそれでお開きとなり、幹部連たちは各々に散開した。
アリからの悲しい報せを受けて、幹部連も用心棒たちも皆、気落ちして、やりきれない思いを抱えたが、ドラコだけは感情を露わにせず、いつも通りにふるまっていた。
その後の夕食の席に、ドラコは姿を現さなかった。
誰もが、きっとドラコはアガサと子どもたちが亡くなったことを、一人で部屋で悲しんでいるのだろうと思ったので、彼を呼びに行く者はいなかった。
◇
第6話END (第7話につづく)