恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 5-5


――「俺の息子を、お前に引き取ってもらいたい」
 唐突に発せられたマリオの言葉に、ドラコは戸惑った。

「あの子をお前の息子に迎えて、名前をつけてやって欲しいんだ」
 何をバカなことを、と、跳ねのけようとしたが、マリオが力を込めてドラコの腕を握り、あまりに真剣に話すので、ドラコは冷静に、こう聞き返した。
「アナトリアは承知しているのか?」
 と。

 マリオは声をひそめて、「彼女は何も知らない」、と言った。

「マリオ、分かるように説明してくれ。もしかして、病気なのか?」
 そう聞いたのは、ドラコにはまるで、マリオが死を覚悟しているように見えたからだった。

「アナトリアは、ノストラ―ド・ファミリーのボスの隠し子だ」
「……なんだって? それが本当なら、大変なことになるぞ。いつ知ったんだ」
「最初から、俺はその事実を知っていて、彼女と結婚した。ファミリーには内緒にして……。彼女を愛していたんだ。もちろん、今も、彼女への愛は変わらない」

 これはまずい、と、ドラコは思った。
 ノストラ―ドファミリーとアルテミッズファミリーは、大昔から敵対関係にあり、両者は決して交わってはいけないことになっていた。
 抗争が絶えないことを見かねた互いのドンが、両者の間に『沈黙の掟』を結んだのだ。――互いに交わらず、干渉せず、いかなることがあっても手出ししない、という掟を。
 もしその掟を破れば、どちらかが滅びるまで激しい戦争が行なわれることになる。

 謂わば、マリオとアナトリアは、ロミオとジュリエットのように、敵対する組織の相手と結ばれたわけだが、アルテミッズのフェデリコはともかく、ノストラ―ドのサルヴァトーレは、二人の関係は掟破りと捉えるだろう。すでにこれは二人だけの問題ではない。下手をすれば、どちらかのファミリーが滅びるほどの危険をはらんでいた。
 
 

「俺がファミリーとの縁を切ったのは、アナトリアのことでもし何かあっても、ドンに、……ファミリーに迷惑がかからないようにするためだった」
「ドンに話すべきだ。マリオ、アナトリアを連れてファミリーに戻って来い、最悪の事態になる前に、手を打つべきだ」
「それだけは、絶対に【許されない】」
 マリオは厳しい口調でそう言うと、セラーの奥から一冊の黒皮の手帳を取り出し、それをドラコに渡した。

「仲間たちに警告を与えてくれ。俺とアナトリアのことを知ったノストラ―ドが、――アルテミッズを狙っている。この中に、すでに漏れた仲間の情報と、手にかけられた者のリストが入っている。これをドンに渡して……」
「どうしてお前がそれを知っているんだ、マリオ」
 鋭い口調で、ドラコが遮った。
 マリオは色を失った顔で、悲しそうにドラコを見つめ返して、そして言った。
――なぜなら俺が、裏切者だから。

 瞬間、胸に冷たい痛みが走った。
 怒りがこみあげてきて、ドラコはマリオの胸倉を掴み、力の限りマリオをキッチンの壁に押し付けた。
「どうして、……」
 だが、その先の言葉は出てこなかった。この先に待ち受けている報いは避けられないだろう。マリオがどうしてそんなことをしたのか理解できずに混乱する。そして何より、マリオを失うことを本能的に悟って、ドラコの視界が濁った。
 信じていた。
 家族だと思っていたのに。

「何を言っても許されないのはわかっているよ。俺は妊娠中のアナトリアを守るために、仲間を売った裏切者だ。ノストラ―ドは、アナトリアのことをずっと探していて、ついに俺たちを見つけたんだ。逃げようとしたけど、遅かった。奴らはアナトリアを無事に出産させることと引き換えに、アルテミッズファミリーの情報を俺に求めてきたんだ」
「どうしてすぐに俺に連絡しなかったんだ」
「ずっとお前のことを考えていたよ、ドラコ。だけど俺たちは捕まって、ずっとシチリアに監禁されていたんだ。アナトリアが出産してから、先週ようやくここに帰って来られた。でも、これも多分、奴らの罠だ」
 ドラコはマリオを放した。

「仲間を売った者は、処刑される。それがファミリーの掟だ」
 抑揚のない声でドラコが言った。

「わかってるよ、ドラコ。だから、お前に来てもらったんだ」

 マリオは瞳に涙を浮かべて、ドラコを見つめて微笑んだ。
「今夜、俺とアナトリアを殺してくれ。後に残される息子のことを、お前に任せたい。ドラコと、お前の最愛の人、アガサに」
「断る」
「頼むよ、ドラコ、こんなことはお前にしか頼めないし、俺たちの最後は、お前に看取ってもらいたい」
「甘えるな! そんなに死にたきゃ、銃を貸してやるから自分で自分の頭を撃ち抜けばいい。ここで見ていてやるから」
 と、ドラコがそう言ったとき、リビングを背にアナトリアが姿を現した。
「一体、何の話をしているの?」
 アナトリアの表情が、不安に歪んでいる。
「アナトリア……」
 マリオが何か言おうとした、その時、外で車のブレーキが軋む音がして、家に外に複数の人の気配が近づいて来た。
 リビングの窓の外に黒い影が見えた、と思った瞬間、ドラコとマリオが同時に叫んだ。
「伏せろ!!」
 ドドドドドという銃声が轟き、リビングの窓ガラスが割れて飛び散るのがスローモーションのように見えた。
 ドラコとマリオの目の前で、リビングを背にして立っていたアナトリアが倒れていく。複数の銃弾が、彼女の頭と首に当たるのが見えた。おそらく即死だったろう。

 ドラコとマリオは成すすべもなく、キッチンの中で身を低く屈めた。

「ノストラ―ドの連中か」
「間違いない。やはり、俺たちを生かしておくつもりは、最初からなかったみたいだな。息子を奪いに来たのかもしれない」
 銃声が止んだ、と、思った次の瞬間、割れた窓から手りゅう弾が投げ込まれてきた。
 爆発の衝撃で体が吹き飛ばされ、ドラコはキッチンの壁にたたきつけられた。家具が砕けて、リビングにもキッチンにも瓦礫が舞い上がる。そして、家の明かりが消えた。

 アサルトライフルを携えた男たちが家の中に入って来た。
 マリオが、セラーから銃を取り出した。
 ドラコもホルスターから銃を抜き、強い耳鳴りと頭痛に耐えながら立ち上がった。

 リビングに入って来たのは3人。相手と撃ち合いになるより先に、マリオとドラコは素早く敵を仕留めた。だが、そこに新たに手りゅう弾が投げ込まれ、二人は容赦なくまた吹き飛ばされた。見上げると、マリオが全身から血を流して、ドラコを守るように体を盾にしていた。体中に、飛び散った家具の破片が刺さっている。
 マリオがドラコの頭を抱き寄せて、ドラコの耳元に口を寄せて言った。
「裏から逃げろ。あの子を頼んだぞ、ドラコ、一生のお願いだ」
 最後に、マリオはドラコに額を合わせて、すがるようにその目を覗き込んできた。
 すでに生気のうすくなった、青い顔をしている。死を覚悟したその目には、恐れはなかった。

――頼んだぞ、ドラコ。一生のお願いだ。

 マリオは立ち上がると、新たに家の中に入って来た影に向けて銃を構え、乱射した。
 敵は5人。全員がアサルトライフルを持っている。敵わない。
 だが、マリオは撃たれてもすぐには倒れなかった。ドラコが赤ん坊を連れて無事に家を出るまで、一秒でも長く、敵を引き付けようとしている。

 ドラコは立ち上がって、這うように走った。銃弾の飛び交う中を奥の部屋へ、赤ん坊を探して。
 部屋はそう多くなかったので、すぐに見つけることができた。
 ベビーベッドの中の小さな、柔らかい体を抱き上げると、赤ん坊はドラコと同じように泣いていた。
 ドラコはタオルケットで赤ん坊の体をくるみ、胸に抱えてすぐに裏口を目指した。だが、裏口から入って来た敵と鉢合わせてになり、銃弾が降り注ぐ。

 ドラコは元来た廊下を引き返し、子ども部屋に入った。背後で、銃の狙いが定められる音がする。
 赤ん坊をしっかりと胸に抱き、ドラコは勢いよく窓を突き破って外に飛び出した。
 直後に、無数の銃弾が家の外まで追ってくるが、ドラコは立ち止まることなくストラダーレまで真っすぐに走った。
 ロックを解除して車に飛び乗る。銃弾が追ってくる中、何発かが車に当たるが、ドラコは素早くエンジンをかけて車を急発進させた。

 銃声が瞬く間に後方に遠ざかっていく。
 ストラダーレに追いつける車は、そうないだろう。追いつけるものなら、追いついてみろ。
 ドラコはギアを上げて、最高スピードでアガサの古城を目指して車を走らせた。
 助手席に寝かせた赤ん坊も、ドラコ自身も、血だらけだ。
 赤ん坊が泣いている。
 マリオとアナトリアは逝ってしまった。
 残されたのは、生まれたばかりの小さな赤ん坊と、マリオの裏切りの証拠となる黒皮の手帳だけ。

 涙が止まらなかった。





次のページ 第5話6